もののけ姫のCDは何種類か出ています。 今回の編曲は作曲者自身が映画音楽から何曲か選んで編曲し直して作った「交響組曲」に概ね従っていますが、実際の映画音楽の大部分を登場順に並べた「サウンドトラック」にも一部準拠しています。
主人公アシタカヒコが何かに立ち向かっていく場面のモチーフです。 映画冒頭(1)で短縮版が登場し、エンドロールで長い版(33)が演奏されます。 組曲は(1)のイントロに(33)を続けたものに準拠しています。 今回の編曲では中間部をカットしてあります。
組曲では、映画冒頭のナゴの守(タタリ神)登場の曲(2)のイントロを変え、ホルンの第2主題提示を少し長くした上で、コーダ部分へ入らずに乙事主の敗走(タタリ神化する直前)の曲(25)へ進み、再び(2)の第2主題提示から最後まで進んで終わります。
今回の編曲では、イントロを除いてサウンドトラックの構成に戻してあります。
サンの看病で回復したアシタカが目覚め、山犬のモロと対話する場面で、米良美一氏のファルセット(カウンターテナー)により歌われる曲(20)です。 森でシシ神に命を救われたアシタカにサンが干肉を喰わせる場面でも、ケーナを中心とする器楽バージョン(18)がありますが、組曲は(20)を基本として間奏を大きく変え、最後にMaestoso反復を追加しています。 今回の編曲では、組曲のバージョンを基本として歌が2コーラスあるのを1コーラスに減らして(主として2回目に準拠)最後のMaestosoも削除し、歌曲の終わり方を短縮した形で終わっています。
前半は、首を取られたシシ神が迷走し始める場面の曲(28)の主題(効果音の背後に埋もれており、意識しないと旋律として聞こえてきません)から作ったマーチで、この形で映画には出てきません。 その後、タタリ神化した乙事主をシシ神が命を吸い取って鎮める場面の曲(27)へ進み、更にマーチの途中へ戻ったあと、コーダに入って終ります。
今回の編曲ではマーチのA―B―A'形式のB―A'をカットしたうえA'の構成を参考に更に切り詰めた上で、A'の末尾へ進み、(27)の終りからいきなりコーダに入って終ります。 このコーダへの接続の流れは、シシ神が首を取り戻す場面の曲(30)……(27)と同じモチーフを使って似た雰囲気に作ってある……の末尾の進行を利用しています。
シシ神が朝日の中で湖に消えた後、緑が芽吹く中でのラストシーンの曲(31)です。 組曲ではサウンドトラックより長く延ばしてあります。 今回の編曲では、オーケストレーションは組曲に近くしてありますが、構成的には、メドレー版はサウンドトラックに準拠し、エンディング用のロングバージョンは組曲に準拠しています。
文中()内はサウンドトラックでの曲順です。
呪いの痣を受けたアシタカが宿命を背負って西へ旅立つ場面の曲(3)です。 組曲ではカノンに発展し、更にMaestosoで再現して終りますが、この形は映画には登場しません。
なお、映画音楽では龍笛や篳篥(ヒチリキ)が登場しますが、組曲では通常のオーケストラ管楽器に置換えられています。
ちなみに、この主題は「もののけ姫のテーマ(歌曲)」の旋律の最後の部分を2ndに率いる形に作られており、ジゴ坊との遭遇後の出発の場面(5の後半)で用いられている他、アシタカとサンが絡む場面、即ち最初の遭遇(6)、瀕死のアシタカとの言い合い(16)、瀕死のアシタカをサンが森へ連れてきた場面(17)、シシ神が暴れ出した状況下での喧嘩の後(29の冒頭)で使われています。 (6)や(16)では龍笛と篳篥の二重奏ですし、(29)でも龍笛を使っているようです(聴き取りでは判別困難)。
映画全体を通して、龍笛や篳篥はこの主題以外には用いていないようです。 歌曲(20)の最後のリフレインは、聴き取りでは判別困難ですが、龍笛を意識した電子音だと思います。 いずれにしても、この主題の2ndの旋律そのものですが……
瀕死のアシタカをサンが森へ連れて行った場面の曲(17)に準拠しているようですが、類似の曲は、アシタカがコダマに導かれて初めて森へ立ち入った場面(7の末尾)や、その直後にシシ神に初めて遭遇する場面(8)、瀕死のアシタカが居る森へシシ神が戻る場面(サウンドトラックには不採用)でも用いられています。
(17)の後、ファゴットのソロから始まる発展部に入り、別主題のマーチを経由して発展部に戻って終りますが、この発展は映画では使われていません。 マーチの主題も映画中からは発見できませんでした。 いずれも、イメージアルバム(製作途上の試作品を事前広報目的で公開したもの)での形に基づいたものです。
冒頭はアシタカが気絶したサンをタタラ場から連れ出す場面の曲(15)を元にしていますが、和声や合いの手がかなり追加されています。 その後、タタラ場から追いかけてきた武士を蹴散らす場面の曲(23)へ進み、負傷したヤックル(カモシカ)を連れて猪たちとの戦いの跡へ向かう場面の曲(23の続き)を更に発展させたあと、(15)の途中へ戻って最後まで再度進みます。
(23)は憎しみの象徴である「呪われた痣」の霊力の暴力的な発揮のテーマで、冒頭で里へ降りたアシタカが武士を蹴散らす場面(4)でも短縮版が使われています。 レクイエム(15)は種々に使われており、合いの手を廃して和声進行のみにしたものは、アシタカがナゴの守(映画冒頭登場のタタリ神)の最期を乙事主に語る場面(19)で、その短縮版は、タタラ場の男が猪たちとの戦いで見た地獄を語る場面(24)で用いられています。
