「コロポックル」も「神居古潭」もアイヌ語です。「神居古潭」は漢字で表記されていますが、このような漢字表記は、主に江戸時代から明治時代にかけて、日本人との接触の中で作られたものです。多くの場合、元のアイヌ語の意味を全く考えていないのですが、「神居古潭」に関しては元の意味を多少は考慮したようです。ただ、かなり意味がズレているので、そこは注意してください。
「神居古潭(カムイコタン)」は「カムイ(神)」の「コタン(棲む場所)」という意味です。アイヌ民族は「森羅万象あらゆるものに神が宿っている」という世界観を有していたようです。特に、動植物や自然現象に宿る神はアイヌの生活文化における種々の場面で重要な役割を果します。有名なところでは、熊は山の神が人間世界にやってくる際の仮の姿であるというのがあります。そのため熊のことを「カムイ」と呼んで、熊そのものを指す言葉が無いという現象が生じています。
いずれにしても、「カムイコタン」というのは本来は特定の場所を指す地名ではなく、場所の「属性」ともいうべきものです。例えば、自然の荒ぶる力に対峙せねばならない交通上の難所(川の急流域など)が、そのように呼ばれていたということが考えられます。そこへ入ってきた日本人は、そこに棲む神の伝説なども聞いたかもしれません。そういう場所に対して、「神が居る古い潭(=水が深く淀む淵)」という字を当てたのは、ある意味で自然なことだと言えるかもしれません。
実際に地名として現存する「神居古潭」としては、旭川市内にある石狩川の急流部が有名です。旭川から札幌に向かってJRで進むと、すぐに渓谷へ入ります。今はトンネルで一気に抜けてしまいますが、1969年に複線電化されるまでは渓流に沿った風景を愉しめる区間で、途中に「神居古潭駅」も存在しました。線路跡はサイクリングロードとして整備されており、駅舎も史跡として保存されて休憩所になっているようです。
宮脇俊三編(1996)鉄道廃線跡を歩くII(JTB出版事業局)ISBN4-533-02533-1
言語というものを「孤立語」「屈折語」「膠着語」などと分類する流儀があります。「孤立語」は中国語のように単語を変化させずに語順だけで組合わせていくもの、「屈折語」は印欧語のように語形変化させるもの、「膠着語」は日本語のように接辞(助詞など)で表現していくものです。東アジアでは中国を取り囲むような形で「膠着語」が分布しているのですが、アイヌ語はそれとは異なる「抱合語」に分類されています。
「抱合語」というのは、対等な立場の語彙を組合わせて「複合語」を作る手法(横+切る=「横切る」など)を駆使して文を作り上げていく言語のことを指し、シベリアやアラスカを中心に分布しているとされています。
このように分類されるとアイヌ語は随分遠い言語のように思ってしまいますが、複合語が駆使されているという特徴を除いて他を見てみると、語順などの発想は日本語などのウラルアルタイ語族の言語に似ており、やはりアジアの言語だと思わせられます。
ところで、「コロポックル」は「コロボックル」と表記されることもあります。実はアイヌ語の子音には清濁の区別がありません。一般に、清濁に相当するものとしては、日本語のような「有声/無声」の区別や中国語や朝鮮語のような「有気/無気」の区別がありますが、どちらの区別もアイヌ語には無いようです。つまり、「ポ」と「ボ」の区別が無いので、両方の書き方が使われるわけです。
発音についてさらに見てみると、日本語には基本的に存在しない閉音節(子音で終わる音節)が存在します。その閉音節の末尾子音が破裂音(息を舌などで一旦止めた後、瞬間的に出す音=t音、k音、p音など)の場合、西洋の言語のように破裂させて音をハッキリ出してしまうのではなく、破裂寸前で止めた「内破音」にします。これは朝鮮語とも共通する特徴です。
「コロポックル」という言葉は「蕗の葉の下の人」という意味だとされています。各地のアイヌ伝承に広く登場し、木彫人形のモチーフとしても有名です。アイヌが住み始める以前の先住民族で、アイヌの地を既に退去したという伝承が基本のようです。19世紀末ごろには、北海道に実在していた先住民族が伝説化したものだという学説も唱えられたようですが、明確に決着しないまま論争が鎮静化してしまったようです。
