草津市穴村にあった「カワト」

 琵琶湖博物館が開館に向けて整備してきたデータの1つに「コミュニティ水環境カルテ」がある。 高度経済成長以前の水利用や、それから今日までの水利用の変化が解るような事物を住民参加型の手法を利用して全県的に調査しようというものであった。 県内の町丁大字の全てを網羅することを目標にしたのだが挫折し、多数の空白地域が残っている。

 調査は各々の地元住民の手で進めることを原則としたので、空白地域とは即ち協力者が偶々得られなかった地域であり、博物館からの距離には全く関係ない。 それを典型的に示すのが、博物館を取り巻く空白地域の存在である。 流石に博物館が建築された地元の下物(おろしも)は調査されているが、その周囲の半径約3kmの範囲が空白地域になっている。

 この空白地域の「幹線道路沿い」という目立つ場所に「カワト」があった。 名神高速道路の栗東インターチェンジから博物館へ向かう県道の途中、博物館まであと3kmという場所である。 筆者の通勤経路の途中でもあり、ずっと気になっていたのだが、2007年早々から、この県道を拡幅する工事が進捗し始めた。 工事の様子を見ていると、問題の「カワト」が存在する用水路を拡幅する分だけ移設するようである。 となると、問題の「カワト」は当然破壊されてしまうに違いない。 そこで、とりあえず最小限の現場写真だけでもと思って、撮影に出かけた。

 場所は草津市穴村町、信号のある交差点の南東角にある「魚伊商店」であり、地図サイトで例えば以下のように特定できる。

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日時は2007年3月19日(月)15時ちょうどくらいであった。 道を挟んで西隣の民家が前週後半に取り壊され、東隣は元々田んぼなので、この店の家屋だけが工事区域に取り残された格好になっていた。 店の表に陳列していた商品も既に撤収され、自動販売機は東側の駐車場の奥(=南)に移転してあった(写真2)。

 店の中を覗くと、長靴を履いた水仕事姿の年配の女性が作業をしていた。 琵琶湖博物館の職員であることを告げ、表の「溝へ降りる階段」の写真を撮りたいと申し出て、撮影しながら簡単に話を伺った。

 数十年前に商店を始めた時に設置したとのことで、「カワト」と呼んでいたとのことである。 プラスチック樽が置いてあった(写真1&2)ので訊いてみたところ、その樽も「カワト」で洗ったあと置いてある漬物用の樽だという。 しかし、食品を洗うのには昔から使っていないとのこと。 当方が何も言わないのに先方から「魚も居なかったし」と言い出した。 本来は野菜等を洗って魚も棲む場所という認識をお持ちのようで、そういうふうには使っていないとのことである。

 少し離れたところに、かつて別の「カワト」があり、県道を挟んで向かいの住民が使っていたとのことである(写真3)。

 取材のちょうど1週間後の3月26日(月)から4月7日(土)まで2週間ほどかけて家屋の解体工事が行われ、4月16日(月)には瓦礫整理も終わって完全に更地になった。 しかし、問題の「カワト」は、上下流の工事が完了するまで手付かずのまま放置されていた(写真4)。 2008年3月中旬に至って、道路の移設を伴う工事(交差点部分の水路接続構造変更か)があり、その際に埋められたようである。



2007年3月23日初稿/2017年8月12日ホスト移転・最終改訂

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