通算第78回(2003年4月号)

 3月最後の練習に怪我人状態で現れ、御心配をお掛けしました。 お蔭様で快方に向かっております。結局のところ原因不詳なのですが、膝の「皿」の部分が炎症を起こして、曲げ伸ばしが困難になってしまっていました。 体重が掛かっても平気なのですが、少しでも動かすと痛かったのです。 というわけで、人間の体の構造について……

ひと休み:ふと思ったこと(その1)

 皆さん、足を怪我されたことはあるでしょうか? 一度でも怪我をすると解るだろうと思うのですが、人間の足(さらに言えばほとんどの哺乳類の足)というのは「登り」に適した構造になっているのです。 怪我をすると階段や坂を「登れるけれども降れない」という事態に陥ることがよくあります。 駅などでエスカレーターが1台しか無い時に、登りで運用することが多いのですが、私に言わせると逆で、降りで運用するべきなんですよね。 あれは足の怪我をした経験の無い健常者が「登る方がしんどいだろう」と安易に考えた結果だろうと思っています。

 考えてみると、楽器演奏というのは、人間の体の構造というものを実に巧妙に利用しています。 もちろん、それは長年の経験則を積み重ねた結果なのですが。

 そして、怪我をしたり体調を崩したりすると、どんな楽器でも演奏は「全身運動」だということに気付き易くなります。 実際に楽器演奏を趣味にしている人でも、ついつい「直接使う部位」だけに気をとられがちなのですが、そうではありません。 例えば、私は幼少からピアノをやっていたのですが、風邪などで鼻が詰まると思い通りに弾けなくなります。 バイオリンなどでも同じことだそうです。 ブレスコントロールというのは、吹奏楽器(管楽器)だけに特有な必要事項では無いのです。

 あるいは、私は出身高校の音楽教師(私の卒業後に赴任)に「背筋(せすじ)の状態が演奏時と待機時とで根本的に違っている」という指摘を受けたことがあります。 それも、彼が現役部員たちに教えている中で「どちらかというと見習うべき例」としての指摘です。 よく言われる、ブレスコントロールは“姿勢”からというテーゼの顕著な例として挙げたわけですね。 “姿勢”というのは要するに全身の状態なわけで、全身運動である楽器演奏のために必要な条件なんですね。 極論すれば「アンブシェア」の一環だと表現しても良いかもしれません。

 話が妙な方向へ発展したついでなので、最後に更に変な話をして締めくくりましょう。 私は、時々(特に何かに集中している時)、足の指を丸めた状態にして、地面に垂直になった指で体重の一部を支える形にしてしまう癖があります。 妻に変だ変だと言われるのですが、どうやら息子たちにも同じ癖があるようです。 まあ、“臨戦姿勢”の一種として、そういう流儀もあるということで……



通算第79回(2003年5月号)

 そろそろ演奏会の曲目に関わる話題を始めたいのですが、第2部のメインが未確定ですし、調査未了の話題が沢山残っている状況です。 というわけで、先月の話の続きを続けてみたいと思います。

ひと休み:ふと思ったこと(その2)

 楽器演奏は「全身運動」だということを前回にお話ししました。 演奏するという行為は、楽器だけの問題ではなく、奏者の体を使った運動なのです。 これは弦楽器だろうと打楽器だろうと同じことなのですが、管楽器では特にうるさく言われます。 その理由は、管楽器では奏者自身の体が「楽器の一部」になってしまう傾向が強いからです。

 管楽器奏者ならアンブシェア(embouchure:“アンブシュール”とも表記する)というフランス語を日常的に使うだろうと思います。 西洋音楽以外の管楽器奏者はこういう用語は使わないかも知れませんが、それに相当する概念は必ずあるハズです。 この用語の意味説明にも種々あるようで、中にはドイツ語のansatz(アンザッツ)に相当するという説明も見掛けますが、少々違いますね。 ansatzは発音開始直前の準備態勢の意味で、弦楽器や打楽器はもちろん、声楽でも用いる用語です。 embouchureは「(海峡などの)出入口」という意味の言葉が、管楽器を演奏する際の「口の状態」という意味になったもので、発音開始直前に限らない内容を指す用語です。

 語源的には「口の状態」という意味ですが、embouchureは口だけで決まるものではありません。 ですから、私は広く解して「奏者の体の各部分と楽器との位置関係のうち、息のコントロールに直接関わる部分」とでも定義するのが良いと思っています。 要するに、楽器演奏のための「全身運動」の一環という感覚です。 そして、適切な位置関係が確保された体の部分は、楽器と一体になって全体が1つの「楽器」として機能します。

 embouchureの訓練は「体感による自分の体の制御」ということになりますから、その体感をどのように表現するかも難しいところです。 客観的な物理的状態と心理的な体感とが必ずしも一致しないことにも注意が必要ですね。 よく「力を抜け」と言いますが、本当に力を抜いたら楽器を落としてしまいます。 本質は「不要な力を抜く」ことなんですが、感覚的には、とにかく「抜く」ことに意識を集中すれば巧くいくので、こういう言回しがよく使われるわけです。 ビブラートの訓練でも「喉を使うな」ということがよく言われますが、実際には喉も使うんです。 問題は「喉を使っているという感覚」があるような状況は良くないということなんですね。

 「顎を引け、顎を落とせ」という表現もよく使われます。 でも、フルート奏者としての私の経験からいうと、むしろ「上顎を前に突出す」感覚になる方が巧くいきます。 実際には上顎が動くわけは無いわけで、「上顎を含む頭全体」が前に出る……ということは下顎を後に引くことになるんですが、フルートの場合には下顎と楽器の位置関係が固定されますから、楽器を基準に「上顎の位置」を制御する感覚が有効なのでしょう。



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