「小人」に関する物語は、伝承も創作も世界各地にありますが、典型的なパターンの1つに、身近なところで我々に気付かれずに生活しているというのがあります。例えば、指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)の着想の出発点である「ホビットの冒険」や、床下の小人たち(映画「借りぐらしのアリエッティ」の原作)が代表例として挙げられるでしょう。家の中に落としたりした物が無くなってしまったり、突然また現れたりする現象を、小人のせいにしてしまうという発想なのでしょう。
コロポックルも、姿を現すことを嫌う小人です。ただ、アリエッティの一族のように「存在を知られない」ことをルールとしている種族ではなく、姿を見せずに交易を行っていたということになっています。あるとき、アイヌの若者が姿を見ようとコロポックルの娘の手を無理矢理つかんで家の中へ引き入れ、その無礼に激怒して、一族を挙げて北の海の彼方へ去ってしまったというのが、伝説の基本パターンになっているようです。
現代日本での「コロポックル」のイメージは、佐藤さとるの「コロボックル物語」に大きく影響されていると言われています。このシリーズの最初の作品には、小人たちに遭遇した主人公が、小人伝説を色々調べながら小人たち自身の伝承とも併せて推理する場面があります。このような意味でも色々と参考になる作品かもしれません。
(1)だれも知らない小さな国 (2)豆つぶほどの小さないぬ (3)星からおちた小さな人
(4)ふしぎな目をした男の子 (5)コロボックル童話集 (6)小さな国のつづきの話
アイヌ民族と日本人との接触は、現代の状況に直接つながるものに限定しても、江戸幕府と相前後して成立した松前藩の活動にまで遡ることができます。当然ながら、アイヌ語を仮名文字で表現しようとしたのですが、日本語に無い発音はマトモには表現できず、無理矢理に表記しても似た発音との区別ができません。そこで、正確な表記を実現しようと、アイヌ語表記用の新しい仮名文字が発明されました。
万葉仮名に始まった仮名文字が現在の平仮名や片仮名と概ね同じものになったのは平安時代ですが、当初は濁音・拗音(「ヤユヨ」の小文字で表す音)・促音(「ツ」の小文字で表す音)を区別する方法がありませんでした。そこで、濁点や小文字が発明されたという経緯があります。同じ発想で文字を発明したわけです。
具体的には、閉音節(子音で終わる音節)末の子音は「ツクプシムラリルレロ」の小文字で表現します。「ラリルレロ」の小文字は同じ音(r)を表現するものですが、直前の母音によって書き分けます。樺太方言では喉の奥を狭くして息を通すハ行音(通常xで表記)を使うので、これが閉音節末に来る場合は「ハヒフヘホ」の小文字で表記します。また「ツ」「シ」の小文字で表記する音(tとs)は前後関係により各々「ト」「ス」の小文字で書く場合もあり、どちらを使うかについて確定したルールはありません。m音を「ム」の小文字で表記するのに対応してn音を「ン」ではなく「ヌ」の小文字で書く流儀もあります。
また、「ツ」「セ」に半濁点を付けた文字というのがあります。これは、近代以降に一般化した西洋系外来語の表記法では「トゥ」「チェ」と書く音(tuとche)に対応します。「ツ」ではなく「ト」に半濁点を付ける流儀もあります。
なお、現代日本語では廃れてしまった発音に対応する「ヰ」「ヱ」「ヲ」は、本来の歴史的な発音「ウィ(wi)」「ウェ(we)」「ウォ(wo)」を表現します。
ちなみに、このような表記法に従って正確に書く場合には、「コロポックル」の「ロ」と「ル」は小文字で表記せねばならないことになります。
電子テキストでは、2000年に制定されたJIS X 0213(JIS第三水準)でアイヌ語表記用の仮名文字が採用され、これに対応した機器(Windowsの初期状態の場合Vista以降)では、以上の文字を表示することができます。