通算第147回(2009年1月号)

 今度のスプリングコンサートで採り上げるミシシッピ組曲に関連した話題を見てみましょう。

第25講:ミシシッピをめぐって(第1回)

 ミシシッピ(Mississippi)川はアメリカ合衆国の中央部をメキシコ湾に向かって南へ流れて行く川です。 メキシコ湾は「湾(Gulf)」とは呼ばれますが、東に大西洋、南にカリブ海がつながる大海で、太平洋の黒潮に相当する「湾流」と呼ばれる海流が大西洋に向かって流れ出しており、ハリケーンもよく襲来します。 ミシシッピの河口に位置する港町が、最近ハリケーン被害で有名になったニューオリンズです。

 ミシシッピはニューオリンズのほぼ真北にあるミネソタ州からほぼ真っ直ぐ流れてくる流れを本流と考えることになっていますが、東西から大きな支流が流入し、アメリカ合衆国本土(除アラスカ・ハワイ)の約4割が集水域になっています。

 最も広い集水域の水を集めてくるのが北西から流れ込んでくるミズーリ川で、源流からの総延長も最長となります。 そして、かつてはこれが世界最長の河川であるとされていました。 現在では他の川の源流域の様子が詳しく判明してもっと長いことが判ったため、ナイル川・アマゾン川・長江(揚子江)に次ぐ第4位ということになっています。 世界地図を見ると、細かい源流まで見なくてもアマゾンあたりの方が長そうに見えますが、ミズーリ→ミシシッピは蛇行が多いために流路としては長くなるようです。



通算第148回(2009年2月号)

 ミシシッピ組曲の第2楽章「ハックルベリー・フィン(Huckleberry Finn)」について見てみましょう。

第25講:ミシシッピをめぐって(第2回)

 ハックルベリー(ハック)・フィンは、マーク・トウェインの作品に登場する人物です。 元々は「トム・ソーヤーの冒険」にトムの仲間として登場する浮浪児ですが、その続編として書かれた「ハックルベリー・フィンの冒険」が、ミシシッピ組曲では主に意識されていると思われます。 というのは、この話は、ミシシッピを筏で下りながら、沿岸の街や村で様々な事件を引き起こすというストーリーになっているからです。

 ミシシッピ本流上流域右岸(西岸)の村に住むハックは、因業な父親の手を逃れるため、自分の死を装って逃げ出します。 そして、ちょっとしたきっかけで逃亡する事態に陥った顔見知りの黒人奴隷ジムと共に旅を続けることになります。 時代は南北戦争前夜で、合衆国南部諸州では奴隷制度は当然のことであり、奴隷の逃亡に加担するのは財産権侵害と考えられていました。 そのような時代背景の中で、詐欺師やら偽善者やらロクでもない白人たちばかり登場し、一方のジムは無教養ではあるが純粋で利他的な愛すべき人物として描かれています。

 内容はハチャメチャな冒険譚ですが、現実離れしたものではなく、腕白な男の子ならありがちな話を極端にしたものです。 最後は強引なストーリーで無理矢理に収拾し、ジムも合法的に解放されるのですが、そこまでずっとハラハラするような展開が続きます。

 ミシシッピ組曲では、この冒険譚がファゴットの旋律を中心とする緩急に富んだ楽曲展開で表現されています。 今度の演奏会でこのファゴットの旋律を担当する奏者は、過去の演奏会で客席からいきなり舞台に登ってきたり、「冒険の鉄人」と称したり、あろうことか指揮者を舞台上で射殺したりと、様々な役柄を演じてきました。 今でも「永遠の学生」であるという噂のある彼ですから、きっと素晴らしい冒険を表現してくれるでしょう。 もちろん、それを支える楽団全体の表現も重要です。 表現する内容は「ハチャメチャさ」ですが、その表現のためには、実は緻密な計算が必要です。



通算第149回(2009年3月号)

 ミシシッピ組曲の第4楽章「マルディ・グラ(Mardi Gras)」について見てみましょう。

第25講:ミシシッピをめぐって(第3回)

