通算第104回(2005年6月号)

 今秋の演奏会でバッハの曲を採り上げることになりました。 そこで、バッハによって大成されたとされる「バロック音楽」について見てみましょう。

第18講:ちょっとバロック(第1回)

 「バロック音楽」というのは意外と新しい用語で、20世紀に入ってから使われるようになったようです。 そして、それは同じ時代の美術の様式を指す用語の転用でした。 ところが、この美術用語自体が元々は蔑称だったようです。

 美術史の分野では、近代西洋美術の変遷をルネサンス(16世紀)→バロック(17世紀)→ロココ(18世紀)→19世紀の各流派というふうに整理します。 「写実・均整」を特徴とするルネサンスに対して、バロックには「誇張・動態」という特徴があるのですが、これをルネサンスからの「堕落」と捉えて否定的に表現したのが「バロック」という言葉の起源です。 しかし、この否定的なニュアンスは間もなく忘れられて、17世紀前後の芸術を中立的に指す言葉になっていきました。 そして、その用法が確立した後になってから、音楽史の用語にも転用されたわけです。 但し、音楽のバロックは美術のバロックよりも長く続き、18世紀前半のうちはバロック音楽に属すると考えられています。

 ちなみに、バロック(baroque)という言葉は「歪んだ真珠」を意味する「barrôco」というポルトガル語が語源というのが定説です。 そしてこれは「石だらけの地面」を意味するアラビア語がイスラム支配時代に導入されたものと考えられているようです。

 バロック音楽はJ.S.バッハ(バッハ一族の他の作曲家と区別するために「大バッハ」と呼ぶ)によって大成されたと一般的には考えられています。 そして、彼の死によってバロック音楽は終り、以後はバロックを基礎とする新しい音楽が発展して行ったと考えるのが普通です。 例えば、バロック発祥の楽曲形式がさらに発展したものとして、オペラ(歌劇)・コンツェルト(協奏曲)・ソナタ(奏鳴曲)を挙げることができます。

 バロック音楽が発展した背景には、絶対王政による教会から自立した宮廷文化の確立や、楽器(特に弦楽器)の著しい発達があるとされています。

参考文献

新音楽辞典(音楽之友社1977)ランダムハウス英和大辞典(小学館1973)



通算第105回(2005年7月号)

 バロック音楽における音の「積み上げ方」について、少し見てみましょう。

第18講:ちょっとバロック(第2回)

 「バロック音楽」の最も典型的な特徴と考えられているのが「通奏低音(Continuo)」の存在です。 特に、今秋の演奏会で採り上げる「パッサカリア(passacaglia)」という楽曲形式は、通奏低音が延々繰り返す旋律に載せて様々な旋律が展開して行くものですから、通奏低音の存在を前提にしなければ、そもそも存在し得ないものです。

 合奏曲の通奏低音は、単に「Continuo」と表示されているだけで、楽器が特定されていない場合があります。 一般には主にチェンバロ(ハープシコード)が通奏低音を担い、補強としてチェロが重なるパターンが多かっただろうと考えられています。

 チェンバロやオルガンなどの鍵盤楽器が通奏低音を担う場合には、奏者のアドリブで右手のパートを奏することが期待されていました。 バロック音楽の楽譜の一番下に沢山の数字(時々「♯」や「♭」が混ざったりする)が並んでいることがありますが、これは通奏低音奏者が右手を奏する際の手掛かりとして記載されているものです。 現代のギターなどの楽譜に記載される「コードネーム」と似たような機能のものですが、通奏低音に対する相対的な音程で表示されるようです。

 「旋律の断片と通奏低音だけ」しか現存していない曲でも、他のパートを推定復元して演奏されている場合があります(アルビノーニのアダージョが有名)。

 このように重要な通奏低音ですから、合奏団のリーダー格になるような実力のある奏者が担当しました。 当時は合奏の「指揮者」という習慣が無かったので、指揮者に相当する役割だったとも言えます。 大バッハの曲にはチェンバロが大活躍するもの(ブランデンブルグ協奏曲など)がありますが、これは奏者としても優れていたと伝えられる作曲者自身が通奏低音を担当する前提で作曲されたと考えられているようです。

 尤も、今秋に採り上げる曲は、元がオルガン曲で1人で演奏するものですから、通奏低音の担当者も何もあるわけないのですが、通奏低音の重要性に変わりはありません。



通算第106回(2005年8月号)

