通算第299回(2024年2月号)

 春の演奏会で戦後各世代のアイドルの曲を採り上げることになりました。 そこで「アイドル」について考えてみましょう。

第46講:アイドルとは(第1回)

 アイドル(idol)は元々「作られたもの」というような意味の言葉で、それが「偶像」という意味を経て「崇拝されるもの」という意味になり、「崇拝」の意味が宗教的なものからサブカルチャーへと変化していきました。 ちなみに、エンジンの待機状態などを意味するアイドル(idle)は「何もしない」という意味で「怠慢」という意味に使われることもあります。 現代英語では「idol」の「o」を発音しないので、英語でも双方が同じ発音になってしまいます。

 現代的な意味の「アイドル」への感情を「疑似恋愛」と表現する場合があります。 そもそも「恋愛」というのは、生物学的には「種族保存本能」に根差したものと考えることができるわけですが、ある程度の知能を持った動物になると、そこに相手に対する「好み」「理想像」を求めるようになります。 しかし、現実には求めるような相手が得られるとは限らず、理想と現実の「ギャップ」が生じることになります。 そのギャップを前提に、現実はあくまで現実として置いておいたうえで、それとは何らかの意味で切り離した形で「理想」を求めたいという想いはあるでしょう。 「アイドル」に対する感情にはそういう側面もあると考えられます。

 では、「アイドル」であることを職業とする人々のことはどう捉えれば良いのでしょうか。 芸能人とは「夢を売る商売」であるという表現があります。 その延長で、恋愛対象に対する「理想像」を「夢」として提供するのが職業としての「アイドル」だというのも1つの考え方かもしれません。

 今回採り上げる、そのまま「アイドル」というタイトルの曲はアニメ「【推しの子】」の主題歌で、歌詞の内容はアイドルとして活動する側の本音になっています。 元々はアニメの原作漫画で主人公の母親をアイドルとして芸能界に引き込んだ人物の「嘘をつくことこそが、アイドルが提供する愛だ」という趣旨の発言なのですが、主人公の母親はその「嘘の愛」を続けることでいつか「本物の愛」に転化することを目指しており、この趣旨は主題歌の歌詞にも反映されています。



通算第300回(2024年4月号)

 日本におけるアイドルの源流について見てみましょう。

第46講:アイドルとは(第2回)

 現代的な意味の「アイドル」を「憧れの異性」という側面から捉えると、その源流は「人気芸能人」ということになるでしょう。 例えば「出雲阿国」(いずものおくに)を挙げることができます。 江戸時代に風紀の乱れを理由に女性の出演が禁止された歌舞伎ですが、元々は主に女性が踊るものだったようで、戦国末期ごろに活躍した阿国はその創始者とされています。 実在した人物ではあるものの伝説的な伝承が多く、その実像はあまり判っていませんが、多くの人が認める憧れの存在だったことは確かなようです。

 さらに遡れば、源義経の愛妾として有名な「静御前」(しずかごぜん)なども、義経伝説の中でアイドル的な側面が付与されたと言えるでしょう。 また、神話時代に天の岩戸に隠れた太陽神・天照大神(あまてらすおおみかみ)を引きずり出すために岩戸の前で踊って一同を沸かせた「天鈿女」(あめのうずめ)まで遡って考えることもできるかもしれません。 天鈿女は「芸能の神」としても信仰されていて「【推しの子】」でも引き合いに出されています。 いずれにしてもこのような人々は「手に届かないところから憧れる」存在です。 「アイドル」の本来の意味である「崇拝対象としての偶像」には近いものですが、現代的な意味のアイドルとは少し違っています。

 現代的な意味のアイドルに近い存在として挙げることができる代表例は「笠森お仙」(かさもりおせん)でしょう。 江戸時代中期の明和年間(1770年ごろ)に江戸の谷中(やなか:上野駅から見て上野公園を挟んだ向こう側あたり)の笠森稲荷門前にあった水茶屋の看板娘で、美人画の錦絵で採り上げられたことから地元だけでなく江戸中で評判になり、お仙見たさに笠森稲荷に参拝に行く人も増えたと言います。 「会いに行けるアイドル」という意味ではAKB48の源流だという見解もあるようです。 実際、当の美人画に留まらず、手ぬぐい、絵草紙、双六などの「お仙グッズ」が販売されていたようで、現代のアイドル商法と大して違わなかったようです。

 人気絶頂だったお仙は突然茶屋から姿を消しました。 実は単に結婚して家を出ただけのことで、相手が何者だったかも史実として判っているのですが、当時から種々の憶測を産むような状況だったようです。

参考資料

Wikipedia「笠森お仙



通算第301回(2024年6月号)

 春の演奏会では戦後日本の女性アイドルを時代順に追う構成としました。 それをざっと振り返ってみたいと思います。

第46講:アイドルとは(第3回)

 演奏会では朝の連続テレビ小説でヒロインのモデルとして話題になった笠置シズ子を戦後アイドルの嚆矢として位置づけました。 しかし、この段階では歴史的なアイドルと同様に「人気芸能人」としての性格が強かったと考えられます。

 戦後復興期から高度成長に入った1950〜60年代の3人娘(美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ)を始めとするアイドルは現在の感覚に近い存在だと言えますが、それが確立するのは1970年代に入って天地真理、浅丘めぐみなどを経て山口百恵、桜田淳子、森昌子の「花の中三トリオ」が人気になったあたりでしょう。 そしてその流れが1970年代後半のキャンディーズやピンクレディーの爆発的人気につながっていきます。

 そして、1980年代は「山口百恵引退後のアイドル像」を模索するところから始まり、松田聖子や中森明菜を皮切りとして展開してきます。 この時期はアイドルの「多様化」が進むという現象も起っていました。 具体的には、バラエティ番組で活躍する森口博子や山瀬まみなどの「バラドル」、後藤久美子や宮沢りえなどによる「美少女ブーム」などがあります。 21世紀に入ってから盛んになった多人数アイドルグループの源流とも言うべき「おニャン子クラブ」も1980年代後半です。

 しかし、1990年代に入るとこの流れは失速し「アイドル冬の時代」とも呼ばれるようになります。 尤も、この時期は浜崎あゆみや宇多田ヒカルなど「可愛い子ちゃん歌手」を脱却したアーティスト志向の強いアイドルが産み出されるなど、新しい流れを試行錯誤する時期であったとも言えるでしょう。

 1998年には「モーニング娘。」が活動を始め、「卒業」と称するメンバー脱退と新メンバー加入を繰り返して新陳代謝しながら20年近く活動を続けています。 そして2005年に活動開始して「会いに行けるアイドル」を目指してファンとの距離を縮めたAKB48は、ファンがアイドルと「向き合う」のではなく「同じ側に立って」その成長を支援する在り方を作り出し、「推し」という用語を定着させることになったとされています。

 その後も、従来の在り方の逆を行こうとしている「新しい学校のリーダーズ」など、アイドルの在り方についての模索は続けられているようです。



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