通算第93回(2004年7月号)

 秋の演奏会の曲目も一通り決まり、全て本格的な練習に入りました。 いくつかの曲について見てみましょう。

第17講:演奏会曲目をめぐって(第1回)

 「バックドラフト」はテレビ番組「料理の鉄人」で有名であり、第6回演奏会でも、このパロディを行うために演奏したのですが、本来は消防士の兄弟を主人公とする映画の音楽です。 「バックドラフト」というのは、火事になった建物の中で酸欠状態になって「燃えたくても燃えられない」状態になった燃焼ガスが、ドアを開けた途端に爆発するという、消火活動中の事故原因にもなる現象のことです。

 サウンドトラックでは、映画中の重要な科白に基づく曲名が各々ついていますが、その曲が使われている場面とは無関係です。 今回演奏する「show me your firetruck」も、クライマックス直前のラブシーンでの科白に基づく曲名ですが、実際使われているのは最後の「後日談」の部分です。 この後日談は、ダメ消防士だった弟がベテラン消防士として活躍している様子を描くもので、基本は「消防車の出動シーン」です。 出動に際しての目まぐるしい情景変化に音楽が対応しているので、演奏に際しては「細かい場面転換」を意識する必要があるでしょう。 各々の場面は、以下のようになっています。

Aまで:弟消防士が物思いにふけっている→出動指令が入ってテンポアップ
Aの3小節目:消防車の周囲で隊員たちが慌ただしく動き始める
B:装備を手に、相変わらず物思いにふけっている弟消防士
Bの4小節目:消防車周辺の情景/6小節目:弟消防士が棒を滑り降りてくる
Bの7小節目:隊員が集まってくる/Cの直前小節:先に準備完了してイラつく隊員
C:悠々と消防車に向かって歩く弟消防士/Cの4小節目:消防車が動き始める
Dの直前小節:消防車がクラクションを鳴らし、弟消防士は消防車に飛び乗る
D:消防署を出る消防車/Dの6小節目:動き始めた消防車の車内風景
Dの11小節目:弟消防士が新人に隊服の取扱いを教える(冒頭シーンと対応)
L(転調):新人の隊服が整って、弟消防士が椅子に落ち着き、外を眺める
Mの直前小節:弟消防士を車外から写す/N:走って行く消防車を上空から写す
Oの4小節前:消防車の姿がアングルから外れ始める/O:夕焼けに染った街の遠景



通算第94回(2004年8月号)

 第1部の2曲目「Ye banks and braes o' bonnie Doon」について見てみましょう。

第17講:演奏会曲目をめぐって(第2回)

 この曲はスコットランド民謡をP.A.Graingerが吹奏楽曲としたものです。 演奏会のアンコールの定番にしている楽団もあるという、一部で根強い人気のある曲です。 ところが、曲名をきちんと和訳してある例をあまりみかけません。 多いのが「Ye banks」を訳さずに「イェバンクスと……」としている例です。 それじゃ変なんですけどね。

 元々この曲は、日本では「蛍の光」の原詩の作者として知られている、Robert Burns(1759〜1796)が、古くから伝わる民謡を収集し、それに相応しい歌詞をつけた作品の1つです。 Burnsは、どぎつい風刺詩なども多数作っているようなのですが、この曲の歌詞としてつけた詩は恋歌です。 いずれにしても、詩がスコットランド語で書かれているので、現代英語しか知らない我々から見ると、見慣れた単語の中に、見たことも無い単語が大量に混ざっているようなものになります。

 曲名は、詩の最初の節そのままです。 「Ye」は「You」、「braes」は「hills」の意味で、他は現代英語と同じです(「o'」は「of」の省略)。 「banks and braes」は訳せば「堤と丘」ですが、ひとつながりの「川岸の丘」ですね。 それが「bonnie Doon」つまり「美しいドゥーン川」にあるわけです。 そして、以上6語全体が最初の「Ye」と同格です。 ですから、時代がかった文語表現で訳せば「汝、麗しきドゥーン川の堤丘よ」とでもなるところなんでしょうが、現代口語では最初の「Ye」のニュアンスが出しにくいところですね。 まあ、「美しきドゥーン川の堤と丘よ」とでもして、最後の「よ」にニュアンスを込めるというのが妥当なところでしょうか。

 というわけで、「イエ・バンクスと……」という訳は構文を解し損った誤訳です。 正しくは「Ye “《banks and braes》 o' bonnie Doon”」という構造なのですが、これを「“Ye banks” and “braes o' bonnie Doon”」と解釈してしまったのですね。 「Ye banks」の意味が解らず、人名か何かとでも思ってしまったのでしょうか? 調べてみると、この誤訳は佼成出版社が採用したことで広まってしまったようです。 佼成も迂闊なことはしないで欲しいんですけどね。 自分の影響力を考えて欲しい……

