通算第15回(1998年1月号)

第5講:クリスマス会の問題から(第1回)

 今月からしばらく、邦楽の話を中断して、クリスマス会のクイズで解説が中途半端になった問題について説明してみたいと思います。 今月は「道路」の10点の問題です。

 問題は「京都市内を通る国道の番号を全て挙げよ」というものでした。 正解の各路線を地図に記入すると下左図のようになります。 特に出なかったのが477号ですが、市域の端っこのマイナーなところばかり通過する変な路線なので、無理も無いでしょう。

 477号は、西は妙見山麓を通って川西へ、東は琵琶湖大橋を渡り、鈴鹿スカイラインを通って四日市まで続いているのですが、この間妙なルートが盛り沢山です。 代表的な3例を下右図に示します。 どうしてこんな変なルートになったのでしょうか?

 実は、主要路線を除く多くの国道は、国(建設省)が直接管理せずに都道府県に管理を委任し、その費用を「国庫支出金」として支払っています。 従って、都道府県道が国道に昇格すれば、管理体制は従来通りのままで、予算が潤沢になり道が良くなるというわけです。 また、「国道が通っている」ということ自体が地域のステータスにもなります。 ですから、地元では熱心に昇格を要望します。

 ところが、建設省としては、なるべく国道の数を少なく抑えたいと考えます。 そこで、各地元が要望する道路を無理矢理つないで「1本の道」として国道指定するという妥協的なことをします。 その結果、不自然に曲がりくねった国道ができるというわけです。

京都市内の国道 国道477号の変な経路
解説地図デジタル化:浅田武士氏(長岡シティアンサンブルFagott奏者)


通算第16回(1998年2月号)

第5講:クリスマス会の問題から(第2回)

 先月に引続いて、クリスマス会クイズの「道路」の10点の問題です。

 「京都市内を通る国道を全て挙げよ、但し余計なものを書くと減点する」という問題に対し、161号という誤答で減点されたチームが多かったようです。 実際、161号の山科付近のルートは下図のようになっています。 本当にギリギリのところで京都市内に入っていないわけで、間違いが多かったのは無理もありません。

 161号が京都市内に入っているように誤解しがちなのは、滋賀県大津市が逢坂峠より西に飛出しているという不自然な境界線のせいでもあります。 これは律令以来の山城國と近江國の境界線を踏襲したものです。 というより、実は律令以前から「畿内」と「東国」の境界がここにあったのです。

 古来、近江は近畿政権が東国に対峙する守りの地域でした。 そして、その「防衛線」として意識されていたのは、「峠」よりも、むしろ「川」なのです。 これには呪術的な「みそぎ」の発想が背景にあったと言われています。

 「防衛線」としての川は「3段構え」と意識されていました。 最初が瀬田川を渡る唐橋、次が大津宿東側の吾妻川を渡るところ、最後が山科盆地に降りたところの四宮川原です。 軍事的に意味のある防衛線は瀬田唐橋だけですが、呪術的発想としては全部同格です。 そして、その中の「最後の一線」である四宮川原が境界とされたわけです。

 ちなみに、実際に瀬田唐橋が防衛線となった戦争の代表的なものとして、次の3つを挙げることがあります(戦争の規模よりも、結果の重要性で選んであるようです)。

弘文天皇×天武天皇(672年)
木曽義仲×源義経&範頼(1184年)
松永久秀×織田信長(1568年)
ことごとく防衛に失敗しているところが御愛嬌ですね。

逢坂峠付近の道
東海道は江戸時代のもの
(古代の東山道もほぼ同じだが正確なところは不詳)
琵琶湖の湖岸は戦後の埋立以前のもの




通算第17回(1998年3月号)

第5講:クリスマス会の問題から(第3回)

 クリスマス会クイズ解説の最終回は「どっちが偉い」の40点の問題です。

 問題は、掃部(かもん)・右近(うこん)・左門(さもん)・主水(もんど)を偉い順番に並べよというものでした。 この種の名前は、7世紀後半に整備された律令に定められた役職名に基づいており、各役職の格付けも定められていました。 後世になると、武士が権威づけのために朝廷の役職につこうとするようになり、役職が必ずしも実態を伴わないようになりました。 しかし、格付けだけはずっと受け継がれたのです。

 問題に挙げた4つは、全て役所の名前です。 律令の役職は「大臣」や「納言」といった幹部職員を除いて「どこそこの役所の長官/次官etc.」という名前になっており、特に長官の場合には役所名だけで呼ばれることが多かったのです。
#よくある地名を冠した職名も例外ではありません……
#例えば「山城守」というのは「山城国府」という地方機関の長官という意味です。

 こういうわけですから、時代劇の中でこのような名前の人がどの程度偉いかを考えれば、本来の格付けも大体見当がつきます。 ところが、例外が1つだけあります。

 律令では、各役所の長官、次官、判官(ほうがん or はんがん)、主典(さかん)という4段階の職が定められていました。 後世の武士が名乗るのは普通は長官か次官なのですが、左門は判官であることが多いのです。 これは、左門というのが元々軍事職で、平安末期の武士が実態に即して判官によく任じられた伝統に従っているからです。

 問題は長官同志で比較してということですから、左門だけは江戸時代のイメージより少し高いところに並べる必要があります。

 解答は以下の順序です。各役所の職務と長官次官判官の名称も、参考として示します。

(1)右近=右近衛府(さこのえふ)

【職務】天皇の親衛隊(左右2隊あるうちの一方)
【長官】右近衛大将【次官】右近衛中将・右近衛少将 【判官】右近衛将監(しょうげん)

(2)左門=左衛門府(さえもんふ)

【職務】皇居の警備(左右2隊あるうちの一方)
【長官】左衛門督【次官】左衛門佐【判官】左衛門尉

(3)掃部=掃部寮(かもんりょう)

【職務】儀式や宴会の設営
【長官】掃部頭【次官】掃部助【判官】掃部允
(同格の役所に内匠(たくみ)内蔵(くら)など、微妙に格の高い役所に図書(ずしょ)主税(ちから)玄蕃(げんば)などがあります)

(4)主水=主水司(もんどのつかさ)

【職務】水・粥・氷室の管理
【長官】主水正【判官】主水佑(次官は存在しない)
(同格の役所に采女(うねめ)織部(おりべ)などがあります)

(2)(3)の長官は「〜のかみ」、次官は「〜のすけ」、判官は「〜のじょう」と読みます。 (4)も長官は「〜のかみ」ですが、次官を欠くため、判官を「〜のすけ」と読みます。
#蛇足ながら、遠山の金さんは「さえもんのじょう」で、実は「左門」なわけです。



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