通算第43回(2000年5月号)

 第11回演奏会メインの「パリのアメリカ人」の楽譜に頻出するイタリア語について考えてみましょう。

第9講:パリのアメリカ人のイタリア語(第1回)

 George Gershwinという人は、オーケストラの編曲技術をきちんと学ぶ機会があまり無かったようです。 出世作の「Rhapsody in Blue」はピアノ協奏曲の形式で作られていますが、本人は管弦楽の部分を「部分的に音色を指定した」ピアノ譜で書いていて、それを他の人が編曲しています。 「パリのアメリカ人」については本人が管弦楽スコアを書いているのですが、かなりメチャクチャで(自筆譜のコピーが出版されています……YZくんが先日購入したので、興味のある方は彼に見せてもらってください)、出版されているのは、他の人が修正した版です。

 他人の編曲を修正できるような人ですから、きちんとした編曲技術を身につけている人なわけで、音楽用語としてのイタリア語についても詳しい人だったものと思われます。 おそらくそのせいなのでしょう、「パリのアメリカ人」の楽譜には、あまり普通には見掛けないようなイタリア語の指示が沢山あります。 今回はその中から、曲の大きな流れに影響するような指示に使われている形容詞を選んでみました。

【Giocoso(ジョコーソ)】愉快に、おどけて

 一般用語としては「たわむれの」「滑稽な」「面白い」という意味もあります。 名詞形はGiocoで「遊び」「競技」「賭博」などの意味があります。

【Vigoroso(ビゴローソ)】力強く、活発に

 「活気がある」というのが言葉の本来の意味で、「たくましい」という意味もあります。名詞形はvigoreとなります。 文語ラテン語の基本語彙としてはvigeo(元気な、活発な)にあたりますが、「vi-」で始まる言葉には「元気」に関連する言葉が多く、語源的に共通しているのかもしれません。 例えば、violo(暴行する、虐待する……英語のviolenceの語源)vivo(生活する、生きる……音楽用語のvivaceの語源、また名詞形vitaは英語のvitalityや栄養素名のvitaminの語源)などがあります。

【Grazioso(グラツィオーソ)】優美に、優雅に

 一般用語としては「可愛い」「愛嬌のある」というニュアンスもあるようです。 名詞形のgraziaには派生して「天助」「恩寵」という意味もあり、grazie(グラツェ=ありがとう)という表現とも関連しています。

【Deliberato(デリベラート)】落ち着いて

 一般用語としては「慎重な」「熟慮された」という意味もあります。 元々文語ラテン語のdelibero「熟考する」から来ていて、この言葉の語源は「de libra」つまり「秤を使って」とのことです。 libraは占星術では「天秤座」の意味ですね。



通算第44回(2000年6月号)

 形容詞以外のイタリア語も見てみましょう。

第9講:パリのアメリカ人のイタリア語(第2回)

 音楽用語に使われるイタリア語には、形容詞や副詞の他に、前置詞+名詞という形のものもあります。 最も多いのが「con」(英語のwithに相当)を使ったものです。 「パリのアメリカ人」には、以下のようなものが出てきます。

【con moto(コン・モート)】

「moto」はラテン語のmotus(英語のmotionの語源)から来ていて、元々は「運動」という意味です。 運転・動作・変動というような意味にも使われますが、音楽用語としては「進行・速度」というニュアンスで捉えられています。 つまり、「con moto」を直訳すると「動きを持って」なのですが、実際には「速く」という意味になります。 ただ、言葉の本来の意味ゆえに、他の「速さ」を示す表現と較べて、「躍動感」を要求する場合に使われることが多いようにも思われます。

【con brio(コン・ブリオ)】

「brio」は「生気」というのが元々の意味ですが、「活気・快活・陽気」というニュアンスにもなります。 従って「con brio」=「元気に」「生き生きと」となります。

【con fuoco(コン・フオーコ)】

fuocoは元々は「火」という意味ですが、「情熱」という意味にもなります。 音楽用語としての「con fuoco」はこのニュアンスで、「情熱的に」という意味です。

【con ritmo(コン・リトゥモ)】

「ritmo」は「リズム(rhythm)」です。 即ち「con ritmo」は「リズミカルに」なのですが、ちょっと曖昧な表現ですね。 パリのアメリカ人では「andante ma con ritmo」という形で使われています。 「ma」は英語の「but」ですから、「ゆっくりだけど、リズム感を失わないように」ということですね。

