通算第187回(2012年5月号)

 秋の演奏会で採り上げる「マードックからの最後の手紙」は、実在の人物である「マードック航海士」が書いたであろう手紙をイメージして作曲したものだそうです。

第33講:マードック航海士のこと(第1回)

 マードック航海士はフルネームをウィリアム・マクマスター・マードック(William McMaster Murdoch)といい、タイタニック号の沈没事故に際して殉職した人です。 1997年の映画には、彼が登場する印象的なシーンがありました。 乗客を救命ボートに乗せる作業の指揮をしていて、自分勝手な乗客を威嚇しようとして射殺してしまい、その直後、射殺に使った拳銃を自分の頭に当て、敬礼の姿勢のまま自殺したのです。

 この自殺が事実であったかどうかは、事故後の海難審判でも議論になっていたようで、結局のところ確実な証言が無くて結論は出なかったようです。 1997年の映画は「史実の中に架空人物を填め込む」方針で作られていて、随所において細部でリアリティにこだわった表現をしています。 しかし、争いのある事実については、どれか一つの説を選択せざるを得ないわけで、この自殺騒ぎもその1つということになります。 当時、この自殺騒ぎを「マードック航海士の責任放棄」と非難する論調があったようで、近しかった生存者が彼を擁護する証言を残しています。

 マードック航海士は、そもそも事故発生時の当直士官(交替で勤務にあたる、各瞬間における運航の最高責任者)でした。 また、事故の遠因の1つになったとされている出港前の事件にも「巻き添えを喰った」立場で関わっています。 さらに、衝突以降にも、他の航海士と較べても傑出した行動が伝えられています。 このような彼の人物像を、周辺の状況も見ながら、順次見て行きたいと思います。

参考資料

Wikipedia 「タイタニック (客船)
英国屋〜忘れえぬ夜の物語〜(海(わだつみ)=GRANDLUXE悪徳廻船問屋白星屋海運部門) http://www.pluto.dti.ne.jp/~mucha-07/grandluxe/wadatsumi/eikoku/titanic/
タイタニックのクルーたち http://www.titanicjp.com/



通算第188回(2012年6月号)

 そもそも航海士とは何か見ておきましょう。

第33講:マードック航海士のこと(第2回)

 どんな船にも、運航の最高責任者である船長(艦長、Captain)が居ます。 一人乗り用水上バイクの操縦者も、船長は船長です。 しかし、大型船舶は船長一人では動かせません。 何より機関(エンジン)が巨大すぎて、機関長以下の機関士(Engineer)が専門に担当する必要があります。 機関に関わること以外の運航業務、即ち航路選定などの運航計画や操船指揮、あるいは乗客や荷物の安全管理に携わるのが航海士(Officer)です。 そして、航海士の指示に従って実際に諸作業に携わるのが、甲板長(Boatswain)以下の甲板員(Sailor)です。 船長は、具体的な職務内容からすると「一番偉い航海士」と言えなくも無いのですが、通常は船長のことを航海士とは呼びません。

 外洋航海する大型船舶には、船長以外に3人以上の航海士が乗務することになっています。 タイタニック号には7人の航海士が居ました。 上流階級の乗客に対応するために、荒くれ者の甲板員ではなくインテリである航海士が必要と考えたのかもしれません。 もちろん、客船ですから航海士とは別にパーサー以下の客務担当者が居たわけですが、それとは別に、技術者としての航海士が求められたのでしょう。

 航海士は指揮系統や役割分担を明確にするために、一等航海士、二等航海士、三等航海士という階級が定められています。 3人より多い事例は、特に自動化が進んだ最近は珍しいようなのですが、「首席二等航海士、次席二等航海士」などと階級を細分化して、他の艦船との対応が判るようにする事例もあるようです。 しかし、タイタニック号には六等航海士まで居て、他と単純に対応する等級では無かったようです。 通常、航海士長(Chief Officer)と一等航海士(First Officer)は同一人物を指すのですが、これを分けることで7段階の階級にしたわけです。 沈没時には航海士長から二等航海士までが通常の一等航海士に相当し、三等と四等が通常の二等、五等と六等が通常の三等に相当したようです。 この対応は固定的なものではなく、例えば試験航海では二等航海士が通常の二等に相当する航海士だったようです。

