通算第295回(2023年6月号)

 秋の演奏会では「東欧」をテーマに選曲することになりました。 そこで「東欧」について見てみましょう。

第45講:「東欧」とは(第1回)

 15世紀以降、世界はヨーロッパの中でも西にある国々の影響を強く受けてきました。 そして、西ヨーロッパの人々は自分たちの「東側」にある世界を混然一体に理解する傾向があります。 例えば「近東/中東/極東」という表現があります。 元々は18世紀ごろに主にイギリス人が外交課題を整理するために作り出した言葉で、「東ヨーロッパの南方/アラブ世界/インドや中国の周辺」という全く性格の異なる地域を強引に「東」とまとめてしまったものです。 外交や政治だけでなく、文学や音楽などの文化面でも「東方の異文化」として一緒くたに捉えられる傾向があります。

 「極東」はともかく「近東・中東」は当時の外交課題の対象地域だったオスマン帝国の勢力圏を指しているので、その範囲外は「近東」には含まれません。 つまり、「近東」にその北側のオスマン勢力圏外の地域を併せたのが「東欧=東ヨーロッパ」と呼ぶべき1つの地域ということになります。 住民の多数は「スラブ民族」に属する民族です。

 東欧のイメージを特に文化面で混乱させている原因の1つにジプシー(ロマ/チゴイネル)の存在があります。 ジプシーについては以前にカルメンを演奏したとき(2016年6月号)にも取り上げましたが、西ヨーロッパ人にとっては「東の方から異文化を持ち込む連中」です。 そして、当然ながら元々の起源の地(明確には判っていない)から直接来たわけではなくヨーロッパ各地を転々と漂泊しているわけですから、各地へやってくる前に居た地名(ボヘミア、ハンガリーなど)がジプシーと同一視される場合もありました。 例えば、音楽では西ヨーロッパの作曲者が「東方」を表現するのに多用されている「ジプシー音階」と呼ばれている音階は「ハンガリー音階」とも呼ばれています。

 このように主に「西からの視点」が原因でイメージが混乱している東欧ですが、順を追って紐解いていきたいと思います。

参考資料

Wikipedia「東方問題



通算第296回(2023年8月号)

 東欧の独特の文字について見てみましょう。

第45講:「東欧」とは(第2回)

 「キリル文字」を「ロシアの文字」と認識している人が多いかもしれませんが、元々は各種のスラブ系言語を広く意識して作られた文字です。 成立に重要な役割を果たしたとされる「キリル」はブルガリア人です。 スラブ民族への伝道を進めるために文字を考案したのですが、ギリシャ正教(後のロシア正教)の聖職者だったので、カトリックが信仰されていた地域では使われていません。

 キリルの功績はスラブ系言語にどれだけの文字が必要かを明らかにしたことです。 キリルは全く新しい文字を考案したのですが、それは使われず、ギリシャ文字が存在する音はそれに置き換えたものが広く使われるようになりました。 ですから現在「キリル文字」と呼ばれている文字の大部分はギリシャ文字(の大文字)と共通です。

 キリル文字は、西欧から文字を持ち帰ろうとしたロシア人が事故に遭って資料を失い、ウロ覚えで再現したものだという俗説がよく知られていますが、もちろんこれは全くのデタラメです。 むしろラテン文字(ローマ文字)の方が、ギリシャ文字が正確に伝わらずに変形してしまったものです。 古い時代に手書き文字が伝達されたもので、紙媒体も今日のように発達していなかったので、そうなってしまったわけです。

 典型例が「R」を巡る混乱です。 相当するギリシャ文字「Ρ(ロー)」は「P(ピー)」に似ていますが、それに相当するのは「Π(パイ:πの大文字)」です。 ギリシャ文字がローマに伝わるときに「Γ→C、Δ→D、Σ→S」と文字が丸まる傾向があり、「Π」の右脚も丸まったのですが、左脚に接触すると「Ρ(ロー)」と区別できなくなります。 そこで「接触している」ことを強調するために斜線を入れたのが「R」という文字の起源です。 一方のキリル文字では「Ρ(ロー)」がそのまま「Р(エル)」になりました。

 キリル文字の大文字で、全く別のラテン文字と区別がつかないのは「Р」「С(エス)」「Н(エヌ)」だけです(小文字には他にも厄介なのがあります)。 つまり、この3つにさえ注意すれば良いということになります。

参考資料

千野栄一(1981) スラヴ系文字の発展, pp.107-136 In: 世界の文字(講座 言語 第5巻), Ed. 西田龍雄, 大修館書店, ISBN 4-469-11055-8



通算第297回(2023年10月号)

 東欧に住むスラブ以外の民族について見てみましょう。

第45講:「東欧」とは(第3回)

 東欧の住民の多数は「スラブ民族」に属する民族ですが、他の民族も住んでいます。 ややこしいのは「東欧」とはそもそもどこまで含まれるかを定義するときに「スラブ民族が住んでいる範囲」が基準になる傾向があることで、そのため地理的には「東欧の続き」と考えても良さそうな地域が東欧に含まれないことも起こります。 その典型はギリシャとフィンランドでしょう。 共に地形的には東欧の一部と考えて良さそうですが、通常は「東欧に隣接する地域」と考えます。

 一方、地理的にスラブ民族に囲まれている他民族居住地域は「東欧」に含めて考えます。 国単位では、ルーマニア、モルドバ、ハンガリーが該当します。 また、バルト3国も東欧に含めて考える場合があります。

 ルーマニア語は東欧の中に地理的に孤立して存在するラテン系言語で、なぜそうなったかという成立経緯には諸説あって明確ではないようです。 近代には東欧南部の他の地域と同様、オスマン帝国からの離脱に始まる政治的な経緯に翻弄されてきました。 ルーマニアに隣接するモルドバはほぼ同じ言語を使い、ルーマニアの一部であった時代もあるのですが、やはり政治的理由で別の国になっています。

 ハンガリー(マジャル)とエストニア(バルト3国の最北)はフィンランドと並んでヨーロッパの中でアジア系の言語(日本語なども含むウラル・アルタイ系の言語)を使う特異な地域です。 ハンガリーという地名が4世紀にヨーロッパに侵攻してきたフン族に由来するというのは俗説として否定されているようですが、フン族の領土が起源になっていることは事実のようです。 それに対して、エストニアやフィンランドには有史以前からウラル語族が住んでいたのが、地理的に北に隔絶されて残ったようです。 バルト3国の残る2国(ラトビア、リトアニア)も遺伝子などを調べるとウラル語族の末裔らしいのですが、言語はヨーロッパのもの(バルト系言語)を使っています。

参考資料

Wikipedia「ルーマニア人」 「ルーマニア」 「ハンガリー」 「エストニアの歴史」 「フィン人」 「ラトビア人」 「リトアニア人



「だから何やねん」目次へ戻る

Copyright © 2023 by TODA, Takashi