通算第12回(1997年10月号)

 Jurassic Parkの冒頭には尺八が登場します(今回はFluteでオクターブ高く吹替え)。 他にも「ぐるりよざ」に龍笛(りゅうてき)が使われるなど、吹奏楽でも邦楽の楽器が出てくる曲がいろいろあります。 打楽器(和太鼓、鉦鼓など)に至っては、コンクールの課題曲にまで出てきます。 そこで、邦楽器のことを少し見てみましょう。

第4講:邦楽に親しもう(第1回)

 邦楽の管楽器でも倍音(ハーモニックス)を使います。 笙(しょう)あたりだとコントロールが利かないので基音のみが用いられますが、尺八などでは倍音を常用します。 (ちなみに笙はハーモニカと同類のリード楽器で、息を吸っても音が出ます)

 邦楽では第2倍音以上の音のことを「甲(かん:「こう」とは読まない)」、基音のことを「乙(おつ)」と呼びます。 「甲高い(かんだかい)」という表現の元々の意味は、倍音のことだったんですね。 また、基音に渋みのある独特の雰囲気があることから、「乙(おつ)だね」という表現が生まれました。

 さて、尺八で通常出せる音は、下図左のようなものです。 ところが、Jurassic Parkの楽譜は下図右のようになっています。 EやDbの音は出ないハズなんですが……

 実は、尺八の奏法では、アンブシェア(口啌の形状および楽器との位置関係)の調整で、本来の音より全音又は半音低い音、あるいは半音高い音を出すという方法が、常用されます。 指穴を半分かざす方法を補助的に用いることもありますが、アンブシェアが基本です。

 邦楽の用語では、管楽器の音を微調整して低めることを「滅る(める)」、高めることを「甲る(かる)」と言い、低められた音を「メリ音」、高められた音を「カリ音」、両方合わせて「メリカリ」と呼びます。 ちなみに弦楽器の場合には「甲る(かる)」の代わりに「張る(はる)」と呼ぶので、「メリハリ」となります。 これは現代でも日常用語として用いられていますね。

 Jurassic Parkの譜面をよく見ると、E音と次のF音の間にグリッサンド記号が書いてあります。 これは、E音をF音のメリ音として鳴らしたあと、アンブシェアの調整でスラーでF音へ移行せよという意味なわけです。

尺八の基本音 Jurassic Parkのオープニングの曲に登場する尺八の譜面


通算第13回(1997年11月号)

第4講:邦楽に親しもう(第2回)

 平安遷都直後の797年に、日本書紀の続編として作られた「続日本紀(しょくにほんぎ)」という歴史書に、和銅6(713)年の事件として、次のような記述があります。

……銅鐸を長岡の野地に得て、之を献ず。 高さ3尺、口径1尺、其の制、常に異にして、音、律呂に協ふ。……(原文は漢文)
つまり、長岡で出てきた銅鐸は、見慣れない異様なものであったが、音を鳴らしてみたら「律呂(りつりょ)」に協(かな)っていた、というのです。

 「律呂」は「呂律(りょりつ)」とも言い、さらになまって「ろれつ」とも読まれます。 そう、「ロレツが回らない」という時の「ロレツ」の語源なのです。

 では「呂律」とは何でしょうか? これは「呂と律」という意味で、「呂」「律」というのは、西洋音楽の「長調」や「短調」の区別にあたる「旋法」の名前です。 おそらく銅鐸は複数出てきたのでしょう。 で、それを並べて鳴らしてみたら、きちんと音階になっていたということだと思われます。

 「呂律」という言葉は、本来の意味から派生して、まず「音程をきちんと取って音階を作ること」という意味になったと考えられます。 それが、「きちんと歌えること」→「歌詞を正しく発音できること」→「言葉を正しく発音できること」というように意味が転じて、現代語のような意味になったのだと思われます。

 「呂律」は具体的には下のような音階になります。 一般にはDを主音に書くことが多いのですが、これは雅楽の基準音である「壱越(いちこつ)」が西洋音楽のDに近いというだけの理由なので、ここではわかりやすいようにCを主音にしました。