 マードックは、この階級制の中の「一等航海士」でした。 ですから、通常の3等級の中で考えれば「次席一等航海士」に相当する立場だったとも言えます。



通算第189回(2012年7月号)

 沈没事故に関係があったかもと言われている、出港時のちょっとした事件を見てみましょう。

第33講:マードック航海士のこと(第3回)

 タイタニックには船長の他に7人の航海士が居たわけですが、3日間の試験航海の後、乗客を乗せて処女航海に出発というときに、突如人事異動が行われています。 何の目的での人事異動だったかは不明らしいのですが、結果として姉妹船(似たような設計で同じ時期に作られた船)である「オリンピック」の航海士長だった人が新たに航海士長として乗船し、元の航海士長が一等航海士に、元の一等航海士が二等航海士にと1階級ずつ降格になって、元の二等航海士が下船することになりました。 つまり、マードックは元々航海士長だったのが一等航海士に格下げになったわけです。

 尤も、マードックは降格人事でフテくされて仕事の手を抜くような人物では無かったようですが、任務のシフトが変更になったりしたことによる混乱は当然あったでしょう。 そして、この突然の人事異動が原因になって「双眼鏡紛失事件」が起るのです。

 当時、双眼鏡はまだ高価な品物で、普段は厳重に管理されていて、必要なときに取り出して使うような態勢になっていたようです。 ところが、タイタニックには何の手違いか双眼鏡の保管庫が設置されていなかったのです。 そこで、二等航海士が自室で管理することになったのですが、その二等航海士が下船してしまったので、行方不明になってしまったというわけです。 1997年の映画でも「双眼鏡が見つからない、困ったもんだ」というような科白があるのですが、非常に簡単に扱われているため、背景を知らない人には何のことだか判らないでしょう。 ちなみに、問題の双眼鏡は後任の二等航海士が事故の直前に発見したのですが、結局使われず仕舞になってしまいました。

 双眼鏡紛失事件が無ければ氷山を早く発見できて衝突せずに済んだのではないかという意見は当然ありますが、否定的な意見も強いようです。 双眼鏡は肉眼より遥かに視野が狭いので、氷山のような予想外の障害物が無いかどうかを見張る場合には、まず肉眼で広範囲を見て、気になった時だけ双眼鏡を使うのが基本だからです。



通算第190回(2012年8月号)

 事故発生後のマードックたち航海士の行動について見てみましょう。

第33講:マードック航海士のこと(第4回)

 タイタニックに乗務していた8人の船長・航海士のうち事故から生還したのは4人です。 階級が上位の3人、即ち船長・航海士長・一等航海士(マードック)と、最下位の六等航海士は生還しませんでした。

 後日進められた海難審判で生存者の証言が系統的に集められており、航海士たちがどこで何をしていたかなどといった事故後の船内の様子は、大混乱していたと考えられるわりには、よく判っています。 しかし、生還しなかった4人の最期がどのようなものであったかは、全く判明していなようです。

 沈没が確実になった後、航海士たちが手分けして、救命ボートへ乗客を移乗させて海面に降ろす作業を指揮しました。 右舷側の責任者はマードック一等航海士、左舷側は二等航海士でした。 ただ、この救命ボートは、そもそも定員が乗客乗員総数の半分しか無かったうえ、取扱い訓練も不充分だったため、大混乱したようです。 背景には、それまでの事故の経験から大型船が短時間で沈没してしまうことは無いと想定されていて、救命ボートを救援船への移乗手段と考えていたこともあるようです。

 救命ボートへの移乗に際して、女性と子供を優先するという方針が示されました。 しかし、その運用方針が左右で異なっていたようです。 左舷側の二等航海士が方針を杓子定規に守って成人男性を絶対に乗せなかったのに対して、マードック一等航海士が指揮していた右舷側では、ボートの空き状況に応じて柔軟に対応し、成人男性も適宜移乗させていたようです。

