緑青が猛毒と信じられていた理由

 銅の錆である「緑青」は、かつて猛毒であると誤解されていた。 1960〜1990年ごろに、緑青の毒性を確認する実験が何度も行われ、完全に否定された経緯は、ネット検索などでも容易に知ることができる。 しかし、そもそも「何故、猛毒だと信じられていたのか」は、よく解らない。 先日、ちょっとした必要があってネット検索してみたが、適切な情報が要領よくまとまったものは存在しないようである。 そこで、集めた情報を整理してみた。

教科書での記述

 この問題について、最も系統的な情報発信を行っているのは、一般社団法人日本銅センターであろう。 この情報では「猛毒だと信じられていた理由」について、小学校理科教科書(1974年のものを例示している)に「有毒」という記述があったことを強調している。 しかし、これは「誤解を定着させた要因」の1つに過ぎないであろう。 そもそも何故そのような誤解が生じたかの説明には全くなっていない。

 ちなみに、この情報によると、この誤解は日本限定のもので、欧米はもちろん、近隣のアジア諸国でも認められないとのことである。 何故「日本限定」なのかということも、考える必要があるだろう。

砒素不純物説

 ネット上で発見した納得できる仮説として、公益社団法人化学工学会の産学官連携センターが連載しているエッセーで論じられているものがある。 このエッセーでは、歴史的に多く使われてきた「青銅」の成分に注目している。 青銅は銅を主成分とする錫との合金であるが、産地によって成分比が異なり、これを分析することによって青銅製品に使われた原料の産地を知ることもできる。

 エッセーによると、奈良の大仏など主に西日本で使われた青銅は、不純物としての砒素の含有率が高く、3%もあるとのことである。 青銅に砒素を加えると、湯流れが良くなり、冷えると硬くなるので、意図的に加える場合もあったらしい。

 砒素は単体金属では無毒だが、「砒素ミルク事件」や「砒素カレー事件」で有名になったように、酸化物は猛毒である。 そのような砒素を含む青銅の緑青によって砒素中毒が起こったのを、緑青自体の毒性と誤解したのではないかというのが、このエッセーの仮説である。

 この仮説なら、誤解が「日本限定」であることも説明できる。 砒素含有率の高い青銅製品が日本には多いからである。

砒素ミルク事件
1955年、乳児用粉ミルクの凝固防止剤に純度の低い安価なものを用いたために、砒素が不純物として混入した製品が出荷され、1万人を超える被害者を出した事件。
砒素カレー事件
1998年、夏祭り行事で提供されたカレーに殺鼠剤用の砒素が混入され、死者4名を含む多数の被害者を出した事件。 容疑者が犯行を否認し、動機も不明なまま死刑判決が確定し、現在に至っている。

紛らわしい猛毒物質

 もう1つ発見した仮説は、緑青と紛らわしい名称で呼ばれる猛毒物質と混同されたというものである。 それは「花緑青(パリ・グリーン)」「唐緑青(シェーレ・グリーン)」などの銅と砒素を含む化合物である。 緑色の顔料であるが、殺虫剤としても用いられる猛毒である。 この仮説でも、誤解が「日本限定」であることを説明できる。 「花緑青」「唐緑青」という呼称は日本独自のものだからである。 ちなみに、この仮説は「Naverまとめ」の記事の表題になっているが、引用している情報の中にはこのことを明示的に述べているものは見出せない。 記事の作者が独自に出した結論とも考えられる。

 食品衛生学雑誌に掲載の論文によると、1882年(明治15年)や翌年の内務省諭告で「緑青中毒」への注意喚起が行われているようである。 この論文では、この「緑青」を不純物として砒素を含むものと推測している。 一方、北海道大学大学院環境科学研究科邦文紀要に掲載の論文によると、その直前の1879年(明治12年)に、「唐緑青」が食品添加物(着色料)として使われ中毒事故を起こしたという内務省衛生局報告があるとのことである。 つまり、内務省諭告の「緑青」は「唐緑青」の意味であったという可能性が考えられる。



2018年3月14日初稿/2018年3月15日最終改訂
2019年3月4日このページの内容を元にWikipediaの記事を増訂

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