次のスプリングコンサートの演目の1つに「フローレンス・マーチ」を取り上げることが決まりました。ところで、この曲の名前の「Florentiner March」で、素直に読めば「フローレンティナー・マーチ」となります。この「Florentiner」というのは、なぜか英語ではなくドイツ語なのですが「フローレンスの」という意味の形容詞です。ですから、日本語の題名としてはどちらでも構わないことになります。
ところで、この「フローレンス」というのは何処にあるか御存知でしょうか?地図で探そうと思っても巧く見つからないかもしれません。何故かというと、多くの地図では別の名前で載っているからです。
「フローレンス」というのは、北イタリアにある「フィレンツェ」のことです。つまり、「フィレンツェ(Firenze)」の英語名が「フローレンス(Florence)」なのです。ちなみにフランス語では英語と同じ綴りを「フロランス」と読み、ドイツ語では「フロレンス(Florenz)」、スペイン語では「フロレンシア(Florencia)」となります。
言語によって地名が変わってしまうというのを不思議に思うかも知れませんが、これはヨーロッパの中では、ごくありふれた話です。有名なところでは、スイスのジュネーブ(Geneve)は英語名で、現地ではフランス語名のジェネバ(Geneva)で呼ばれ、スイス国内のドイツ語圏ではドイツ語名のゲンフ(Genf)になります。パリやローマも英語では「パリス」「ローム」となります。モスクワは「モスクヴァ」と書いた方が実際の音に近いのですが、まあ現地音に基づく表記と言って良いでしょう。これも英語では「モスコウ」になってしまいます。
多くの言語が隣接して共存するヨーロッパでは、地名に対する考え方に現代日本人には少し想像しにくいような感覚があるようです。これは地名だけに留まる話ではなく、人名についても同じような感覚があり、固有名詞一般についての問題のようです。このことについて、しばらく見て行ってみたいと思います。
人名として誰を例に出しても良いのですが、誰でも知っていそうな有名人ということで、フランス革命時の王妃「マリー・アントワネット」について見てみましょう。 彼女がオーストリアの皇女だった7歳のときに、当時6歳だったモーツァルトに求婚されたというエピソードは有名ですが、このときには「マリア・アントーニア」と呼ばれていました。しかしながら、フランス王妃になるまでに改名したというわけではありません。ドイツ語の名前である「マリア・アントーニア」をフランス語に「翻訳」すると「マリー・アントワネット」になるのです。つまり、単に「ドイツ風」「フランス風」というだけの違いで、両者は「同じ名前」なのです。
このような「翻訳」は、他の名前にもあります。つまり、ヨーロッパで一般的な多くの名前について、各国風に「翻訳」できるわけです。この「翻訳」には、単に同じ綴りで読み方が違うだけというケースもあります。例えば、「Richard」という同じ綴りで、英語では「リチャード」ドイツ語では「リヒャルト」フランス語では「リシャール」と読み分けられるというものがあります。しかしながら、多くの場合は国によって綴りも違っており、どれとどれが同じ名前なのか知識として知っていないと判りません。
例えば、聖書の登場人物の名前として知られている「ヨハネ」について見てみましょう。そもそもこの慣用的表記が何処から出てきたのかが謎で、新約聖書の原典であるギリシャ語では「Ιωαννησ(Ioannis)/イオアンニス」、中世キリスト教の公用語であるラテン語では「Johannes/ヨハンネス」となります。そして、これが英語で「John/ジョン」ドイツ語で「Johann/ヨハン」フランス語で「Jean/ジャン」イタリア語で「Giovanni/ジョバンニ」スペイン語で「Juan/ホアン」チェコ語で「Jan/ヤン」ハンガリー語で「Janos/ヤーノシュ」ロシア語で「Иван(Ivan)/イワン」と、綴りも発音もバラバラです。ですが、これが「同じ名前」と認識されるわけです。