【con grazia(コン・グラツィア)】

これは前回解説したgrazioso(優美に、優雅に)と同じ意味になります。 パリのアメリカ人での用例は「moderato con grazia」という形で、「moderato」と「grazioso」と2つの形容詞が続くのを嫌っただけのことでしょう。

【con umore(コン・ウモーレ)】

umoreは音楽之友社の「新音楽辞典」に載っていませんでした。 こんな音楽用語としてマイナーなイタリア語を使う編曲修正者もどうかしていますね。「umore」は元々「気分・機嫌」という意味で、派生して「(体液や分泌液などの)液体」なんていうとんでもない意味(中世医学で体調を「体液のバランス」と考えていた名残)にもなりますが、この場合は「ユーモア」という意味だと考えて良いでしょう。 即ち、「con umore」=「ユーモラスに」ということになります。



通算第45回(2000年7月号)

 今回は、少し「イタリア語文法」らしき話をしてみたいと思います。

第9講:パリのアメリカ人のイタリア語(第3回)

 「パリのアメリカ人」に「animato(アニマート)」という表情指示が出てきます。 これと似たものとして「animando(アニマンド)」というのがあります。 この2つは、ほぼ同じものと考えても良いのですが、微妙なニュアンスの違いがあります。

 この2つは共にanimare(元気づける)という動詞の活用形です。 共に定形ではありません。 即ち、単独で(=助動詞を伴わずに)文の述語にはならず、形容詞や副詞などとして振る舞います。animatoは「過去分詞」であり、animandoは「進行法(ジェルンディオ)」です。 過去分詞は英語の過去分詞と概ね同じものと考えて構いません。 進行法は英語の現在分詞に相当すると考えてください。 ラテン系の言葉の現在分詞は現代では英語の動名詞に近い意味になるようです。

 さて、活用形の性格付けからもわかるように、animatoは「元気づけられた→元気な」というニュアンスで、最初から元気な状態を作って、それを維持することを求めているわけです。 それに対してanimandoは、どちらかというと「曲が進むにつれて益々元気になるような状況」を想定したニュアンスになります。

 なお、animareの名詞形はanima(魂)で、「con anima(コン・アニマ)」という音楽用語もあります。 これはanimatoと同じ意味と考えて構いません。 ちなみに、animaは英語のanimal(動物)と語源が同じです。

 元気なanimatoに対して、静かな「calmato(カルマート)」も「パリのアメリカ人」に出てきますが、これもcalmare(静める)という動詞の過去分詞で、やはり進行法の「calmando(カルマンド)」も音楽用語として使われます。 ニュアンスの差異も同様です。 ちなみに、calmareは英語のcalm(静穏:例えば嵐に対して無風状態を意味する)と語源が同じです。

インターネット向け補記(2007年1月)
動詞の活用形の違いによるニュアンスの差異については、第19講第7回でも改めて扱っています。




通算第47回(2000年9月号)

 これまで、「パリのアメリカ人」の楽譜に出てくるイタリア語について種類別にみてきましたが、紙面の都合で取り上げ切れなかったものが残っています。 主に第1回で形容詞についてみたときに残したものですが、それを紙面の許す限り見て行ってみましょう。

第9講:パリのアメリカ人のイタリア語(第4回)

【risoluto(リゾルート)】

「断固たる」「果断な」という意味もありますが、音楽用語としては「きっぱりと」「決然と」というニュアンスになります。 語源の共通する動詞としてresolvo(レゾルボ:「結びを解く」という意味から派生して「解決する・解体する」の意味)があり、英語のresolveとも語源が共通します。

【deciso(デチソ)】

「きっぱりと」「はっきりと」という意味です。語源的には、動詞decidere(決定する・解決する・決心する)や動詞decido(切り離す)と共通で、英語のdecideとも共通語源です。

【leggiero(レッジェロ)】

「軽い」「身軽な」「軽率な」というような意味がありますが、音楽用語としては「軽快に」というニュアンスになります。 音楽之友社の「新音楽辞典」には「軽く優美な;鍵または弓を軽くおさえてノンレガートで」と書いてありますが、どこからそんな具体的な指示が出てくるんだろ?

【stringendo(ストリンジェンド)】

よく出てくる音楽用語ですが、きちんと理解している人は少ないのではないでしょうか?

元々はstringere(締めつける・固く結ぶ・余儀なくさせる・差し迫る)の進行法(第3回参照)で、「グイグイ締めつけるように迫っていく」というニュアンスになり、それを 「だんだんせきこむように速度を速めていく」という方法で実現するわけです。 ですから、単なるaccelerandoとは雰囲気が違います。



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