通算第116回(2006年6月号)

 今年のオータムコンサートでは、ミュージカル・歌劇・バレエなど、明確なストーリーがある作品に関係する音楽を多数採り上げます。 そこで、そのストーリーなどの背景を順に見ていきたいと思います。

第20講:定演曲目の背景(第1回)

 まず、West Side Story(ウェストサイド物語)から見てみましょう。 ブロードウェイ・ミュージカルとして人気を博した作品が後に映画化されたもので、ストーリー内容は単に「ロミオとジュリエット」を翻案したものです。 舞台を現代ニューヨークに設定し(West Sideとは「マンハッタンの西側」という意味)、対立しているのは若者たちの不良グループで、背景に人種対立問題があるという構図です。

 今回は、その中から「I Feel Pretty」だけを採り上げます。 対立グループに属する秘密の恋人と逢う約束を控えてルンルン気分のヒロインと、その姿を不審な目で見守る仕事仲間の女の子たちとの対話の歌です。

 この「pretty」というのは厄介な単語です。 語源をたどると全然違う語義になってしまうらしいのですが、現代的には「キレイ・カワイイ」という語義が有名です。 しかし、実際にはもっと広く「快い・見事な」というニュアンスで使われることもあります。 通常「I feel pretty」という表現は「気分がウキウキ」という意味で使われるんですね。 そのため、この歌の題名も「すてきな気分」と訳されることが多いのですが……

 歌詞の続きには、「I feel charming」と来るし、「pretty girl」「pretty face」「pretty dress」「pretty smile」という展開は「キレイ・カワイイ」の意味に解さないと意味が通じません。 その一方で、「I feel pretty and witty and gay」「I feel stunning and entracing」といった展開は「ウキウキ」の意味に解した方が素直に意味が通じそうです。 要するに、これは「どちらか一方の意味」では無いと考えるべきなのでしょう。 「pretty」という単語に多様な語義があることを利用した洒落なのです。

 どうも、世の中には「洒落」を理解しない人が居るようです。 別の曲ですが、スーザのマーチ「美中の美」(the Fairest of the Fair)は「誤訳である」と断定している「解説」を見たことがあります。 これを「誤訳」だというのは全くの間違いで、「fair」という単語に「美人」「博覧会」という全く異なる語義があることを利用した「洒落」の題名なのです。 「歌詞」あるいは「題名」というものに、こういう「洒落」が付き物だということは意識しておいた方が良いでしょう。



通算第117回(2006年7月号)

 オータムコンサートのメインとして採り上げる、バレエ音楽「三角帽子」について見てみましょう。

第20講:定演曲目の背景(第2回)

 懐メロ番組でよく出てくる歌謡曲の歌詞に「三角帽子の時計台……」というのがあります。 この「三角帽子」は、帽子型の屋根を横から見ると三角に見えるという意味です。 しかし、今話題にしている「三角帽子」は、上から見て三角なので、全く形が違います。 しかも、言葉の意味としては「三角形」(triangle)ではなく「角が3つ」(tricorne)なんですね。 実際、角の数が少ない「二角帽子」(bicorne)というのもあります。 ナポレオンが被っていることで有名な、左右に突き出し部分がある帽子のことです。 三角帽子は、左右の他に前方にも突き出しがあります。

 三角帽子のストーリーは、粉屋の女房に一目惚れし、夫を無実の罪で逮捕させてまで言い寄ろうとする好色な権力者をやっつけるというものです。 舞台となった中世スペインでは三角帽子が権力の象徴だったわけで、話の中でも、脱いで置いておいた三角帽子を粉屋に盗られてしまったために酷い目に遭うというような展開もあります。

 実際に演奏される場合には、ストーリーが展開する部分よりも、むしろストーリーの合間で登場人物が踊る場面の音楽が採り上げられることが多いようです。 例えば、演奏会でも最後に演奏されることの多い「終幕の踊り」の直前は「粉屋の踊り」とすることが多いのですが、実はこの2曲の間に物語後半のストーリー展開が全部入っていて、それをバッサリ切り捨ててしまう格好になっています。

 ところで、この物語の悪役である「Corregidor(コレヒドール)」の訳語として、「代官」「市長」の2種類が使われているようです。 訳語のイメージが随分違いますが、実は「市長」とは言っても「国王の代理として派遣されている」役人なので、「代官」でも良いことになるんですね。 また「市長/町長/村長」の区別が無い用語(この点は英語の「mayor」も同じ)ということもありますから、「市長」よりも「代官」の方が原語のイメージに近い表現ではないかと思います。 なお、辞書の類では堅苦しく「行政長官」としている場合もあるようです。



