通算第143回(2008年9月号)

 今度のオータムコンサートでも、クリスマスを題材とした曲を第1部のメインに採り上げました。 これに限らず西洋音楽一般で題材として多用されるクリスマスについて見てみましょう。

第24講:クリスマスの音楽をめぐって(第1回)

 キリスト教会では12月25日をイエスの誕生日(降誕節/降誕祭:Christmas)として祝います。 実はこの12月25日が誕生日というのは歴史的事実ではないというのが定説なのですが、宗教的にはそんなことはどうでも良いようです。

 一般にキリスト教会で祝日を祝う場合、何週間か前から毎週祈りを捧げて当日に到達するという段階を踏むことが多いようです。 降誕節の行事も4週間前の直前日曜日(待降節:Advent)から始まるのですが、降誕節の本体は12月25日からとなります。 但し、キリスト教会では1日の始まりは日没と考えるので、現代的な日付で言えば12月24日の夕方から始まることになります。 これがクリスマスイブです。

 ところで、クリスマスの宗教行事が1月6日まで続くことは意外と知られていないと思います。 これは聖書(マタイ伝=マタイによる福音書)に記述されている、のちに「東方の三賢者」とか「東方の三博士」とか呼ばれることになる学者たちが、誕生直後にイエスの元を訪れたというエピソードに基づくものです。 彼らは星の動きから救世主の誕生を察知して訪れたとされています。 聖書には彼らの人数は明記されていないのですが、一般には持ってきた贈り物が3種であったことから3人とされています。 また、学者たちの訪問日も聖書には明記されていませんが、のちに1月6日とされたわけです。 この日はイエスの神性が明らかにされた日ということで、長じたのちヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けた日も同じとされてしまいました。 顕現日(または公現日:Epiphany)と呼ばれ、降誕節の行事の締めくくりとして扱われています。

 ちなみに、イエスはユダヤ人として生まれているので、8日目(誕生の7日後)にユダヤの習慣に従って割礼と命名を受けたと聖書(ルカ伝=ルカによる福音書)にあります。 これが1月1日という日程を決定した根拠だという話がありますが、後からコジつけた理屈と考えられます。 1月1日はキリスト教以前(ローマ帝国の黎明期)から現在の日程だからです。 このあたりの話は次回で詳しく見てみたいと思います。



通算第144回(2008年10月号)

 クリスマスの日程について詳しく見てみましょう。

第24講:クリスマスの音楽をめぐって(第2回)

 新約聖書の冒頭には、イエス・キリストの業績を伝える「福音書」と呼ばれる文書群が配置されています。 誕生や成長に関するエピソードも収録されていますが、あまり詳しい記述はありません。 ひとつには「受難と復活」こそが最も重要なことで、誕生など無意味という考え方があったことも関係していると思われます。

 ですから、クリスマスの正しい日付も聖書には明記されていません。 しかし、その記述内容、例えば野宿していた羊飼たちが訪問したというエピソード(ルカ伝)などから、9〜10月ごろであろうという考え方が有力なようです。

 では何故12月25日に決められたかということについては、この日が冬至に近いことに注目する見解が有力なようです。 比較的有力な説として、ローマ帝国がキリスト教を国教化する時に、当時有力だったミトラ教の聖日をクリスマスに比定したというものがあります。 ミトラ教は太陽信仰で、冬至に新しい生命が宿って新しい年が始まると考えていたようです。 そこで、そのころ冬至と考えられていた12月25日をクリスマスだということにしたというのです。

 顕現日の1月6日というのは、もっと馬鹿々々しい決まり方だったと言われています。 旧約聖書の冒頭に配列されている「創世紀」は、神が6日間で世界を作り7日目に休んだという有名な天地開闢の話で始まりますが、これは1月1日に始まったという、素朴だが無根拠な考え方があったようです。 すると、最後に人間を作った6日目は1月6日になるわけで、この日は宗教上重要であると考えられました。 そこで、12月25日の少し後と考えられる東方三博士の訪問を、この日に比定したというのです。

 ちなみに、割礼命名日が1月1日というのは、全くの偶然と考えるより無さそうです。

 いずれにしても、以上の話は全て推測に過ぎません。 確かなことは何の記録も無く、おそらく永遠に謎のままでしょう。

インターネット向け補記(2008年12月)
 割礼命名日に関しては、「結果的に1月1日になって好都合だ」という理由で、クリスマスを12月25日に設定したという可能性も考えられます。 いくつかあったクリスマスの候補日から1つの案に絞り込む決め手になったかもしれませんね。 もちろん、これもあくまで推測でしかありませんが。


通算第145回(2008年11月号)