インターネット向け補記

 結局、演奏会では「美しきドゥーン川の岸辺よ」という訳を採用しました。 「堤と丘」というのは原語に忠実ではあるのですが、読んだときに「しつこい」感じがするので避けることにしました。 「土手」というのも考えたのですが、「ドテ」という音の響きが悪いので敬遠し、「ほとり」は、活字にしたときに変なところに平仮名ばかり続いて読みにくくなるので敬遠しました。

 ちなみに、「美しきドゥーン川」と訳さずに「ボニー・ドゥーン」のままにするのは、必ずしも間違いとは言い切れません。 「bonnie」は枕詞的に使われているようで、「Bonnie Doon」で1つの固有名詞であるかの如く扱われることもあるようです。 ただ、本当の河川名はあくまで「Doon」のみだということを解って使っているのなら良いのですが、どうもそうではない例が多いような気がします。



通算第95回(2004年9月号)

 第2部の2曲目に、第8回演奏会で採り上げた「追憶のテーマ」を演奏しますが、 これについて見てみましょう。

第17講:演奏会曲目をめぐって(第3回)

 「追憶のテーマ」は、その名の通り、1973年製作の映画「追憶(The Way We Were)」の主題歌ですが、日本ではネスカフェのコマーシャルソングとして知っている人の方が多いかもしれません。 映画でヒロインを演じているバーブラ・ストライサンドが、主題歌も歌っています。 最初のタイトルバックで、ほぼ完全な形で歌われた後、旋律の断片は映画中に何度も出てきます。

 筆者はレンタルビデオで観ただけなのですが、最初、話の流れについていけませんでした。 突如何日も時間が経過するというのを何度も繰り返していることに気付かなかったからです。何のナレーションも字幕もありません。 もちろん、この手法が独特の雰囲気を出しているのですが、おかげで、ちょっと油断すると話についていけなくなります。 そのうち、主役2人の服装に注意すれば良いということに気付いて、ようやく少し流れが見えるようになりました。

 演出手法はさておくとしても、話の内容自体に「ついていけない」人も多いようです。 ネット上の情報を色々見ていると、人によって好き嫌いが大きく分かれることが判ります。 確かにヒロインの行動はかなりメチャクチャですし、彼女に翻弄されるロバート・レッドフォードの役どころには、ファンの怒りを買っている部分もあるようです。 ただ、「歳をとれば、彼女の良さが解ってくる」という意見も強いようです。 うーむ、そういうものなんだろうか?

 今回の演奏会ではニューサウンドインブラスの編曲を使います。 構成的には単純な歌曲を吹奏楽にどうアレンジするかという選択として、協奏曲形式を採用した、当時としては野心的(実験的?)な作品です。 どうせオリジナル通りの雰囲気は出せないのだからという「ヤケクソ」な面もあるのかもしれませんが、逆に言えばオリジナルに拘束されずに独自の世界を追究することも可能です。 そういう意味では、吹奏楽としての力量が問われる作品でもありますね。



通算第96回(2004年10月号)

 第2部の3曲目に、第11回演奏会で採り上げた「El Cumbanchero」を演奏します。 これについて見てみましょう。

第17講:演奏会曲目をめぐって(第4回)

 「El Cumbanchero」の意味については「定説が無い」と言い切ってしまっている文献もあるような状況で、なかなかの難問です。 定冠詞が「el」なので、まず間違い無くスペイン語ですが、辞書に出てこない単語なんですね。 近くの図書館で辞書4冊を調べたところ、そのうちの1冊だけに「ラテンアメリカ方言」として「cumbancha」(お祭り騒ぎ)という言葉が出ていました。 語尾「-ero」は行為者を表わすので、結局のところは「お祭り騒ぎをする人」ということになります。 ただ、それが単にそういう人々一般を指すだけなのかどうかで諸説芬々としているようです。 そういう名前の踊りや楽器があるという説もあるようですし、「cumbancha」が踊りや楽器を指し「cumbanchero」はそれを踊っている人や演奏している人だという説もあるようです。

 では、そもそも「cumbancha」という言葉がどこから出てきたかというと、これもよく解りません。 「盃」を意味する「cumba」が語源だという情報がネット上にあるのですが、上述の4冊のスペイン語辞典には一切出てきません。 ヤケクソで色々調べていたら、文語ラテン語に「cumba」(小舟)という言葉があるのに気付きました。 この言葉は「cymba」(「y」は口を丸めて「イ」と言ったときの音)とも綴り、同系語として、「cymbium」(浅い酒杯)や「cymbalum」(英語の「cymbal」=シンバル)があります。 「皿」に近いニュアンスのある言葉なのかもしれません。

 それにしても、これが何故「お祭り騒ぎ」になるんでしょうか。 もちろん、想像はつきますけどね。 酒を酌み交わして食器を叩き鳴らして大騒ぎってことなんでしょう。 先述の「楽器が存在する」という説も、食器を叩き鳴らすところから発展した楽器だというのかもしれません。 いずれにしても想像の域を出ませんが……



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Copyright © 2004 by TODA, Takashi