律旋法呂旋法(演歌の「ヨナ抜き長調」と同じ)

 同じ邦楽でも俗楽にはまた別の旋法があります。 Eを主音にしたのは、#もbも付けずに済むからで、深い意味はありません。 ちなみに、この調だとAで終止することになる曲が多く、このことが邦楽を短調に近く感じる原因になっています。

陽旋法(田舎節)陰旋法(都節)


通算第14回(1997年12月号)

第4講:邦楽に親しもう(第3回)

 音楽は、元をたどれば生活の場面の中で自然と歌われてきたものです。 特に民謡には、特定の生活場面がはっきり意識されたものが数多くあります。 子守歌、木挽歌etc.

 そこで、今回は思いきって「音楽らしい」ところから目一杯離れて、「音楽的要素を持った生活風景」を探してみましょう。 代表的なところでは、例えば杜氏の歌があります。 酒作りの作業をしながら歌うわけですが、これは歌の長さで時間を測り、発酵時間を調節しているのだと言われています。

 歌を伴わないリズミカルな風景というと、例えば水車小屋でしょうか。 もうちょっと人為的なリズムとしては、鍛治屋の作業風景を挙げることができます。

 世界的な芸術品とも言われる日本刀は、当然ながら刀鍛治の高度な伝統技術に負うものです。 刀鍛治の作業で最もリズミカルな部分は、真っ赤に熱した刀身を槌で叩いては水冷するという作業を繰り返し、形を整えながら最適な硬度と粘度を得る作業です。

 この作業は1人で行うこともありますが、2人組で行うのが一般的です。 これは、刀身が冷えないうちに手早く強く叩いて、形を整えるためです。 ですから、1回1回確かめながらなんて悠長なことはできず、矢継ぎ早に叩かねばなりません。 2人でリズムをうまく合わせないと、同時に叩こうとして槌同志が衝突するなど、とんでもないことになります。 つまり、「トンテントンテン……」という心地好いリズムが聞こえてくるようでなければ、まともな鍛治の仕事にならないというわけです。

 2人のうち、下で刀身を持って支えながら叩いている人がメインの職人で、横から大きな槌で叩きつける人が助手です。 助手の大きな槌のことを「相槌(あいづち)」と呼び、相槌で叩くことを「相槌を打つ」と言います。

 相槌がうまく打てず、リズムが乱れて作業がつっかえてしまう状態を「トンチンカン」と表現します(「頓珍漢」は当て字)。

 NCEでも、トンチンカンな演奏をした奴に「ヤキを入れる」ことにしましょうか? え、何を過激なことを言ってるんだ、ですって? いえいえ、深い意味はありません。 ただ、「ヤキを入れる」というのも、元々は鍛治の言葉だと言いたかっただけです。 刀などを何度も熱しては叩き、鍛えていくという意味なんです。



通算第18回(1998年4月号)

クリスマス会ネタも区切りがついたところで、邦楽の話題に戻りたいと思います。

第4講:邦楽に親しもう(第4回)

 前回までの話題の中で、「甲高い(かんだかい)」「乙(おつ)」「滅り張り(めりはり)」「呂律(ろれつ)」など、邦楽起源の言葉について見てきました。 今回はそのような言葉をいくつか集めてみましょう。

【打合せ】

 雅楽というのは吹奏楽に似たところがあって、多人数の管楽器と少人数の打楽器で演奏するという形態が普通です(本来は弦楽器も入るべきだが、省略してしまうことが多い)。 演奏者が舞台に全員乗ったところで、曲を始める前に音を鳴らしてみる手順があります。 演奏者同志(特に打楽器奏者と管楽器奏者)が互いの調子を確認して呼吸を合わすためと言われていますが、まあ舞台上チューニングみたいな感覚でしょうか? この手順が「打合せ」という言葉の元々の意味です。

【音頭取り】

 雅楽には指揮者が居ません。 しかし、誰かが体や楽器を振ったりして、曲を始めるタイミングを測るなんてこともしません。 どうするかというと、誰か指導的地位にある奏者の1人(通常は龍笛(りゅうてき)の主席奏者)が最初の1フレーズを独奏し、それを全員でリフレインすることで曲を始めます。 この独奏のことを「音頭(おんど)」と呼び、独奏者のことを「音頭取り」と呼びます。