通算第118回(2006年8月号)

 オータムコンサートで採り上げるミュージカル・歌劇・バレエなどの「原作」について、ざっと見てみましょう。

第20講:定演曲目の背景(第3回)

 ミュージカルなどの舞台作品には、全く新たに書き下ろされた作品と、既存の原作を舞台化したものとがあります。 今回採り上げるものは、専ら原作が存在する作品です。

 例えば「三角帽子」はスペインに古くから伝わる民話が元になっているのですが、直接の原作は19世紀半ばに小説化されたものです。 この作品は、冒頭に取材過程や時代背景の解説が長々と続いたあと、ようやく物語が始まるという面白い構成になっていますが、その中で年代を詳細に特定しています。 ただ、これは物語中にナポレオン時代のネタが登場することを根拠にしているようで、このエピソードが付加される以前の形は当然存在すると思われるので、信用しない方が良いでしょう。

 「Sound of Music」はヒロインの自叙伝が元になっています。 つまり、この話は基本的に実話なのです。 もちろん、事実を忠実に再現することが目的の作品ではありませんから、細かいところには造り話が多々有ります。 音楽も後から作ったものです。 映画化に際して、最後のアルプス越え脱出のシーンに「絵になる場所」を選んだため、実際の脱出ルートとは全然違う場所になってしまい、そのことで抗議の声が挙がったという話もあるようです。 なお、ミュージカルを元にしたのではなく原作から直接作っていると主張する意味で「トラップ一家物語」などの題名を使う作品もあるようです。

 「My Fair Lady」は20世紀前半に書かれた戯曲(舞台化もされている)をミュージカル化したものです。 「音声学の教授」と「下町娘」という人物設定はこの段階のものですが、ストーリーの根本はギリシャ神話が元になっているようで、作者はこれに基づいた戯曲に刺激を受けて、現代劇に再構成した作品を作ったようです。 元の神話は、キプロス王が自作の象牙の像を愛してしまったという物語です。

 「WestSide物語」については、現代ニューヨークを舞台とした設定やストーリー展開はミュージカルのために新たに作ったもののようです。 しかし、第1回でも述べたように、これは「ロミオとジュリエット」の翻案作品として作られたものです。

 少し変わっているのが「Cats」です。 この作品は詩集が元になっています。 つまり、原作に全くストーリー性が無いわけです。 従って、ミュージカルもストーリーが明確ではありません。 大まかな「基本設定」はあるのですが……



通算第119回(2006年9月号)

 オータムコンサートで採り上げるミュージカル作品を映像化した作品について見てみましょう。

第20講:定演曲目の背景(第4回)

 今回採り上げるミュージカル作品は、いずれもミュージカルがヒットした後で映画にリメイクされています。 ミュージカルを観るには実際に公演されている舞台へ出向かねばならないので、それに較べて触れる機会の多い映画でしか作品を知らない人は多いと思います。 ミュージカルによっては、同じ台本同じ演出で役者を替えて各地での公演を展開する場合もありますが、それでも映画の再演性には太刀打ちできません。

 しかしながら、通常、映画にリメイクする場合には、特に技術的な部分は映画向けに作り直します。 映画のために俳優の人選を全くやり直してしまうことも多いようです。 もちろん、ストーリーの細かい設定や音楽の使い方などは基本的に踏襲するわけですが、舞台というものの構造に依存する部分は全く変わってしまいます。 舞台の奥行きや観客から見た方向性を利用した演出は、そのままでは映像化できません。 逆に映像ならではの技法(カット割りや瞬間的な場面転換など)が有効に使える部分は、それを前提にした演出に変わってしまうのが普通でしょう。

 ところが、中には映画として新たに構成演出するのではなく、舞台の雰囲気を映像で再現することを目指した映画化が行われているものがあります。 今回採り上げる作品の中では「Cats」が該当します。 前回にも説明したように、この作品は原作にストーリー性が無いため、ミュージカル作品でもストーリー性が希薄です。 そのため、通常の劇場映画向けの映像化はできなかったのでしょう。 それゆえに、どうせ映像化するなら舞台の再現という方向に発想が進んだのかもしれません。

 「Cats」の映画化は、劇場公開を目的としたものではなく、当初からDVDの形で頒布する想定だったようです。 基本的には初演当時の雰囲気を再現することを目指して、当時の役者も多数出演しているようです。 とはいえ、映像作品ならではの工夫が無いわけではありません。 舞台では技術的に不可能だけれども、もし可能になれば効果的な舞台になるだろうというような映像効果が頻繁に使われています。 例えば、話題になっているがその場には居ないという登場人物(猫物?)が半透明で登場したりします。



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