 今回採り上げるバッハの曲はオルガンでの演奏を前提に作曲されています。 ここでオルガンというのは、いわゆるパイプオルガンのことで、その詳細についてはあまり馴染みが無い方も多いと思います。

第18講:ちょっとバロック(第3回)

 オルガンというと、学校の音楽室に置いてあるようなリードオルガンや、エレクトーンなどの電子オルガンを連想する人が多いと思いますが、いずれもパイプオルガンを簡略化したり代替するという発想で作られた楽器です。

 オルガンの基本原理は、圧搾空気を準備しておいて、鍵盤を押すことで空気の通り道を開けて空気を流し、その力で音を出すというものです。 現代では電気仕掛けで圧搾空気を作りますが、かつては「ふいご踏み係」の存在が欠かせなかったわけです。

 小さなリードオルガンでは鍵盤と発音体が1対1に対応しますが、本格的なオルガンでは、1対多対応になります。 1ヶ所の操作によって、鍵盤群からの空気が、同じ音色で音程の異なる一群の発音体に流れるようになるという仕掛けで制御するわけです。 この仕掛けは、構造的には「対象の一群を除く全ての群への流れを止める」形になることから「音栓(ストップまたはレジスター)」と呼ばれるのですが、この用語が、この仕掛けで制御される「同じ音色の発音体群」の意味に転用されました。 つまり、現在では「ストップ」というオルガン用語は、演奏中に選択する音色のことを指すのが一般的な用法です。 電子オルガンの音色選択スイッチのことも「ストップ」と呼びます。

 そういうわけで、オルガンの演奏においてストップの選択が重要になるわけですが、オルガン曲の譜面に選択の指示があるのは実は珍しいのです。 おそらく、ストップが楽器ごとに異なり、常に通用する指示が書けないからだと思われます。 逆に言うと、専ら奏者のセンスでストップが選択されるわけで、奏者が試される部分でもあります。

 ちなみに、ストップは、発音原理により「フルー音栓」「リード音栓」に大別されます。 前者はフルートや尺八などと同様の原理で音を出すもの、後者はハーモニカなどと同じ金属製リードで音を出すものです。



通算第107回(2005年9月号)

 バロック時代と現代とで大きくイメージの変わった用語に「交響曲(symphony)」があります。 今秋の演奏会では吹奏楽のために書かれた「交響曲」も採り上げるので、合わせて考えてみましょう。

第18講:ちょっとバロック(第4回)

 シンフォニー(symphony)という言葉は、「完全に協和した響き」という意味のギリシャ語が起源とされています。 「交響曲」という日本語訳も、この語源的な意味に忠実だと言えるでしょう。 しかし、バロック時代に「シンフォニー」と呼ばれていた楽曲形式のことを「交響曲」と呼ぶことは少ないようです。 それは、この言葉が主としてベートーベン以降か、せいぜい広げても、その直接の起源となったハイドンやモーツァルト以降のものを指す言葉として定着しているからです。

 バロック時代のシンフォニーのことは、イタリア語式に「シンフォニア」と呼ぶことが多いようです。 このころのシンフォニアは、オペラ・オラトリオ・カンタータなどの声楽曲の序曲ないし間奏曲として演奏される器楽曲のことを指しました。 何故そういう用法になったのかはよく判りませんが、言葉を伴わない音の組合わせだけで音楽を組み上げるという意味だったのかもしれません。

 そのうち、その「序曲」を「急緩急」のメリハリをつけた構成に作るようになってきたようです。 始めたのはスカルラッティだと言われていますが、その「急緩急」が「3つの楽章」となり、ヴィヴァルディが発展させた3楽章制の協奏曲やトリオソナタなどと相互に影響し合いながら、独立した楽曲形式として発展していったようです。 そして、大バッハの息子たちからハイドン・モーツァルトへと受け継がれ、ベートーベンに至って「大編成の管弦楽による長時間の大曲」という現代的なイメージが確立しました。 そしてシューベルト・メンデルスゾーン・シューマン・ブラームス・ブルックナー・マーラーと受け継がれる中で、ますます「大曲」になって行きます。