文中()内はサウンドトラックでの曲順です。
イメージアルバムは、映画製作途上の試作品を、事前広報目的で公開したものです。 従って、ほぼそのまま映画に採用されたものもあれば、全く使われなかったものもあります。 アシタカ記[1]タタリ神[2]アシタカとサン[10]は、構成的には概ね踏襲した形(33)(2)(31)ですが、音色はかなり変わっています。 特に[1][2]で琵琶・二胡(胡弓の一種)・能管といった東洋楽器を多用し、[2]で獣が吠える擬音を使っていたのが、共に取り止められています。 前回も述べたように、東洋楽器は「アシタカとサンが絡む場面のテーマ」に限定的に用いることで、効果を高めようとしているようです。 しかも、龍笛・篳篥という雅楽に用いる正統的な楽器を選択しています。
もののけ姫[4]は、歌曲という基本線はそのままなのですが、龍笛の前奏に導かせて、幼い声質の歌手(もしかして本当に子供?)に技巧的にならないように明るく歌わせていたのが、映画では御存知の通りの円熟したカウンターテナー(20)で、前奏も神秘的な雰囲気を漂わせています。 器楽バージョン(18)もケーナで浮世離れした唄にしていますし、エンドロール前半の曲(32)に至っては、ア・カペラ(無伴奏)で始めて独特の雰囲気を作るという技に出ています。
コダマ達[8]は、曲想は概ね元通りですが、第1主題の主旋律が捨てられて第2主題のみになっています(7)。 シシ神の森[6]は、動機を採用しただけの、全く別の音楽(17etc.)になってしまいました。 面白いのは、映画公開の1年後に発表された「交響組曲」が、映画音楽(17)の後にイメージアルバム[6]を続けたものを元にしていることです。 作曲者のイメージアルバムへのこだわりが主張されているのかもしれません。
作曲者のこだわりといえば、タタリ神[2]を映画音楽(2)で短く切り詰めたうちの一部を交響組曲では元に戻していますし、アシタカとサン[10]のリフレインを止めて全体を半分にした(31)も元に戻しています。 また、細かい話ですが、アシタカ記[1]の中間部(今回の編曲ではカット)へのAuftakt(音4つからなる上昇音階)の問題があります。 イメージアルバムではこのAuftaktだけが唐突に長音階だったのが、映画音楽(33)では素直に短音階になり、交響組曲では長音階に戻っています。
ヤックル[5]犬神モロの公[9]の2曲は、映画音楽の中に相当するものが全く見出せませんでした。 エボシ御前[7]については、登場時にタタラ場との関連を印象付ける場面(9)(11)で第2主題が使われていますが、あまり印象的な使い方ではありません。
面白いのが失われた民[3](アシタカの一族の意味?)で、第1主題の奇妙な行進曲は捨てられて、第2主題の哀歌(エレジー)だけが、何故か「タタラうた」(12)に化けてしまいました。 確かに「民の唄」に違いはないけど、状況が違うじゃないか!
文中[]内はイメージアルバムでの曲順・()内はサウンドトラックでの曲順です。
最後の部分が「旅立ち」=「アシタカとサンの絡み」に発展していることは第2回で見ました。 その他、全体を勇ましく編曲したものが、サンがエボシ御前を狙ってタタラ場を襲う場面(13)で使われています。 また、タタリ神化した乙事主にアシタカが立ち向かう場面の曲(26)の冒頭にも最初の動機が一瞬現れます。 サンがタタリ神化に巻き込まれていることを表現しているわけです。
エボシ御前とナゴの守の対決を回想する場面(10)は単なるショートバージョンですが、 タタリ神化した乙事主にアシタカが立ち向かう場面(26)は、曲をバラバラの旋律断片に分解し、「アシタカ記」の断片と 合わせて組み直してあります。 アシタカがサンを助けるため乙事主の所へ向う場面(サウンドトラックには不採用)も同様の作り方です。
上述の(26)以外に3ヶ所ほど見られます。 ジゴ坊と出会って話をする中で自分の旅の意義に不安を抱く場面(5の中ほど)、エボシ御前の話に対する憤りで暴れ出した「呪われた痣」を鎮めたあと石火矢衆の頭目から彼女の功徳面を聴かされる場面(11後半)、サンとエボシ御前の対決を制止するべく向かう場面(14)です。 いずれもアシタカが精神的な意味で何かに「立ち向かって行く」状況だと言えるでしょう。
サウンドトラック(28)と交響組曲7曲目とは、第1回でも見た冒頭部分以外にも、多数の動機が共通しています。 しかし、動機を組合わせる順序や具体的な旋律の唄い方は全く異なります。 同じ食材から全然違う料理を作っているようなものですね。
同じシシ神が暴れる場面でも、サンがアシタカに協力してシシ神を鎮めようと決意した後の場面(29)では、「旅立ち」=「アシタカとサンの絡み」の二重奏が再度分解され、1stは長い音符で構成される断片の繰り返しによる対旋律、2ndは細かい音符の通奏低音という形で、「黄泉の世界」の本来の動機と組み合わされています。
穢土(5)の冒頭・戦いの太鼓(21)・タタラ場前の戦い(22)については、「交響組曲」や「イメージアルバム」に収録された曲との関連性が見出せませんでした。
文中()内はサウンドトラックでの曲順です。