梅田修「ヨーロッパ人名語源事典」(大修館書店2000)ISBN978-4-469-01264-4
実を言うと、固有名詞が言語圏によって変化するというのは、歴史的に見れば洋の東西を問わず一般的な現象なのです。ただ、書き言葉の綴りまで変わってしまうヨーロッパとは違い、表意文字である漢字の文化圏では、漢字表記という「見かけ」は同じで、ただ読み方だけが違うという状況であったことは、少々違う点と言えるかもしれません。
例えば、第2次大戦後の中国の指導者「毛沢東」を普通話(北京の宮廷語を基礎とする中国の標準語)の発音で「マオ・ツォトン」と呼ぶ日本人は少ないでしょう。多くは「モウ・タクトウ」と発音すると思います。歴史的に見れば、日本語の文章の中では「モウ・タクトウ」と発音するのが本来の流儀なのです。
これは言語が異なる場合だけでなく、同じ言語の方言でも同様です。表意文字に基づく文化である中国では、書き言葉は充分に統一されているのに話し言葉はバラバラという状況が長く続き、今に至っています。つまり、同じ文字を地方によって異なる発音で読むのが当たり前であり、それに応じて地名人名も当然に読み方が変わるのです。
近代以前の歴史的事情は以上の通りなのですが、近代に入って人の移動が大規模かつ軍事力や権力を伴うものになって、事情が変わってしまいました。漢字の「読み方」が民族のアイデンティティに結びついてしまったのです。具体的には、一方が自民族流の読み方を相手に強いることが「支配」の象徴になり、被支配側が自民族流の読み方を用いることが「抵抗・自立」の象徴になったわけです。
韓国大統領「李明博」の名前は、近代以前の歴史的流儀に従えば、日本語の文章中では「リ・メイハク」と読むべきなのです。しかし、この読み方の流儀は、近代史における民族抑圧を連想させるものになってしまっています。そこで、これを避けるために、日本語の文章の中でも「現地読み」の「イ・ミョンバク」を使うようになってきているわけです。なお、この流儀の普及が進んでいる背景として、国際化が進んで漢字文化圏以外の言語(英語など)に名前が現れることが増えたので、それ(当然ながら現地読み)に揃えるようにするという動機もあるかもしれません。
地名の読み方が民族対立に結びつくことがあるという状況はヨーロッパでも同じです。例えば、モスクワと並ぶロシアの大都市で首都機能を有していた時代もある「ペテルスブルグ」は、第1次世界大戦時に「ペトログラード」に改称されています。敵国ドイツ風の呼び名をロシア風に改めたのです。「ペトログラード」(初代皇帝ピョートルに由来)は革命のあと「レニングラード」(革命指導者レーニンに由来)に改称されたため長続きせず、ソビエト連邦崩壊後、なぜか「ペトログラード」を飛び越えて「ペテルスブルグ」にまで戻ってしまいました。
しかし、このような事例は、そう多くないようです。例えば、19〜20世紀に独仏間で取り合いを繰り返していた、現フランス領の国境地帯「アルザス・ロレーヌ」は、ドイツ領になっている間は「エルザス・ロートリンゲン」とドイツ風に呼ばれました。しかし、それは「地名も含めた何もかも」をドイツ風にした結果であって、地名人名だけを改めるということにはならないようです。ドイツ語の文章の中では、現在でも「エルザス・ロートリンゲン」ですし、その文章をフランス語に翻訳すれば、地名も当然に「アルザス・ロレーヌ」に「翻訳」されます。
つまり、「何語の文脈に置かれているか」によって地名や人名を自由に変化させるのが当然なわけですから、ある程度以上の知識人であれば、「この名前は何語ではどうなる」という対応表が頭の中に入っていて自由に使いこなせるハズなのです。
日中韓の関係では、この状況は実現されていないと思います。多くの日本人は、かなりの「知識人」と呼ばれる人であっても、1980年ごろ以前に有名になった韓国人の「現地読み」は知らないし、最近有名になった韓国人の「日本語読み」も知らないでしょう。本来なら、両方をしっかり知っていて自由に使い分けられるべきだと思うのですが、そのような状況の実現は夢物語なのでしょうか?
