楽器で撲殺は可能か?

 推理小説を作る人(原作の作家、映像化の脚本家や演出家)が楽器を小道具として使おうとする事例は多い。 おそらく「絵になる」という感覚があるのだろう。

 問題は、登場人物に楽器で「撲殺」させる事例が少なくないことである。 有名なところでは、エラリー・クイーン(発表時はバーナビー・ロス名義)の「Yの悲劇」が、マンドリンで撲殺された死体が発見されるところから始まるというのがある。 しかしながら、楽器で撲殺は基本的には不可能である。

 「Yの悲劇」ではマンドリンでの撲殺が困難であることは登場人物も認識していて、殴ったことは直接の死因ではなく、元々心臓を患っていた被害者がショック死する契機に過ぎないという議論になっている。 そして、何故このような不適当な凶器を選んだのかということが、終盤に解き明かされる謎になっている。

 このように、原作の作家は楽器が凶器として使えないことをきちんと認識したうえで使っていることが多いようだが、映像化作品では平然と楽器で致命傷を与える事例が少なくない。

楽器が撲殺に使えない理由

 楽器で撲殺が事実上不可能なのは、楽器が「軽い」からである。 勿論、大きな楽器はそれなりに重いが、大きさに見合う重さではない。 大きいばかりでそれに見合った重さを伴わない道具は「殴る」のには不向きである。

 楽器が軽いのは、「音を響かせる」ために「楽器の中の空洞」を利用しているからである。 つまり、「空洞」が存在するので楽器は「軽く」なる。 一定の大きさを有する空洞の中に閉じ込められた空気を伝わる音波は、周囲の壁で何度も反射することによって特定の音高を有する音波が共鳴して増幅され響く。 管楽器だろうと絃楽器だろうと打楽器だろうと、多くの楽器は何らかの形でこの原理を利用している。

 この原理についてよく考えてみれば、「軽くない」一連の楽器群が存在することに気づくであろう。 それは「電子楽器」である。 電子楽器は「空洞を利用して響きを作る」必要が無いから、「軽く大きく」する必要が無いのである。

 例えば、エレクトリック・ギターはアコースティック・ギターと似たような長さだが、圧倒的に薄く、幅も狭いことが多い。 しかし、重さは似たようなもので、むしろ重いことが多いかもしれない。 従って、アコースティック・ギターでの撲殺は困難だが、エレクトリック・ギターならそれほど難しくはない。

 念のため補足しておくと、電子楽器以外でも「空洞」を利用しない楽器は少数ながら存在する。 典型的なのは木琴や鉄琴(下に共鳴管を伴わないもの)あるいはトライアングルなど、材質自体の固有振動を利用する楽器である。 鉄琴の鍵盤を1個だけ取り外せば、撲殺に使えるかもしれない。

「女王蜂」における撲殺

 横溝正史の「金田一耕助もの」に「女王蜂」というのがある。 「月琴」という「胴が丸い絃楽器」が殺害現場に血まみれで放置されているという状況が複数回出てくるのだが、それが凶器というわけではなく、犯人が特定の人物に過去の殺人事件を連想させるためのアイテムとして使われている。

 横溝正史は、自身には音楽演奏経験は無いものの、クラシック音楽に造詣が深かったことで有名である。 長男の横溝亮一が音楽担当の新聞記者から音楽評論家になったことも、その影響とされている。

 横溝正史の「由利麟太郎もの」に「蝶々殺人事件」というのがあり、序盤で死体がコントラバスのケースに詰められた状態で発見されるという展開になっている。 このアイディアは身近にいた音楽専攻の学生との議論の中で出てきたもので、江戸川乱歩の「一寸法師」での「死体をピアノの中に隠す」というトリックは不可能だが、コントラバスのケースなら可能だという話から始まっているという。 作中でも、コントラバスのケースを引き摺りながら持ってきた登場人物に対して、仲間が「そんな重いものではないだろう」と茶化す展開がある。

 「女王蜂」の原作において、あたかも月琴が凶器であるかのように放置されているが実際の凶器は別にある、という設定になっているのも、原作者が楽器というものに馴染みが深いゆえのことだろう。 しかし、これが映像化作品になると、月琴そのものを凶器にしてしまっている事例が以下のように散見される。

制作年金田一耕助状況
1952年(劇場映画)岡譲二(未確認)
1978年(劇場映画)石坂浩二月琴とは別に凶器がある(但し月琴が凶器だと認識している登場人物あり)
1978年(TVドラマ)古谷一行月琴とは別に凶器がある
1990年(TVドラマ)役所広司(未確認)
1994年(TVドラマ)古谷一行月琴で撲殺(しかも非力なヒロインが悪役を)
1998年(TVドラマ)片岡鶴太郎(未確認)
2006年(TVドラマ)稲垣吾郎月琴で撲殺


2025年11月20日初稿

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