「忘れた頃にやってくる」から災害になる

 「天災は忘れた頃にやってくる(災害は忘れたころにやってくる)」という有名な警句があります。 一般には寺田寅彦の言葉として知られていますが、彼の著作には、この言回しは全く出てこないようです。 最初に文字にして広めたのが、寺田の弟子にあたる中谷宇吉郎(雪の結晶に関する研究で有名)であることは確認されているとのことです。 「確か、寺田が何処かに書いていたハズ」というつもりで「引用」したものの、実はそれは思い違いだったんだとか。 寺田が口頭でこのように言った可能性もありますが、中谷オリジナルの表現かもしれませんね。

因果応報論ではなく客観的な確率論的観察

 ところで、この警句は一体どういう意味でしょうか? 「タカをくくって油断していると、災害に襲われる」というような、精神論、あるいは因果応報論的な理解をしている人が多いのではないでしょうか? もちろん、この警句を因果応報論的に使うこと自体は否定されるべきことではないのですが、本来の意味はそうではないということを知っておいていただきたいと思います。

 どんな災害でも、「概ね何年周期」でやってくるというような頻度を評価することができます。 厳密に言うと、こういう場合に「周期」という言葉を使うべきではありません。 「周期」というのは、きっちり何年かごとにやってきて、次にいつ来るかが正確に予測できる場合に使うべき言葉です。 災害の頻度は、「平均すると何年おきになる程度の頻度(確率)で来る」という確率論的な意味でしか表現できません。

 そして、現実に起こる大災害の頻度を調べてみると、数十年というような「前回のことを忘れてしまうくらいの間隔を置いて」襲来するものが多いのです。 つまり、単に「不心得」で忘れているのではなく、「災害」というもの自体の性質として、忘れて油断してしまいやすい構造になっているのです。 このような客観的な観察結果を端的に表現したのが、この警句の本来の意味です。

何故「忘れた頃にやってくる」のか?

 それにしても、何故「前回のことを忘れてしまうくらいの間隔」になるのでしょうか? このことを冷静に考えてみると、この警句が示唆する別の側面が見えてきます。

 まず、逆の極端として、「災害に相当するような自然現象」が「忘れてしまうことなど無理な間隔」を置いて襲来するという状況を考えてみましょう。 これは「災害」になるでしょうか?

 例えば、毎年必ず洪水が起こって流されてしまう場所があるとします。 つまり、何かを設置すると、翌年までには流されてしまうと判っている場所です。 ここに「何年か継続して使う、流されては困るもの」を設置するでしょうか? 例えば、ここに家を建てて住む人が居るでしょうか? 答えは「No」でしょうね。

 もし、このような場所を利用するとしても、「流されてしまっても困らないもの」しか設置しないでしょうね。 有名なところでは、古代エジプトのナイル河川敷があります。 ここは、毎年洪水で流されるのですが、その洪水によって肥沃な土が毎年供給されるため、洪水の時期を外して農地として活用されていたと伝えられています。 そして、洪水の時期を確実に予測するために天文学が、何もかも流されて基準になるものが何も残らないところを管理利用していくために幾何学が、各々発達したと言われています。

 話を元に戻すと、「災害に相当するような自然現象」であっても、それが「忘れないうちに襲来する」ものであれば、人間の方が、それを見越したパターンで生活するなど、それなりの「備え」をします。 その結果、そのような自然現象がいざ襲来しても、人間の生活は打撃を受けません。 打撃を受けなければ、それは「災害」とは呼べません。

 しかし、「備え」の無いところへ「災害に相当するような自然現象」が襲来すれば、当然のごとく人々の生活が打撃を受けることになります。 「備えが無い」のは何故かというと、それは忘れていたからです。 忘れていたのは何故かというと、「忘れた頃にやってくる」現象だからです。