 「音頭」という言葉は、その後、リズムに乗りやすい曲のことを呼ぶようになってしまいましたが、本来の意味とは少しズレているようですね。



通算第19回(1998年5月号)

第4講:邦楽に親しもう(第5回)

 「転調」が嫌いな人は居ませんか? 「#5つ」から「b4つ」へ転調なんて言うと、眉をしかめる人も居るようですね。実は雅楽にも「転調」があります。 それに由来する言葉を拾ってみましょう。

【調子に乗る】【図に乗る】

 どちらも、現在ではあまり良い意味には用いませんよね。 ところが、元々はそんな悪い意味の言葉じゃないんです。

 調子というのは、この場合は音楽上の「調」のことを指します。 また、図というのは、ここでは「調」の変遷を示した図表のことを指します。 このようなものに「乗る」というのは「うまく乗る」というニュアンスで、つまりは「うまい具合に迷わずに転調できた」ことを意味する言葉です。

 声明(しょうみょう)における転調は非常に難しく、これがうまく行くと「やった、成功した」というので有頂点になり、やり過ぎて、かえって失敗の原因になったりしがちです。 このような様子を指す意味から現在のような意味に転じてきたようです。

【二の句が継げない】

 雅楽には詩句を三段に分けて歌う形式があります。 その第二段のことを「二の句」と呼びます。 この場合、二の句はA―B―A形式のBに相当するわけで、転調はしないまでも、音域が高くなります。 そのため、声が続かなくなることを「二の句が継げない」と表現したのが、そもそもの意味だそうです。



通算第20回(1998年6月号)

語源解説シリーズの様相を呈してきた第4講ですが、そのままの勢いでこの講の最終回に突入したいと思います。

第4講:邦楽に親しもう(第6回)

 以前にも少し触れましたが、邦楽は「雅楽」と「俗楽」に大別できます。 「雅楽」というのは、律令国家成立の段階で公式音楽として制定され、その後宮中で発達したものです。 それ以外の音楽は全て「俗楽」に属することになります。

 要するに「俗楽」というのは「その他全て」ですから、何でも含まれることになります。民謡はもちろんのこと、「能楽」「文楽」「歌舞伎」も「俗楽」の一種に分類されています。 あんなの舞台芸能じゃないか、どこが音楽なんだ、という声もあるかもしれませんが、特に能楽では「1曲舞う」と表現するんですよ。

 そもそも雅楽では、演奏形態を「舞楽(舞を伴うもの)」と「管絃(楽器演奏だけのもの)」に大別します。 このように、邦楽では「舞」という要素が非常に重視されるのです。 そういえば、西洋音楽でも「オペラ」や「バレエ」が重要視されますね。

 というわけで、「舞」を伴う邦楽に関する言葉をいくつか拾ってみましょう。

【仕手】

 言葉の意味は「行う人」ですが、能楽の主役を意味する言葉として用いられたところから転じて、「ものごとを巧みに遂行する人」という意味になり、さらに株や証券などで投機目的の派手な取引を進める人のことを指すようになりました。

【二の舞】

 舞楽に「安摩」という曲があります。 最初に一人が踊り(これを「一の舞」と呼ぶ)、続いて別の人がこれをまねて「二の舞」を踊るのですが、いささか滑稽に舞われます。 このことから、他人のまねをして失敗することや、さらに転じて他人の失敗を繰り返してしまうことを「二の舞」と呼ぶようになりました。

 なお、「二の舞」は「演じる」ものです。 時々「二の舞を踏む」という人が居ますが、これは「二の足を踏む」との混同です。

【楽屋】

 元々は舞楽の伴奏をする楽人の演奏場所でしたが、舞台裏の幕内であることから、舞人が出演直前に衣裳を整えるのに転用されました。 そして、この転用された利用法のみが能楽に継承されたことから、今のような意味になったようです。



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