現行都府県規模の妥当性

 「道州制」を推進しようとする主張のなかに、交通機関が発達して時間距離が短くなったのだから、それに応じて行政区画を広くするべきだという論法がある。 しかし、この主張は歴史的経緯に照らして正当ではない。 むしろ、これまで広過ぎた都府県の領域が、交通機関の発達で漸く妥当になったと評価するべきである。

 何故そのように評価できるかというと、端的に言えば、下記の表が成立するからである。
自律的な地方自治に適する自治否定の中央集権に適する
明治までの交通状況において明治初期の府県現行都府県
現代の交通状況において現行都府県道州制

 そもそも、現行都府県は1876(明治9)年の3府35県体制(北海道と沖縄県は含まれない)を原型とし、あまりにも広過ぎる県を分割するなどで7県増えた結果として成立したものである。 この体制は、明治政府が西欧列強に対抗するための近代化政策を、中央集権的に強力に推し進めることが目的であったと考えられている。

 その直前の地方行政単位は、廃藩置県4ヶ月後の1871(明治4)年11月に成立した3府72県体制を原型とするものであった。 この体制における府県の領域は、古代の律令体制で定められた「国」の領域と概ね同じ広さ(中央政府の支配が充分に及んでいなかった東北地方を除く)であるし、江戸時代における大きめ(最大クラスではなく、その次のレベル)の大名家の領地の広さとも同程度である。 つまり、近代以前の地方行政領域として自然な広さなのである。

 中央集権のために無理矢理に広く設定した現行都府県であるが、その後の交通機関の発達で広さが問題にならなくなり、結果的に地方分権に適した自然な広さになったのである。 これは、各地域の実情や意思を無視した中央集権のためには狭過ぎる。 道州制の領域の広さは、中央集権を推し進めて地方自治を否定するのに最適である。




2013年11月1日初稿

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