 マードックがこのように柔軟かつ適切な状況判断ができる人物であったということは、他の証言から伝えられている彼の人物像とも合致するようです。



通算第191回(2012年9月号)

 1997年版の映画におけるマードックの扱われ方について見てみましょう。

第33講:マードック航海士のこと(第5回)

 前回も見たように、マードック一等航海士は優れた判断力を有する魅力的な人物だったようです。 ところが、映画では随分と情けない人物像に描かれており、そのギャップに驚かされます。 実際、マードックの遺族が映画製作会社に対して名誉毀損で訴訟を起こすという騒ぎもあったようです。

 事故発生時には、マードックが部下にあたる六等航海士と2人で運航を指揮していました。 映画でも、事故前の操舵室の様子を描いたシーンなどで、この2人が頻繁に映っているのですが、どうも上司と部下の関係が逆に見えてしまいます。 もちろん、階級章の読み方(例えば、マードックは上着の袖についている金色の線が2本あり、部下は1本)を知っていれば判断がつきますが、そういう知識が無いと判断できないのです。 日本語版字幕も、VHS版で見る限りでは、上下関係を誤解していると思われる訳になっている部分があります。

 このような描かれ方は、ある意味トバッチリなのかもしれません。 映画では、ヒロインとの政略結婚が予定されていた婚約者を道徳的に劣った人物として描いており、その一環として、彼がマードックを買収して「救命ボートの席」を確保しようとする場面があります。 マードックは一度は札束を受け取ってしまうのですが、その後の切刃詰まった場面になってから、「この状況でカネに何の意味がある」と叫んで札束を投げ返します。 この経緯も彼が精神的に追い詰められる要因の1つになって、最終的に自殺するという展開になっています。

 このストーリー展開が成立するには、買収されるのは救命ボート取扱いの責任者で、しかも生還しなかった人物でなければなりません。 そうなると、消去法的にマードックの役回りということにせざるを得ないわけです。 おそらくは、こういう事情で、事故発生以前からマードックを少々頼りない人物像に描くことになったのだと思われます。



通算第192回(2012年10月号)

 マードックを中心に航海士たちの動きを見てきましたが、一方の機関士たちはどうだったのでしょうか。

第33講:マードック航海士のこと(第6回)

 第2回にも書いたように、大型船舶を動かすには、船長や航海士と機関士との双方が必要です。 タイタニックは蒸気船でした。 つまり、ボイラー室で石炭を使って発生させた水蒸気を使って蒸気機関を回し、船のスクリューを動かす動力にしていたわけです。 ボイラー室には石炭を扱う肉体労働を担う火夫たちが居り、彼らを指揮しつつ各機器の操作を担う機関士や技師が、機関長を含めて34名居ました。

 発生させた水蒸気の大部分は動力として使っていましたが、一部は発電機を回していました。 タイタニックの照明は電灯でしたし、その他諸々の船内設備も電気で動いていたのです。 機関室には電気設備専門の技師も居たようです。

 タイタニックは衝突の2時間40分後に沈んでいますが、その約2分前、船首が水没したため宙に浮いた船尾の荷重に耐えられずに船体が折れてしまう寸前まで、船内の照明は点灯していました。 これは、この時点まで機関士たちが船内の電気設備を守っていたことを意味します。

 また、フル稼働しているボイラーに海水が流れ込むと水蒸気爆発(突沸)を起こす可能性が高く、それによる船体損傷も沈没の一因ではないかという説がありました。 しかし、海底で発見された船体に、その形跡はありませんでした。 これは、機関士たちがそこまで計算してボイラーの状態を調整していた結果だと考えられているようです。

 機関士たちは航海士たちと違って、基本的に乗客との接点がありません。 しかも、タイタニックの機関士たちは一人も生還しませんでした。 そのため、衝突後の機関士たちの行動は、ほとんど判っていません。 断片的情報として、沈没の20分ほど前に機関長が全員の任務を解放し、各自避難するよう命じたということは判っています。 しかし、持ち場を離れる者は居なかったようです。 1997年の映画では電気設備を必死で守ろうとする機関室の様子が断片的に描かれていますが、これは全くの想像に過ぎません。 しかし、その想像に相当するだけの活躍があったことは確かなようです。



