日本製の国内向け製品(輸出仕様でないもの)が中国あたりへ意外と出回っているそうです。 乾電池に「充電できません」と書いてあったんですが、中国人には「充電」しか読めないので充電用電池だと思い込んで取扱い、事故につながったとか。 キーポイントは「できません」という部分ですね。 「意味を逆転させる」という文法的機能が理解できなかったために理解を誤ったわけです。
同じようなことが、最近の合奏でもありました。 「senza rall.」と書いてあるところで、「rall.」という文字列だけが目に入ってrallentandoしてしまう人が続出……
「senza」って英語の「without」ですよ。 つまり「rallentandoするな」という意味なんです。 別の曲の同じような場面で「non rit.」という表現を見たことがありますが、「non」であればフランス語と同じだし英語とも似ているので予想がついたかもしれません。 でも、これは言い訳にはなりませんよね。 「senza」は基本語彙だと思います。
少々厳しい言い方になってしまいましたが、「否定表現」は理解できないと悲惨な結果を招くという意味で深刻な存在でもあるゆえです。 とはいえ、重要なのは「否定表現」だけではありません。 「強調表現」などの種々の表現方法を知っておけば、実際にそういう表現が出てきたときに細かいニュアンスを迅速に理解することができますし、変化形の元の形を知っていれば、逐一変化形で辞書を索かなくても直ちに理解できるという利点もあります。 この観点に基づいて、「表現の幅を広げるための文法事項」を中心に話を進めて行ってみたいと思います。
前回、「senza」は英語の「without」に相当すると述べました。 「without」があれば対義語の「with」があるわけで、イタリア語では「con」になります。 ミュート(弱音器)を使う楽器の奏者なら「con sord.」「senza sord.」という表示を見慣れているでしょう。 「sord.」は「sordino(単数形)」または「sordini(複数形)」の略で、ミュートを意味するイタリア語です。 つまり、ミュート付け外しの指示です。 ミュート以外でもペダルやスティックなど、奏法や用具の使用の可否を示すのに「con/senza」がよく出てきます。
このような即物的なものに限らず、もっと抽象的な雰囲気を示すのにも「con/senza」が使われます。 第9講第2回(2000年6月)で「con moto」「con brio」「con fuoco」「con ritmo」「con grazia」「con umore」という表現をまとめて紹介しました。 表情の指示はどうしても「〜〜を込めて」ということになるので「con」の用例が「senza」よりも多くなる傾向があります。
「con tutta la forza(コン・トゥッタ・ラ・フォルツァ)」というのは、そういう表情指示の極限の形と言えるかもしれません。 「forza」は「forte(フォルテ)」の同系語で「強さ」という意味、「tutta」は「全て」です。 つまり「全力を込めて」ということになります。 →→と来て、最後に文字で「con tutta la forza」と来る曲というのが意外とあったりします。 で終りではなく、さらにもう一押しあるとういことは、文字による指示の意味が読み取れないと理解できません。
ところで、「con」という前置詞に定冠詞が続くと形が変わることがあるので注意が必要です。 例えば単数男性定冠詞「il」に続くと、「con il」が融合して「col」という形になります。 単数女性定冠詞「la」に続く場合には「colla」になります。
「col」を使った表現でよく誤解される例に「col 8va」があります。 「col」の意味を理解せずに単にオクターブ上げて(または下げて)演奏してしまう事例があるのですが、これはオクターブ上(または下)を「伴って」という意味なので、元の音と合わせて、オクターブ離れた音を同時に奏さねばなりません。
今回の話題は形容詞や副詞の「絶対最上級」です……あの、嫌な顔をしないでください。 そりゃ、昔の英語の授業を思い出す気持ちも解るんだけど……
「最上級」に更に「絶対」って何だと思うかもしれませんが、あまり難しく考えないでください。 単に「極めて〜に」という強調の表現に過ぎません。 ただ、英語の「very」にあたるような修飾語ではなく「活用形」を使うので、こういう難しそうな文法用語になってしまうのです。
絶対最上級は、語尾「-issimo(イッシモ)」で示されます。 これだけで気付く方も多いと思いますが、強弱の指示として使われる「fortissimo(フォルティッシモ)」と「pianissimo(ピアニッシモ)」が絶対最上級の代表例です。
