旧暦の決め方

 「旧暦」という言葉が何を指すのかは少々曖昧ですが、 ここでは、中国の影響を受けた文化圏で伝統的に用いられてきたタイプの 太陰太陽暦に関する一般論を手短にまとめておきます。詳しいことは、

等々の解説ページが沢山あるので、参照してください。

一般原則

 旧暦を決めるための最初でかつ本質的な作業は、「朔(新月)」と 「中気(24気のうち、春秋分や冬夏至を含む1つおきの12個)」の日付を 決定することです。これさえ決まれば、あとは機械的に決まって行きます。 現在では、理科年表などで公表される「天文データ」に基づいて 「朔・中気」を決定しているようです。 歴史的に何度も何度も行われてきた改暦作業は、 この「朔・中気」の決め方を改良する作業だと言っても良いのです。 古くは政治的な都合で暦が操作されることもありましたが、 これも朔や中気をゴマカしてズラすことによって操作したのです。 また、現代でも中国と日本で旧暦がズレて、 旧正月(春節)の日付が違ったりすることがありますが、 これは各々の国の標準時に基づいて「朔・中気」を決めているために、 時差の影響で起ることが多いようです。

「朔」と「新月」を微妙に使い分ける語法もあるので注意してください。 「朔」とは月が地球から見て太陽に最も近い位置に来る状態で、 このとき月の明るさは基本的にはゼロになります。 「新月」という言葉は、この「朔」そのものを指すこともありますが、 「朔」の後に「月光」が最初に認められる「三日月」の状況を 指す用法もあります。

 さて「太陰太陽暦」は月(moon)の運行で「月(month)」を決めつつ、 適宜「閏(うるう)」を入れることによって、 「月の唱え方」と「季節」との対応を保とうとするものです。 当然ながら「朔」の日付は「月(month)」を決める役目を負うわけですが、 「季節との対応を保つ」役目は、中国系の暦では「中気」が負っています。

 中気には全て「所属する月」が決まっています。 つまり、朔の日付から自動的に決まる各々の「月」に、 どの中気が含まれるかを調べて、 各月は、その中気の所属月を名乗るのです。 そして中気を含まない月が前月の「閏」となり、 例えば7月と8月の間に挟まれた閏は「閏7月」と呼ばれます。

 なお、「朔・中気」を基準に「月の唱え方」を定めて行く手順を 「置閏法(ちじゅんほう)」と呼ぶのですが、 この言葉は基準である「朔・中気」の決め方にまで拡張した意味 (即ち暦の決め方全体を指す意味)に用いられることも多いようです。

24気と月との対応。 中気は後述する「定気法」における例外を除いて 対応する月に属する。節気は半分程度の確率で前月の後半に入るが、 その場合でも節気としての呼称は下表に従う (例えば、小寒は11月に入った場合でも「12月節」)。
正月2月3月4月 5月6月7月8月 9月10月11月12月
節気 立春啓蟄清明立夏 芒種小暑立秋白露 寒露立冬大雪小寒
中気 雨水春分穀雨小満 夏至大暑処暑秋分 霜降小雪冬至大寒

なお、古代には立春ではなく春分や冬至が正月となる暦が 採用されていた時代や地域もあった可能性が高いらしい。 この場合、中気と節気の役割が現在と逆であった可能性がある。

「定気法」での複雑な修正規則

 旧暦の決め方は、以上で“基本的”には終りです。 ところが、現在一般的に用いられている旧暦では、 これに複雑な「修正規則」を加える必要があります。 それは、同じ月に2つの中気が入ってしまう場合に対処するためです。

 古くは、「恒気法(常気法・平気法)」と言って、 冬至だけを太陽の位置(黄経)に基づいて正確に決め、 他の中気は時間で等分する方法を用いていました。この方法だと、 中気から次の中気までの日数は朔から次の朔までの日数よりも常に長いので、 同じ月に2つの中気が入ることは有り得ませんでした。

 ところが、この方法では天体の運行を正確に反映していないと考えたのか、 中国では清建国直後の時憲暦、日本では江戸時代後期の天保暦で、 全ての中気を太陽の位置(黄経)に基づいて正確に決める 「定気法(実気法)」に改められました。 その結果、太陽が天球上を動く速さ(=地球の公転角速度)が速くなる 近日点付近(=冬のころ)では、同じ月に2つの中気が入ってしまう 可能性が出てきました。

 そこで、「月の唱え方」の決定法が、以下のように若干複雑になったのです。

  1. 冬至、春分、夏至、秋分(二至二分)を含む月を各々11月、2月、5月、8月とする。
  2. 2月と5月の間に月が2つ入れば、素直に3月・4月とする。他も同様。
  3. 間に月が3つ入れば、その中に中気を含まないのが1つあるハズだから、 その月を前月の閏月とする。
実は、この規則でも月が決定できない場合があります。 計算してみると、大寒(1/21ごろ)が「朔」、 雨水(2/19ごろ)が「晦(朔の前日)」となって同じ月に属してしまい、 冬至(12/22ごろ)が2ヶ月前の晦日、 春分(3/21ごろ)が2ヶ月後の朔日になるというのは、 「有り得ない話」ではないようです。 この場合に下記のどちらとするのか、上述の規則では決定できません。 この計算の詳細については、 NetNewsのfj.sci.astroに投稿した <6alv7k$4ab@nws-7000.lbm.go.jp> (28 Jan 1998 00:47:48 GMT)や、 その参照記事およびフォロー記事を参照してください。
冬至を含む月11月11月
中気を含まない月閏11月12月
大寒と雨水を含む月12月正月
中気を含まない月正月閏正月
春分を含む月2月2月
「秋分・霜降・小雪・冬至」で同じことが起る可能性も、 確率は下がりますが、ゼロでは無さそうです。

 このページの初稿を書いた時点では、 このようなことが実際に起こったことがあるのか、 あったとしたらどのように対処したのかについての情報を得ていませんでしたが、 その後、「旧暦2033年問題」として知られていることを識りました。 つまり、2033〜2034年に実際に発生する事態なのだそうです。 これは時憲暦や天保暦の制定(1644年・1844年)以来初めてのことのようです。

 また、初稿執筆段階では見落としていたのですが、 上の規則では、次のような事態も生じる可能性があり、 2033年にはこの問題も同時に発生するようです。

秋分朔日→8月
霜降朔日→9月でかつ10月???
小雪晦日
冬至晦日→11月
(霜降が8月晦日ないし小雪が11月朔日となるパターンも考えられる)
この場合、8月と11月の間に月が1つしか入らなくなります。 11月(冬至)と2月(春分)の間でも同じことが起こる可能性があります。

 二至二分の間に月が1つしか入らない事例は、 日本では天保暦制定(1844年)から2033年まで発生が無いのですが、 標準時がズレる中国では1851〜1852年に実際に発生したようです。 また、時憲暦制定(1644年)から天保暦制定までの間では、 1699〜1700年にも発生しているようです。 いずれも冬至と春分との間の問題で、 冬至を優先して春分を正月に入れることで対処したようです。 2033年には春分ではなく秋分との間に問題が生じるのですが、 旧暦の伝統的な考え方からすれば冬至優先というのは自然なことですし、 秋分を9月に入れるのが妥当な対応でしょう。

 ちなみに、現代日本における「暦の権威」である内田正男氏は、 理科年表読本「こよみと天文・今昔」(丸善1981)p.175において、 恒気法から定気法への改訂を「改悪」と評価しています。


2002年6月26日WWW公開用初稿/2010年1月11日最終修正/2012年7月17日ホスト移転

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