 クリスマスを題材とした曲では、当然ながらキリスト教会をイメージする内容が頻繁に使われます。 そこで、キリスト教会の音楽について簡単に見てみましょう。

第24講:クリスマスの音楽をめぐって(第3回)

 キリスト教会の音楽には、宗教改革に際して整備された賛美歌などもありますが、やはり「いかにもそれらしい」キリスト教音楽と言えば、グレゴリオ聖歌に代表される、「教会旋法」と呼ばれる音律に基づいて作られた中世的な教会音楽でしょう。

 教会旋法にも長い歴史がありますが、基本的には7世紀ごろに整理されたとされる4種に非公式の3種を併せた7種の「正格」と、その各々に対する「変格」を併せた14種の旋法があります。 この14種は古い形では全て鍵盤の白鍵で弾ける音階に対応しているのですが、そもそもこの「白鍵の音の並び」がどういう理由でどういう経緯で現在のものになったのかは、いろいろ調べてみてもよくわかりませんでした。 後の時代になって♭や♯が入るようになったことでも判るように、全ての旋法が同じ音列に載る必然性など全く無いハズで、考えてみれば不思議な話だとも言えます。

 正格旋法の公式の4種は以下の通りです。 変格旋法も音列や主音は同じです。

主音がRe:Dorian(ドリア旋法)
主音がMi:Phrygian(フリギア旋法)
主音がFa:Lydian(リディア旋法)
主音がSol:Mixolydian(ミクソリディア旋法)
そして、この他に以下の非公式の3種があります。 このうちエオリア旋法とイオニア旋法は16世紀に入ってから公式に認められたようです。 元々単旋律だった教会音楽に多声音楽が導入されるようになり、和声的に好都合な旋法が自然発生的に広まったのを追認したという背景があったようです。
主音がLa:Aeolian(エオリア旋法)=短音階と同じ
主音がSi:Locrian(ロクリア旋法)
主音がDo:Ionian(イオニア旋法)=長音階と同じ
このうち最も正統的なものはドリア旋法ですが、「いかにも教会旋法」という雰囲気が強いのはフリギア旋法です。 これは、主音の上に半音が来るため、主音の下に半音(導音)が来ることを志向する現代の音階と対極の雰囲気を与えるからだと考えられます。

参考資料

MAB音楽資料室 http://www.mab.jpn.org/lib/exp/cmodes/



通算第146回(2008年12月号)

 教会旋法の話の続きです。

第24講:クリスマスの音楽をめぐって(第4回)

 「教会旋法」というと中世的なもので、現代的にはクリスマス音楽などで古い雰囲気を出すためのものだ思っている人が多いかもしれませんが、実はそうではなく、ジャズ音楽に応用されていたりします。

 元々近代西洋音楽は、教会音楽に多声音楽が導入されて発生したルネサンス期の音楽を基礎に、「対位法」「和声法」といった理論が構築できるような形で17世紀ごろに始まりました。 ところが、このようなしっかりした理論が構築できるような状況が逆に制約条件となり、新しい音楽を産み出しにくくなってしまったようです。 それを打開するために転調を複雑にしたり和声を複雑にしたりした結果、19世紀末ごろには「調性の崩壊」と呼ばれる現象が起って混迷に至ったとされています。

 この状況を打開するためにドビュッシーを始めとする多くの人の様々な試みが行われました。 かつて見捨てられた教会旋法に着目する試みも多かったようです。

 ジャズ音楽では1950年代ごろから教会旋法を応用する試みが行われていたようです。 その背景には、ジャズ音楽に特有の事情である「アドリブ演奏」の問題がありました。 和声に縛られずに自由にアドリブ演奏を展開するにはどうすれば良いかという課題を解決する手懸かりとして、単旋律の理論である教会旋法の理論に着目したようです。

 動機が動機だけに、教会旋法の本来の特徴である厳格な規則性は無視されています。 例えば「正格旋法」と「変格旋法」の違いというのは音形進行の規則の問題なので、自由な旋律展開に適用すると意味を失ってしまいます。 そのような意味で、ジャズ音楽における旋法(モード)というものは、教会旋法を参考に全く新たに作られた別物だと考えるべきなのかもしれません。

 なお、ジャズ音楽でも教会音楽の正格旋法と同じ用語で旋法を呼びますが、基本的に「英語訛り」で発音するので、カタカナ表記もそれに合わせるのが通例です。 即ち、

フリギア旋法は「フリギアン」ではなく「フリジアン」
イオニア旋法は「イオニアン」ではなく「アイオニアン」
と表記するのが普通です。 見かけは違っても同じものなので、注意してください。

参考資料

Wikipedia 「教会旋法」 「モード(旋法)



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