通算第193回(2012年11月号)

 タイタニックには、航海士や機関士以外のスタッフも多数居ました。 また、処女航海ということで関係者も多数乗船していました。 それらの人々について少し見てみましょう。

第33講:マードック航海士のこと(第7回)

 タイタニックには、船を所有して運航している会社の社長や、船の設計者も乗船していました。 この2人は1997年版の映画にも登場します。 設計者が乗船していたために、事故の際に船の浮力が持たず短時間で沈没することを、航海士たちが早い段階で認識できたと考えられています。 このうち設計者は生還していません。 映画では完全に傾いた船の中央ホールで、船の運命に思いをはせながらたたずんでいるシーンが印象的ですが、これは実際に最後に目撃された情報に基づいているようです。

 一方の社長は、真っ先にでもなく最後のギリギリでもなく、どちらかというと常識的なタイミングで救命ボートに移乗し、生還しています。 しかしながら、事故を起こした社長として世間から責められ、事業家としても没落して25年後に亡くなっています。

 映画では、パニック状態の乗客たちを少しでも落ち着かせるために、弦楽四重奏団が甲板で演奏しています。 これも実際の証言に基づいているようです。 映画では「もう良いだろう」と急かされて救命ボートに向かいかけたところで、リーダー(バイオリン)が賛美歌「主よ御もとに近づかん」を弾きはじめ、他の3人も歩みを止めて合わせて演奏を始めます。

 この経緯自体には誰かの証言があるわけではなく、全くの想像に基づく演出のようです。 事実として判っているのは、この楽士たちが生還しなかったということです。 船が沈没するギリギリの段階まで音楽が聞こえていたという証言もあるようです。 最後に演奏していた曲は「主よ御もとに近づかん」だったという証言の他に、やはり賛美歌である「友という友はなきにあらねど」だったという証言もあるようです。



通算第194回(2012年12月号)

 「マードックからの最後の手紙」の作曲者が、何故「手紙」というモチーフを使ったのか、それは実際にマードック航海士の手紙が遺されているからです。 そのあたりについて見てみましょう。

第33講:マードック航海士のこと(第8回)

 タイタニックが運航していた当時、無線通信というもの自体は既に普及しており、船舶でも利用されていました。 ただ、専らモールス信号による「電報」のやりとりで、音声そのものを電波に載せて伝えるということは一般化していなかったようです。

 客船では、富有層の乗客に対するサービスとして、私信を伝えるということも行っていたようです。 タイタニックの遭難に際しても、通信士が乗客サービスとしての私信の処理に忙殺されていたために、氷山への警戒に関する情報や、事故そのものに関する情報が迅速に伝わらなかったということが指摘されています。 当時は、業務上の通信(特に緊急性のある通信)とサービスとしての通信の優先順位など、通信回線の使用に関するルールは確立されていなかったようで、むしろタイタニックの事故をきっかけにルールが整備されて行ったという側面もあったようです。

 そんな状況ですから、急ぎでない通信は専ら紙媒体による手紙が中心でした。 特に航海士を務めるような教養レベルの高い船員は、寄港計画に合わせて頻繁に手紙を書き、寄港地から発送していました。

 マードック航海士は、その中でも特に「筆まめ」な人だったようです。 タイタニックの船内からも、処女航海の出港地から妹に宛てて、また最後の寄港地から両親に宛てて、各々発送した手紙が遺されています。 (妻は出港地に来て船内見学をしているので、特にタイタニックからの手紙はありません。)

 手紙の内容は、当然ながら船内で起った諸々の出来事(自身の一等航海士への降格、火夫のストライキ、出港地で港内衝突事故を起こしかけたことなど)が綴られていますが、病気療養中だった母親を気遣ったり、妹の休暇旅行の様子を尋ねたりするなど、家族思いの側面も強く感じられる文面です。



「だから何やねん」目次へ戻る

Copyright © 2012 by TODA, Takashi