イーストコースト(東海岸)というのは、この場合アメリカ合衆国の大西洋岸のことです。 とはいっても、この曲で題材になっているのはニューヨークの街と近郊の保養地・観光地で、「東海岸」のごく一部に過ぎません。 南紀白浜での見聞を「太平洋の風景」と呼んでいるのと大して変わりませんね。
第1楽章の「Shelter島」も第2楽章の「Catskill山地」もニューヨークの中心部から100〜200kmほどの距離にあります。 つまり、通勤圏とするには少々遠いが、休日に足を延ばすには丁度良いくらいの距離感です。 まずは、この距離感を地図で確かめてみてください。
表題は「Catskills」と複数ですが、これは「Catskillの山々」というほどの意味で、地名としては「Catskill」です。 前回も述べたように、ニューヨークから休日に足を延ばすのに丁度良いくらいの距離にある丘陵地帯で、近郊の保養地と考えれば良いでしょう。 また、ニューヨークの街の水源としても重要な山脈でもあるようです。 地形的にはアパラチア山脈の北東端に位置する「ゆるやかな山地」です。 実際、楽曲の内容は雄大な山々の風景に癒されている状況を描写したようなものですよね。
ところでこの「Catskill」という地名、「猫殺し」という物騒な意味のようにも思えますが、そういうわけではないようです。 ではどういう意味かというと、Wikipedia英語版が「謎である」と断言しているような状況でハッキリしません。 ただ、「kill」が中世オランダ語で「水路」や「河床」を意味する「kille」(現代オランダ語では「kil」)から来ているというのに異論は無さそうで、英語の辞書にも「殺す」という意味の「kill」とは語源の異なる語彙として「水路」を意味する「kill」が掲載されています。 つまり、小川があちこちに沢山流れているような丘陵地帯というイメージでしょうか。
一方の「cats」ですが、この地域にオランダ人が入植し始めた17世紀に「mountain lion」とも呼ばれるネコ科のピューマ(puma)が生息していたらしいので、それが由来になっているという説が一応は有力なようです。 pumaはケチュア語(インカの公用語)が起源で、トゥピ語(アマゾン流域の現地語)起源のcougar(クーガー)という呼び方もあります。 また、panther(パンサー)と呼ばれることもあるのですが、これは本来はアフリカ〜東南アジアに生息する豹(特にクロヒョウ)のことを指す言葉で、同じネコ科で似ていると言えば似ているので混同して使われているようです。 ちなみに、pumaの現在の分布範囲を見るとアメリカ東海岸北部は含まれておらず、西海岸のロッキー山脈あたりや南方のフロリダ半島に追いやられたようです。
Wikipedia英語版「Catskill Mountains」
「Shelter(シェルター)」を辞書で索くと「避難所」とか「保護」とかいう意味が出てきます。 核戦争を想定した「核シェルター」を連想する方もあるでしょう。 あるいは家庭内暴力(DV)などの私的攻撃から逃れるための施設が「シェルター」と呼ばれている事例もあります。 このように列挙すると大袈裟に思うかもしれませんが、shelterという語はもっと気軽に使えるもので、単なる「風よけ」「雨宿り」の意味になることもあります。 道に迷って偶々行き当たった小屋や祠で一夜を過ごしたなどというのも、典型的な「shelter」の事例ですね。
ではニューヨーク東郊のShelter島についてはどうかと説明をするには、まずこのあたりの地形について説明する必要がありそうです。ニューヨーク近郊に限らず、アメリカ合衆国東海岸は「穴だらけ」の海岸線になっています。 一番外の海岸線から少し離れたところに、つながってはいるが切り離された水域があり、外側との海との間は細長い島や半島になっているという事例が多いのです。 おそらく氷河で形成されたゆるやかに凸凹した地形(例えばV字谷ではなくU字谷)が海の浸食作用にさらされた結果でしょう。 その代表例がニューヨークの街から東へ延びる、「長い島」というストレートなネーミングの「Long Island」があります。
ニューヨークの中心部であるManhattan地区は、西側(West Side StoryのWest Side)がハドソン川を挟んで隣の町々と向き合っており、東側はイースト川(東側の川というストレートな名前)を挟んでBrooklyn地区やQueens地区へ続いています。 このBrooklynやQueensは実は「Long Island」の西の端にあたります。 つまり「Long Island」が「島」だと考えると、イースト川は「川」ではなくて「海峡」なんですね。
この「Long Island」の東の端は二股に分かれていて蟹の鋏のような形になっています。 そしてこの鋏に挟まれた小石のような位置にShelter島があります。 周囲の地形によって大西洋本体からも内側の湾からも隔絶された水域に浮かんでいる島というのがShelter島という命名の由来なのでしょう。
Shelter島には現在も橋が架かっておらず船で行き来するようで、その意味でも日常生活から少し隔絶された避難所(shelter)になっているようです。