「連続ドラマ版金田一耕助シリーズ」の論理不整合

 機会があって、金田一耕助の映像作品を系統的に再見しているのだが、改めて「古谷一行主演の連続ドラマ」シリーズに特有の問題点が気になった。 それは、推理小説としての、あるいはそれ以前に小説としての論理的整合性に対して極めて無頓着であるということである。 具体的にどういう問題があるかは後の方にまとめるが、その多くの部分が、ある仮説によって説明できる。 その仮説とは、

というものである。

 この仮説には傍証がある。 第1シリーズ第6話『悪魔の手毬唄』は、製作途中で急遽放映の1回延長が決定して脚本が書き直されたことが知られている。 実際、後半(文子殺害後)の作品内容を見てみると、原作よりも細かい会話を大量に補ったり、謎解き部分で関連する場面が逐一回想される構成にしたりして、時間を引き延ばそうとしたと思われるものになっている。 後半のみがそうなっているということは、それまでの回が修正不可能な段階に至ってから脚本を変更したということになる。

 整合性への無頓着が最も悲惨な結果をもたらしているのは『仮面劇場』であろう。 ネット上の論評では、前半で虹之助の盲聾が本物であることを強調する演出をしながら、最後に「実は演技だった」としてしまったのを「悪質なミスリーディング」と評価しているものが見受けられる。 しかし、おそらく意図的なミスリーディングではない。 途中まで「原作通り」で制作していたのを、原作と矛盾する設定に変えてしまったことによるものであろう。 触覚による読唇術など盲聾でも意思疎通ができたとする設定を描写するだけの尺が確保できず、「演技だった」とすることで短く説明してしまったという可能性が考えられる。

 「矛盾」というほどではないが、全くの「説明不足」になってしまっているのが『本陣殺人事件』と『悪魔が来りて笛を吹く』である。 これは、最終回で尺が足りなくなって、きちんと説明できなくなった可能性が高そうである。 いずれも原作通りの設定なので原作を読んでいれば解るのだが、読んでいない限り理解できないというのは失敗作と評価するべき部分である。

 『仮面舞踏会』も尺不足が原因である可能性が高そうに思える。 しかし、これは原作から変えた部分が説明されなかったというものなので、原作を読んでいても意味不明であり、「説明不足」のレベルを超えてしまっている。 また、原作の設定をどう変更しても状況を合理的に説明できないようにも思え、作中でも金田一に合理的な説明を放棄させてしまっている。 何とか収拾できるだろうという楽観的な見通しで制作を始めてしまった挙句、結局収拾できなかったという失敗なのではないかとも思える。

 もちろん、上記の仮説で全てが説明できるわけではない。 特に『犬神家の一族』を矛盾した設定に変えた理由は、この仮説では説明できそうにない。 一方、『八つ墓村』は判断が難しいところである。 当初は里村慎太郎にマトモな役割を持たせるつもりで制作を始めたが、収拾がつかなくなって存在意義不明に陥ってしまったという可能性も無いとはいえない。

具体例

 この文章で論じているのは、1977年に放送された『横溝正史シリーズI』と1978年に放送された『横溝正史シリーズII』で、共に古谷一行が金田一耕助を演じている。 各回1時間の放送枠で、内容量に応じて2〜6回の連続ドラマとして放送するスタイルであった。 これとは別に、古谷一行が金田一耕助を演ずるテレビドラマには1983年から2005年まで23年間に32作というペースで放送された『名探偵・金田一耕助シリーズ』(『名探偵金田一耕助の傑作推理』)があり、こちらは1回完結の2時間ドラマである。

 「論理的整合性に対して無頓着」な事例というのは、例えば以下のようなものである。 このリストの内容は筆者が気付いたものだけであり、全てを尽くしているわけではない。

第1シリーズ第1話『犬神家の一族』
原作のように旧宅から帰ってきた佐智を松子が殺害して事後に佐清が死体を旧宅へ戻したのではなく、松子が自ら旧宅へ出向いて佐智を殺害しており、わざわざ出向いた理由や、出向いたにも関わらずアリバイが成立した理由が不明である。
第1シリーズ第2話『本陣殺人事件』
金田一が「久―村への道順」を店先で尋ねるが、それが「清水京吉は単に久―村への経由地として一柳家への道順を尋ねた」ことの確認であることは説明されず、金田一の行動の意味が(原作を読んでいない限り)理解できない。
第1シリーズ第4話『悪魔が来りて笛を吹く』
前半で原作通りの密室トリックを導入し、密室になった理由につながる状況も原作通りに提示している。 さらにその直後には、紐を使って外から施錠することによって密室になった可能性を、原作では金田一が口頭で指摘したのみであるところをわざわざ具体的に実演している。 しかし終盤では、換気窓(欄間)を通して絞殺することによって密室でも殺害できたことを示すのみで、どういう理由でどのようにして密室状況になったのかという説明を全く省略してしまっている。 前半で金田一が示した可能性は、原作では「可能性はあっても実現性は低い」という目賀博士の指摘を金田一も認めるくだりがあるが、これも省略されている。 その結果、あたかも金田一が示した可能性が実際に実行されたかのような印象を与えてしまっている。
第2シリーズ第1話『八つ墓村』
里村慎太郎の役割が不明(小竹と小梅が美也子の再婚相手として推していることが示されるのみ)である。 殺害された理由も金田一が特に根拠を示さずに「犯人の正体を知っていたため」との結論を述べたのみで、なぜ知っていたかが全く不明である(状況証拠も見当たらない)。
第2シリーズ第3話『仮面舞踏会』
槇恭吾の殺害や死体移動を誰が何の目的でどのように実行したのかが説明されない。 煕子と津村の密会現場に忠煕が来合わせる設定は原作通りだが、その場で津村が毒殺され、その場面を忠煕も明瞭に目撃する設定に変更されており、さらにその津村の死体が槇の死体に入れ替わった状態で発見されたという設定になっている。 このうち津村の死体の運び出しは美沙が実行しているところを田代が目撃しており、また津村の死体は近くで発見されているので、津村殺害に関しては特に大きな未解明要素は無い。 しかし、槇殺害に関しては最後まで何も判らないままである(原作では津村が死体を移動しているが、死体移動前に津村が死んだ設定に変えてしまっている)。 津村の自動車のトランクに死体を運んだ形跡があったことは原作通りだが、それと死体移動との関連も全く不明なままとなる。 原作のように田代が津村の死体を隠蔽した設定も無い。 終盤では、金田一が「(証人になり得る人物が全て死んでしまった)今となっては詳しいことは判らない、美沙の“火事場の馬鹿力”と考えるしかない」と説明を投げ出してしまっている。
第2シリーズ第8話『仮面劇場』
虹之助の卓抜した嗅覚など盲聾を前提とした設定を原作通りとしているにも関わらず、最後には盲聾が全くの演技であったという説明にしてしまい、盲聾でも意思疎通ができたという原作の説明(中途失明なので読唇術を会得して発語訓練もできており、失明後は触覚で読唇していた)は放棄している。 序盤では原作通りに専門の医師がきちんと鑑定して確かに盲聾であると確認したという設定とし、その後も盲聾が演技ということであれば説明不能な描写が多数あるが、それは全く無視されている。

2019年12月11日初稿/2019年12月17日最終改訂

戸田孝の雑学資料室へ戻る

Copyright © 2019 by TODA, Takashi