 ジェイガーやリードによる「吹奏楽のための交響曲」という分野は、ベートーベン以降の「管弦楽の大曲」というイメージを前提に、それに対抗できるような分野を吹奏楽でも確立していこうという意図の元に作られたものであろうと思われます。

参考文献

新音楽辞典(音楽之友社1977)



通算第108回(2005年10月号)

 前回は「交響曲(symphony)」の話をしました。 そこで、シリーズの趣旨からは少し外れますが、交響曲に関連する四方山話を……

第18講:ちょっとバロック(第5回)

 「一生の間に10曲以上の交響曲を書くことはできない」というジンクスがあります。 無理に10曲目を書こうとすると死んでしまうと。 確かに、ベートーベンが9曲の交響曲を残したのが、永らく上限になっていました。 ドボルザークも、後から発見されて追加されたものを含めて9曲です。 そして、マーラーが、このジンクスのことを強く気にしていたことは有名です。

 マーラーは、第8交響曲を書いた後、実質的には9曲目に相当する「大地の歌」を、わざわざ「番外」にしました。 そして、第12交響曲までの構想をまとめ上げてから、満を持して第9交響曲を完成させました。 その後、猛烈な勢いで第10交響曲の製作に取りかかったのですが、完成させること無く世を去ってしまいました。 結局、ジンクスの呪縛から逃れられなかったということになります。

 このジンクスを数式的に説明しようとした人が居るそうです。 交響曲はベートーベン以降「大曲」となっていますから、作曲すること自体が相当な体力勝負で、一説によると、1曲作ると体重が6〜8kgほど減少するそうです。 この減少した体重は、後で回復してもそれは「虚」の体重であり、実の体重は減ったままだと仮定してみましょう。 すると、交響曲を10曲程度作ると、実の体重がゼロになって死んでしまうというのです。

 この説に対して、「ということは、モーツァルトは体重300kgの小錦なみで、ハイドンの体重は1トン近くあったのか?」とツッコミを入れた人が居ます。 前回を読んだ方なら、このツッコミが「言い懸かり」であることが解るでしょう。 交響曲が「大曲」になったのは、ベートーベン以降なのですから。



通算第110回(2005年12月号)

 前々回、バロック時代と現代とで大きくイメージの変わった用語として「交響曲(symphony)」を採り上げました。 同じようにイメージが変わってしまった用語に「幻想曲(fantasy)」があります。

第18講:ちょっとバロック(第6回)

 ファンタジー(fantasy)という言葉は、現在では「現実離れした空想の世界」というイメージで捉えられることが普通でしょう。 音楽用語としても、夢の中を漂うような幻想的な曲想の曲を呼ぶ用語として使われます。 ところが、この用法は意外と新しく、ベートーベンにも幻想的とは言えない曲想の「ファンタジア」があります。

 「fantasy」という言葉は、ギリシャ語起源のラテン語「phantasia」から発祥したものですが、この言葉の元々の意味は「思い描いて示すことができる」というものだったようです。 現在ではこの意味には用いられませんが、「思い付き」というニュアンスの用法は残っており、単に「気まぐれ」という意味になることもあります。 そこから「途方も無い思い付き、絵空事」という意味が派生し、さらに進んで「夢想・空想・幻想・幻覚」という意味になっていったようです。

 音楽用語としての「ファンタジア」は、古くは「気まぐれ」というニュアンスに近いものでした。 バロック時代には、対位法的な約束事を必ずしも厳守しないという意味において「自由な形式」の曲のことを「ファンタジア」と呼んだようです。 バッハやモーツァルトの「ファンタジア」は、即興演奏を書き留めたような作品を指しています。 つまり、このころの「ファンタジア」に「幻想」というニュアンスはありません。

 楽曲の種類名としての「ファンタジア」を幻想的な曲想の意味に使うようになったのは、シューマンやブラームスあたりのようです。 とはいえ、シューマンには古い意味で「ファンタジア」を使っている事例もあるようで、 過渡期だったのかもしれません。

 余談ですが、「fantasy」の形容詞形は「fantastic(ファンタスティック)」です。 「ファンタジック」という言葉は英語にもフランス語にも存在しません。 ドイツ語では「phantastisch(ファンタスティッシュ)」、イタリア語では「fantastico(ファンタスティコ)」となります。

参考文献

新音楽辞典(音楽之友社1977)ランダムハウス英和大辞典(小学館1973)



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