「母なる海」という表現もあるように、「海」というものは生命の源泉と古くから考えられてきました。 これは現在の生物学的知見からしても妥当な考え方で、元々生物というものは海で発生して海で発展し、その中の一部が何回かに分けて上陸し、陸上に適応するよう進化したものが陸上生物であると考えられています。
そういうこともあって、西洋の多くの言語で「海」は女性名詞です。 森羅万象ことごとく(実際に性別があるかどうかに関わりなく)男女どちらかに分類するという謎の発想が何を起源としているかに定説は無さそうですが、西欧で主流である印欧語のほとんど(最も馴染みのある英語が「例外」というのは困った話ですが)で名詞に性別があります。 また、印欧語とは系統が根本的に異なるとされるセム語(アラビア語など)にも名詞に性別があり、これは印欧語の特徴というより地中海周辺の言語の特徴というべきかもしれません。 そういえば、印欧語の中でも地中海に近いラテン系の言語(フランス語など)の名詞には男女しかなくアラビア語などと同じなのですが、ゲルマン系(ドイツ語など)やスラブ系(ロシア語など)の名詞には男女の他に「中性」が存在します。 何らかの妥協的な経緯があったのかもしれません。
「海」が女性名詞であるという観点で面白いのがドイツ語で、女性名詞「die See」をそのまま男性名詞「der See」にすると「湖」の意味になります。 このことについて調べてみると、「海」を意味する他の表現(der Ozeanやdas Meerなど)との関係や、そもそも「湖」は身近だけど「海」は遠くにあるものというのがドイツ人の感覚だという論点などが出てきてなかなか複雑です。
いずれにしても、我々は「海そのもの」に住むことはできないけども「海」との関わりは強く意識し、「憧れ」や「畏れ」を抱いてきたということが、「海」というものを考えるうえで重要だということは言えるだろうと思います。
この曲については「海の男たちの歌」という謎の邦題が普及しているという現象があります。 曲の内容から考えても原題の文法的解釈から考えても滅茶苦茶なんですが、どこからこの変な邦題が発生したのか、よく解りませんでした。
「3つの歌」で構成されているという曲の内容からすれば原題で「songs」が複数形になっているのは当然ですし、「sailor」を単数にしているのは「sea」との対比という意味もあるのでしょう(集合名詞として単数で使われる場合もあるようです)。 また、「3つの歌」には「海の男」とは直接には関係しない「海そのもの」(具体的には鯨)の歌も含まれます。 「海の男(船乗り)」と「海」が対比されているのが本質なのです。
ところでこの「sailor」という言葉は「船乗り」「水夫」「水兵」「船員」などと訳されますが、要するに船の運航に関わる仕事に携わる人のことです。 客船の乗客は含まれませんし、船の運航を指揮する「officer」(航海士、士官)も「sailor」には含めずに対比的に使うことが多いようです。
「sailor」というと「セーラー服」を連想する人が多いかもしれません。 女学生の制服というイメージがありますが、本来は混乱する戦場で味方の水兵を識別するための制服で、水兵としての職務を前提とした実用本位の服装です。 大きなカラーは風の音が強い中で声が聞き取りやすいように立てて使うためのものですし、首周りの開放的なデザインやスカーフは海に転落したときの緊急対処を想定しています。
元々海軍の軍服であるセーラー服ですが、子供服に使うと可愛いということで流行したようです。 女学生の制服に使ったのは1つにはその流れもあるのですが、兵隊の格好をさせておけば不埒な者が欲情するのを抑制できるだろうという考えもあったようです。 しかし実際にはセーラー服自体が欲情の対象として一般的になってしまいました。 世の中、なかなか巧くはいかないものです。