リヒャルト・シュトラウスの作品に「ツァラトゥストラかく語りき」(Also sprach Zarathustra)という曲があります。映画「2001年宇宙の旅」(2001: A Space Odyssey)の最初と最後に冒頭部分が使われたことでも有名な曲ですね。
ところで、「ゾロアスター」という名前を聞いたことはありませんか?何者かは判らなくても聞き覚えのある名前だと思う方も多いのではないでしょうか。もしかしたら世界史の教科書にチョロっと出てきたことを覚えている方もあるかもしれません。
唐突に話題が変わったように思ったかもしれませんが、実は「ツァラトゥストラ」と「ゾロアスター」は同一人物なのです。随分違うような気がするかもしれませんが、元々は「Zaraθustra」とでも綴るべき名前で「ザラスシュトラ」に近い読みになるようです。「θ」はラテン文字圏では通常「th」で表記し、英語などでは舌を軽く噛む摩擦音で発音します。しかし、ドイツ語などこのような音を使わない言語では「タ行」になるのが普通で、さらに「Z」の読み方の流儀をドイツ風に変えると「ツァラトゥストラ」になるというわけです。一方、古代ギリシャではギリシャ風に変えて「ゾロアストレス」(Ζωροαστρησ)と呼んでいたようです。英語では、これが「ゾロアスター」(Zoroaster)になります。
シュトラウスはニーチェの同名の著書を元にしたとされています。ツァラトゥストラを主人公にした物語の形をとっていますが実際の伝記ではなく、ニーチェが彼の思想の一部分に自分の主張との共通性を見出して仮託したものと言われています。
ゾロアスター教の開祖とされる実際のザラスシュトラは紀元前13〜7世紀ごろの人と考えられています。ゾロアスター教は善悪二元論を基本とし、善の象徴として火を崇めるため「拝火教」とも呼ばれています。また、その後の一神教の発想の元になっているなど、後世への影響も多々指摘されています。ササン朝ペルシャの国教になるなどの発展をしましたが、イスラム教の隆盛によって衰退変質して現在に至っています。
「カール大帝」あるいは「シャルルマーニュ」という人物を御存知ですか?いずれの名前にも聞き覚えがある方でも、両者が同一人物とは知らなかったという方が多いのではないでしょうか。
「カール大帝」の「カール(Karl)」の部分はドイツ語です。全体をドイツ語で表現すると「Karl der Grosse(偉大なるカール)」となります。英語ではそのまま直訳して「Charles the Great」と呼び、これを訳した「チャールズ大帝」という表現が使われることもあるようです。一方の「シャルルマーニュ」は「Charlemagne」というフランス語で、「magne」は「grosse」や「great」と同じ意味です。何故フランス語だけ、つながって一つの単語になったのかは、調べてみましたがよく判りませんでした。
いずれにしても、8〜9世紀の人物ですから、これらの名前は基本的に後世のものです。当時の呼び方として正統なのは、やはりラテン語の「Carolus Magnus(カロルス・マグヌス)」でしょう。何だか同一人物とは思えないような名前が沢山並びましたが、冷静に考えてみると、全て単に「直訳」しただけです。
カール大帝は、西欧社会では「伝説の偉大な帝王」の代表と考えられています。その理由は、彼の業績によって「西欧」が1つの文化領域として確立したからであると言って良いでしょう。4世紀末のいわゆる「ゲルマン民族の大移動」によって成立した国の1つである「フランク王国」の国王だったカール大帝は現在のフランス・ドイツ・イタリア北部を含む領域を統一し、ローマ教皇から「西ローマ皇帝」の称号を与えられました。これは、当時唯一の「ローマ皇帝」であった東ローマ皇帝からの自立を意味し、同時にカトリック教会が東方教会(ギリシャ正教)から自立することも意味しました。
その後、西ローマ皇帝は「神聖ローマ皇帝」となり、その神聖ローマ皇帝も時代とともに変質して単なる「ドイツの皇帝」になってしまいますが、西欧社会の伝統的世俗権威として、カトリック教会と共に西欧社会の精神的中軸であり続けました。ナポレオンが「皇帝」になる際にも、カール大帝が皇帝になった経緯を利用しています。