昭和25年(1950年)に数え年から満年齢へ切り替え?!

 ネット検索していて「昭和25年(1950年)1月1日に、数え年から満年齢に切り替えられた」という記述が蔓延していることに気付いたので、まとめておく。 正しくは、

公の場での「数え年」の使用を禁止
したのが「昭和25年(1950年)1月1日」である。 日本国内の制度的建前としては、それ以前から満年齢が正式であった。 例えば法令に記述する年齢は満年齢が原則であった。

 しかし、日常生活では数え年が依然として多く用いられ混乱を来たしていた(直接のきっかけは、戦後の食糧難時代における配給現場での混乱らしい)ので、「年齢のとなえ方に関する法律」(昭和24年5月24日法律第96号)が制定された。 この法律で、公の機関が「数え年」を用いることを原則禁止し(特に必要な場合に限り「数え年」であることを明示して使用可)、広く国民一般にも努力義務を課した。

 ちなみに、日本の法的建前としては明治35年(1902年)12月22日施行の「年齢計算ニ関スル法律」が現在も有効であり、この法律に基づいて満年齢が運用されている。 出生日を起算日として「民法に定める期間計算」で年齢を計算するという一言で済まされている短い法律だが、結果的に満年齢による計算を規定していることになる。

 満年齢を原則とすること自体は明治6年(1873年)2月5日の「年齡計算方ヲ定ム」(明治6年太政官布告第36号)で定められたとされている。 「幾年幾月ト相數」えるという曖昧な表現だが、満年齢のことを表現していると考えられており、実際そのように運用されていたようである。 但し、この布告には旧暦での年齢計算では数え年を使う(「其生年ノ月數ト通算シ十二ヶ月ヲ以テ一年ト致」す)という規定があり、それを「年齢計算ニ関スル法律」で廃止している。 旧暦を新暦に切り替えたのは、この布告の直前(明治5年(1872年)12月2日の翌日を明治6年(1873年)1月1日とした)なので、暦法の切替と連動して(1ヶ月以上遅れてしまったが)年齢の数え方も切り替えるという趣旨だったと考えられる。


 この問題を調べ直したきっかけは、金田一耕助シリーズを始めとする横溝正史の作品における年齢の扱いについての考察である。 横溝正史は作品中でも満年齢を書きながら「数え年だと何歳」と補足する事例が多いなど、満年齢に馴染めない典型的な人物だったようである。 そういう人物自体は世間一般でも多数だったと考えられるが、気になるのは戦後スグや戦前における登場人物の年齢について横溝が「当時は満年齢という制度は無かった」と書くことである。 「制度が無かった」ということ自体は上述のように全くの誤りであるが、そのように認識していた人が多い可能性は大いに考えられる。

 そこでネット検索してみたところ、戦後になってから「切り替えられた」という明らかに誤った記述が蔓延していることに気付き、その「切り替え」というのは正しくは何だろうと考えて調べ直してみた結果がこのページである。


2020年10月8日初稿

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