都府県変遷の概観
歴史的経緯が異なる北海道と沖縄県を除く各地の
明治以降の都府県の変遷の概略をまとめてみました。
なお、詳細な変遷経緯については、例えば
石田諭司さんのページや
大豆生田利章さんのページを参照してください。
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明治政府成立の段階で9府22県274藩がありました。
「府」は明治政府直轄の重要地点、「県」はその他の明治政府直轄地です。
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1871(明治4)年7月の廃藩置県の段階では、
東京・京都・大阪以外を全部そのまま「県」にしてしまったので、
3府302県もあり、しかも飛び地だらけでした。
その年の11月までに3府72県に整理しています。
通常、教科書などで「廃藩置県後の状態」として掲載される地図は、
この11月段階のものです。
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1876(明治9)年に、中央集権政策の一環として
大々的な府県の統合が行われ、3府35県になりました。
このとき、ほとんど統廃合の対象となっていないのは、以下の通りです。
東京府・大阪府
青森県・秋田県・群馬県・山梨県・和歌山県・広島県・山口県
(微妙な変更はあります……例えば広島県には福山付近が編入されました)
つまり、ほぼ全ての県が統廃合の対象になったわけです。
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その後、以下の変更がなされました。
- 福井県と富山県を石川県から分離し、滋賀県の一部を福井県に編入
- 堺県を大阪府に併合した後、奈良県を分離
- 鳥取県を島根県から分離
- 香川県を愛媛県から分離
- 徳島県を高知県から分離
- 佐賀県を長崎県から分離
- 宮崎県を鹿児島県から分離
一番最後は1888(明治21)年の香川県分離で、
これにより、現行の都府県が完成しました。
なお、この変更によって、1876(明治9)年の統合がキャンセルされて、
ほぼ元通りに戻ったのは、
新川県(現富山県)・滋賀県・鳥取県・香川県・高知県・伊万里県(現佐賀県)・長崎県
です(滋賀県は大統合以前の1872年に合併した状態に戻ったもので、
1871年11月レベルに戻ったわけではありません)。
他は、分離しても元には戻っていません。
例えば、現島根県=1876(明治9)年以前の島根県+浜田県という具合です。
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なお、1893(明治26)年に三多摩地方を神奈川県から東京府に編入していますが、
府県の数は増減していません。
また、1943(昭和18)年に東京府を東京都に改組していますが、
これは都府県の領域には影響がありません。
1999年12月29日WWW公開用初稿
/2000年10月25日最終改訂
/2005年6月29日リンク&字句修正
/2012年7月17日ホスト移転
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Copyright © 1999,2000 by TODA, Takashi