まず「マゼラン」という名前ですが、最近は世界史の教科書でも「マガリャンイス(マゼラン)」という表記が増えてきました。 人名はその当人の母国語に準拠した発音で表記するべきという考え方に基づくものです。 出身のポルトガルではMagalhães、隣のスペインではMagallanesと綴るのですが、それ以外の地域ではMagellanという綴りが圧倒的優勢で、その英語読みに基づく「マゼラン」(マジェランと書くほうが英語の発音に近いかも)が使われているわけです。
尤も「マガリャンイス」という表記にも相当な無理があります。 元々カタカナでは表現しきれない発音なので、特に最後の「ンイス」の部分はカタカナとして素直に読んでも元のポルトガル語と同じには聞こえません。 むしろスペイン語名のカタカナ表記「マガリャネス」の方が元のポルトガル語に近く聞こえるかもしれません。
マゼランは大航海時代の代表的な人物の1人として知られています。 この「大航海時代」という用語は例えば英語ではAge of Discovery(大発見時代)あるいはAge of Exploration(大探検時代)ですが、この表現はヨーロッパ人の視点に偏っているとして、それに代わる表現として1960年代に日本人が考え出したようです。 最近は「航海」していたのは専らヨーロッパ人なので「大航海」でもヨーロッパ中心史観から逃れられていないということで「大交易時代」という呼び方も広まっているようです。
大航海時代は、ヨーロッパ西端のポルトガルやスペインがベネチアやイスラム諸国の既得権を逃れた交易ルートを求めて海上に乗り出した時代だと言えます。 重要な目的地の1つに香料諸島と呼ばれたモルッカがあり、インド洋経由の航路はポルトガルの既得権になりました。 マゼランは権益を確保したいスペインの意向を受けて太平洋経由の航路を開拓しようとしたわけで、世界一周が主目的ではありません。 この航路開拓という意味では太平洋が予想より遥かに広く失敗だったわけですが、結果的に艦隊が世界一周を成し遂げたことが後世に与える影響としては極めて大きかったわけです。
Wikipedia「フェルディナンド・マゼラン」「大航海時代」
「世界中の海」という意味で「7つの海」という表現がよく使われます。 「7つの海を股にかけて」「7つの海を越えて」「7つの海を渡る」などなど、枚挙に暇がありません。 ではこの「7つの海」というのは具体的にどこかということで、実際に列挙している例をよく見かけますが、これは「後からのコジツケ」に過ぎません。 「7つ」という数が先に決まっていて、それに合うように選んでいるので、当然ながら種々の流儀があります。
古来、西洋では「7」という数字に特別な意味を持たせるということが行われてきました。 例えばキリスト教の聖書でも、特に「黙示録」のような物事を直接的には表現せずに暗示するべく書かれている文書では、神秘的な力や重要な意味がある事象などを「7」という数値で表現することが多いようです。
「虹の7色」もその一例でしょう。 虹の色は赤から紫まで連続的に変化していて境界が無いので色の数を決めることができません。 一般的な7色の最後の「青藍紫」は大して違わないので、これを2色にまとめて「虹の6色」とすることもあるようです。 「青藍紫」を別の色と数えるのは実際に並ぶ間隔が広く、「赤橙黄緑青藍紫」だと概ね等間隔になるからだと思われます。 このように合理的な説明も一応はできるのですが、やはり結果的に「7」になるということは重視されているでしょう。
「日月火水木金土」の「七曜」もその類でしょう。 よく知られているのが、古くから知られていた5つの惑星に太陽と月を合わせた7つの星に対応させる考え方です。 この考え方は天王星が発見されたことで根拠が完全に失われたわけですが、そういう意義付けが考案されるほどに重視されていたことは確かでしょう。
「7つの海」という表現が確認できる最古の事例は中世アラビアのようです。 その後も様々な地域の様々な時代ごとに「7つの海」が定義されているのですが、どうしても身近な海域を独立に数え上げるため、世界的に見渡すとアンバランスな選択になることが多いようです。 現在では地中海などの縁海を排除して7つにするために、南氷洋を独立した1つの海と数えたうえで太平洋と大西洋を南北に分けることが多いようです。
Wikipedia「七つの海」