 Grasは「グラス」とは読みません。 フランス語なので、最後の子音は読まないわけです。 元々はキリスト教会の宗教行事なのですが、現在では宗教色の消えたお祭り騒ぎになっています。 特にミシシッピ河口の街ニューオリンズのマルディ・グラは盛大で有名であるため、ミシッシッピ組曲の最後を飾る楽章として採り上げられたのでしょう。

 マルディ・グラは謝肉祭(カーニバル)の一種で、その本来の趣旨は、宗教的な禁欲期間に入る直前の最後の祝宴です。 イエス・キリストが受難を受けたあと復活した歴史を祝うのが復活祭(イースター)ですが、キリスト教の習慣として、大きな記念日を祝う場合は、そのしばらく前から時間をかけて祈りをささげて当日を迎えることになっています。 復活祭の場合は日曜日を除いて40日間続けることになっていて、宗派によって呼び方が違いますが、カトリックでは「四旬節(quadragesima)」と呼ばれています。 復活祭は日曜日なので、日曜日を除いて40日前は水曜日になりますから、四旬節が始まる前日は火曜日となります。 マルディ・グラとはフランス語で「肥沃な火曜日」という意味で、肉食禁止などの戒律的規制が始まる直前の最後の快楽の日なわけです。 ですから、何日か続く謝肉祭の最終日が本来の意味のマルディ・グラなのですが、それに至る一連のお祭り騒ぎ全体を現在ではマルディ・グラと呼んでいます。

 ニューオリンズのマルディ・グラは、アメリカ合衆国の独立からさらに1世紀遡った17世期末には行われていた記録があるようで、フロートを組んで行われるパレードは19世紀中ごろから続いているようです。 長い歴史の中で様々な習慣や伝統がうまれており、正義・信頼・力を表わすという紫緑金の三色旗が街中にあふれ、フロートからはビーズの首飾りが投げられるなどが代表的です。 そして、「肥沃な火曜日」の深夜12時に至り、聖なる四旬節が始まると、騎馬警官隊が酔客たちを鎮めて回って終わります。

参考資料

Wikipedia 「マルディグラ」 「ニューオーリンズ・マルディグラ」 「四旬節



通算第150回(2009年4月号)

 ミシシッピ組曲第3楽章のタイトルにも使われている「クレオール(creole)」について見てみましょう。

第25講:ミシシッピをめぐって(第4回)

 「クレオール」(スペイン語で「クリオーリョ:criollo」)という言葉の意味は時代や地域によってかなり変化しているようなので、まずそこから明確にしておきたいと思います。 元々は、大航海時代にスペインやポルトガルが世界中に植民地を作るようになったころから、この用語が使われ始めたようです。 当時は、イベリア半島の本国で生まれ育ったペニンスラール(半島人)に対して、植民地で生まれ育った者を指す言葉でした。 つまり、この段階では「クレオール」は白人だったわけです。

 さて、植民地経営の中で現地生まれと本国生まれとの間に階級差が生じ、「白人のクレオール」は差別され抑圧される階層となってきます。 そして、彼らが植民地独立運動の担い手となったのです。 一方で、クレオールは有色人種との混血が進み、文化的にも非西洋の影響を受けるようになってきます。 このような状況に伴って、「クレオール」は「植民地の現地に根差した、西洋と非西洋が混合した人や社会」を意味するように変化しました。 「クレオール化」という社会学用語も生じ、植民地社会で発生するヨーロッパ言語と現地言語が入り交じった言葉のことを「クレオール言語」(ビジン言語とも)と呼ぶ用法も出てきています。 そして、「クレオール」が人のことを指す場合にも専ら「混血」のことを指すというイメージになってきたわけです。

 では、ミシシッピ組曲での「クレオール」はというと、これはルイジアナ地方に特有の意味で使われていると考えられます。 元々は、ルイジアナが1803年にフランスからアメリカ合衆国に割譲される以前に住んでいた人々の子孫(フランスより早く来ていたスペイン人の子孫も含む)を意味したのですが、そのうち「地元の人」なら誰でも指すような使い方になってきました。 従って、定義からいうと必ずしも混血ではないのですが、イメージ的には混血が主ということになります。 社会的地位は高くなく、農業や単純労働などの泥臭い職業というイメージがまとわりつく言葉です。

参考資料

Wikipedia 「クレオール (ルイジアナ)」 「クリオーリョ



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