 寺田寅彦の著作の中に、冒頭に挙げた中谷宇吉郎の言葉の元になった可能性が高いと指摘されている部分が幾つかあります。 その中に、災害の直後の記憶が新しい間は危険地帯を避けて生活するが、記憶が薄れると共に生活の場が危険地帯へ進出して行き、広がり切った頃に次の災害が来るという趣旨のくだりがあります(例えば、昭和8年の随筆「津波と人間」)。 次の災害が「記憶が新しい間」に来れば、危険地帯を避けるという「備え」があるので実害が無く、「災害」にはなりません。 「記憶が薄れ」てから来るから「災害」になるのです。

 結局、「災害」だから「忘れた頃にやってくる」のではなく、「忘れた頃にやってくる」から「災害」になるのです。 ここの因果関係の向きは重要なことだと思います。

忘れない程度の発生が「備え」に不可欠かも

 この文章の初稿執筆日の6日後から、琵琶湖博物館で治水をテーマとするギャラリー展が開催されました。 「集水域を含む琵琶湖」と「人々のくらし」との関わりをテーマとする琵琶湖博物館において、「治水」という問題をどのように扱っていくかは、開館以来の大問題の1つです。 このギャラリー展は、その問題に対する1つの回答という意味も含めて開催されたものです。 当然ながら、開催に向けての準備を進める中でも、どのような考え方で展示を展開していくかということが大いに議論になりました。

 全くの偶然なのですが、開催前年の2004年は、大水害の発生で全国的に大変な年でした。 この状況を利用して「脱ダム」の流れを止めようという動きもあるようですが、これは、本当に為すべきこととは正反対です。 今回の大水害には、ダムに代表される「封じ込め制御型」治水政策の限界を露呈させたという側面が多々あるからです。

 明治以来の近代治水行政は、洪水を「発生させないように封じ込める」という考え方で進められてきました。 そして、その考え方に基づき、「洪水発生確率」を指標とする整備が進められてきました。 発生確率を「何年に1度」という数値で評価し、その「発生間隔年数」が長いほど優れていると考えることにしました。 そして、目標とする「年数」を設定し、それを越える「封じ込め能力」を実現していったわけです。

 ところが、例えば2004年の新潟県での大水害では、「100年に1度」を越える規模の洪水が発生したために「封じ込め」に失敗したと言われています。 それゆえ、もっと高い「封じ込め能力」が必要だ、という議論が出てくるわけなのですが、ちょっと待ってください。 どんなに高くしても、それを越える洪水の発生確率はゼロにはなりません。 従って、どんなに高くしても不充分だということになり、キリがありません。

 むしろ「封じ込め能力」を高めれば高めるほど、いざその能力を越えてしまった場合に危険なのです。 「忘れた頃にやってくる」の意味を思い起してください。 発生頻度が低いほど「忘れて」しまい、「備え」が不充分になります。 「備え」が不充分であれば、被害も大きくなります。

 今回の琵琶湖博物館のギャラリー展には、社会学を専門とする学芸職員が関わっています。 それは、水害に対する「地域コミュニティ」の「備え」が、このテーマを扱ううえで重要だと考えているからです。 「備え」とは、道具類を揃えるだけではありません。 むしろ、いざというときの連絡体制や、それを支える住民各々の普段からの心構えの方が重要だとも言えます。 そして、その「備え」を保つためには、過去の経験が「伝承」されることが不可欠です。

 ここで重要になってくるのが、「周期30年以上の行事は、極めて例外的にしか存在しない」という民俗学の経験則です。 有名なところでは、伊勢神宮の式年遷宮が20年周期です。 この限界周期は、「要(かなめ)となる技術者が、一生の間に3回関わる」ことができる限界と説明されているようです。 1回目は見習として、2回目は前線で指揮をとる責任者として、3回目は後方に控えて要所ごとに智恵袋となる長老としてです。 経験的知識が「伝承」されるには、この程度の頻度が必要なのです。

 治水政策に関しても「20〜30年に1度」よりも高い「封じ込め能力」を求めてはならないのかもしれません。 その代わりに、1回1回の洪水における被害を(洪水が発生することを前提に)軽減することを考えるべきなのではないでしょうか。

参考文献

松本哉(2002)寺田寅彦は忘れた頃にやって来る(集英社新書) ISBN4-08-720144-9



2005年4月17日初稿/2011年5月17日最終改訂/2017年8月11日ホスト移転

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