唐崎周辺の江若廃線跡

 湖西線のうち、京阪南滋賀駅の真東あたりから現比叡山坂本駅までの区間は、概ね江若鉄道の廃線跡に沿っている。 しかし、実は廃線跡の直上を通っている部分は半分も無く、廃線跡から少し(100m以内)離れた位置を通っている方が多い。

 これは、高速鉄道として設計されている湖西線がなるべくカーブの緩いコースを採らねばならないのに対して、江若鉄道の線路は「なるべく長い直線」と「なるべく短いカーブ」の組合わせで作られていて、必然的にカーブが「急カーブ」になってしまうからであると考えられる。

 この文章を読む際には、湖西線と江若鉄道廃線跡を弁別できるような大縮尺の地図(概ね2万分の1以上)を準備し、それに定規を当ててみながら読むことをお勧めする。 廃線跡が如何に直線的であるかよく解るであろうし、湖西線を基準に見てしまう目の錯覚により直線的な廃線跡が直線に見えないという現象にも気付かされるであろう。 5万分の1の地形図には、廃線跡の道路は表示されていません。 2万5千分の1の地形図には一部分表示されていますが、滋賀駅付近については、湖西線の側道が転位(地図記号同志が重なるのを防ぐため、一定の規則に従って本来の位置からズレた位置に表示すること)されているので、直線性がよくわかりません。

南滋賀から見世まで―旧滋賀駅付近

 湖西線は南から左カーブして、二本松の「びわこ競輪場」の西側の道の延長に合流する。 この道が江若鉄道の廃線跡である。 この部分の廃線跡は見事に直線になっている。

 そして、この直線を北へ延長してみよう。 湖西線が緩やかに右へカーブして直線から離れた部分にも、直線の延長上に断片的に道路が存在している。 現地へ行ってみると、住宅列の裏にある存在価値のよくわからない行き止まりの路地であったり、道なのか空き地なのかよくわからない細長い敷地であったりするのだが、これが廃線跡である。

 なお、古い地形図によれば、廃線跡が湖西線から別れたあたりに「滋賀駅」があったハズなのだが、その明瞭な痕跡は地図上でも現地でも見出せなかった。

唐崎駅周辺

 湖西線は唐崎駅まで緩い右カーブを続けるし、側道も同様に右カーブになっている。 しかし、それに接する直線のうち1本が、唐崎駅前の道の南への延長になっていて、前述の滋賀駅付近の路地にも概ねつながることがわかる。 町丁境界が記載されている地図であれば、湖西線ではなく、この直線が「滋賀里四丁目」と「蓮池町」の境界になっていることも確認できるであろう。

 言うまでも無く、この直線が廃線跡である。 唐崎駅前の道は、古い地形図にも江若鉄道の西に道が記載されていることや、両側の直線性(見通し)から考えて、道の東半分が廃線跡であろうと推測できる。 即ち、元々線路の西に隣接並行していた道を、廃線跡を利用して拡幅したものという推測であるが、確証は無い。

唐崎から下阪本へ

 唐崎駅前の道は、駅の南側にカーブがあって、そこから北は直線的である。 一方の湖西線は唐崎の北で左カーブに転ずる。 当然、両者は斜めに交差し、廃線跡は湖西線の東側へ出る。 そして、四ツ谷川の手前で小さく左カーブをきって、旧叡山駅(京阪松の馬場駅筋)付近までの直線となる。 湖西線はこの直線に滑らかに合流する。

 四ツ谷川を渡る付近は、道としても風情があり、いかにも「廃線跡の道」らしい雰囲気になっている。 http://www.kysd.net/koujyaku.htmlで「B地点」として紹介されているのも、この区間である。

謝辞

 このページの内容の一部は、NetNews(fj.rec.rail、fj.rec.rail.historical)や電子メールによる議論に基づいています。なお、この議論に応じていただいた方による地形図の新旧比較が公開されているので御参照ください(ちゃんと国土地理院の許可を取ったそうです)。


2000年10月19日WWW公開用初稿/2017年7月8日ホスト移転&最終改訂

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