しかし、それ以外にも絶対最上級を使った表現が使われます。 比較的よく出てくるのとしては、presto(プレスト)の絶対最上級「prestissimo(プレスティッシモ)」があります。 元々prestoは「とにかくメチャクチャ速く」という激しいニュアンスの指示ですから、それに「もっともっと、極限まで」という気持ちを込めると、こういう指示になって現れてくることになります。
かと思うと、逆にdolce(ドルチェ)の絶対最上級「dolcissimo(ドルツィッシモ)」なんていうのが出てくることもあるわけで、ある意味「何でもあり」なんですよね。 でも、基本的な「作り方」さえ会得していれば、どんな指示が絶対最上級になろうと、その意味を理解することができます。
とはいえ、不適切な単語を絶対最上級にされても「意味は理解できるが、どうすれば実現できるか解らない」という状況に陥ってしまいます。 例えば、moderatissimo(モデラーティッシモ)なんていう指示をされても、一体どうしたら良いのか解りません。 「極めて中くらいのテンポで」って、具体的にはどういう意味なんでしょう?? もちろん、こんな指示を見たことはありませんが。
「fortissimo(フォルティッシモ)」「pianissimo(ピアニッシモ)」を実際に楽譜に記載するときは、通常「」「」という表記を使います。 「」はフォルテの略、「」はピアノの略として使われるので、素直に読めば「フォルテ・フォルテ」「ピアノ・ピアノ」になりますが、これは略語というよりも記号的表現です。 絶対最上級の「極めて〜に」というニュアンスを、記号を2つ重ねることで表現しているわけです。
記号的に重ねるということは、3つでも4つでも重ねて表現することが可能です。 さて、この表現の「イタリア語文法的に正しい」読み方は何でしょうか?
語尾「-issimo」を更に追加するのが正解だというのは見当がつくと思いますが、具体的には最初につけた語尾の最後の「-imo」を追加の語尾に置換えて「-ississimo」とします。 例えば、はfortississimo(フォルティシッシモ)となります。
時々、のことを「フォルテシモシモ」と言う人が居ますが、そんなイタリア語はありません。 ちなみに、「フォルテシシモ」なら「そんなイタリア語は無い」とは言えません。単に「不正確な発音」なだけです。 ところが、もっとひどい呼び方が存在することを最近知りました。 なんと「フォルテ・フォルテシモ」と呼ぶんだそうです。 しかも、このトンデモな呼び方が、かなり普及しているというのだから驚きです。
対等に3つ並んでいる「フォルテ」を「1+2」に分解するという発想が信じられません。 そんなセンスの悪い表現を使うくらいなら、「フォルテ3つ」と呼ぶ方が遥かにマシです。 日本語が混じるのが俗っぽくて嫌なら、英語とイタリア語とゴチャ混ぜで「トリプル・フォルテ」でも構いませんし、あくまでイタリア語にこだわるなら「フォルテ・トリプレカート」でも構わないでしょう。
という表現があります。 見掛けは「」(フォルテ)に似ていますが、全体としてsforzando(スフォルツァンド)の略で、直接の関係はありません。 もちろん、発音的に類似していることからも想像できるように、語源的にはフォルテと同じところから出ています。
sforzandoは、sforzare(スフォルツァーレ)という動詞の 進行法現在形(副詞化)という活用形(次回以降で解説する予定)です。 sforzareは「無理強いする、余儀なくさせる、努力する」という意味で、音楽用語としては「それまでの音楽の流れからすれば突然の強さを強引に押込む」というニュアンスになります。
ところで、「」の強調表現として「」というのが、よく使われます。 見掛け上は「」(フォルティッシモ)を含んでいますが、関係は無いと考えるべきでしょう。 「スフォルツァンドした結果がフォルティシモになる」という意味ではなく、「スフォルツァンド自体を強烈に行う」という意味に理解しないと、実際に演奏した結果が変になってしまうからです。
さて、この「」はどう読むべきなんでしょうか? 実は、この記号の「読み方はこうである」と主張している文献を、私は見たことがありません。 ただ、上述したように、意味として「の強いの」である以上は、全体を絶対最上級にして読むのが妥当だろうと考えられます。 即ち、「sforzandissimo(スフォルツァンディッシモ)」と読むことになるだろうという結論になります。
インターネット向け補記(2006年9月・2008年1月) |
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インターネットで検索してみたところ、この「」を「スフォルツァティッシモ」と読むという説が出てきました。 おそらく「sforzato(スフォルツァート)」の絶対最上級「sforzatissimo」のつもりだと思われ、その意味では妥当な説だといえます。 ところが、これが「」の読みが「スフォルツァンド」であると主張している隣に出ているんですね。 これは全く妥当性を欠くと思います。 「スフォルツァーティッシモ」という読みを主張するのであれば、「」の読みは「スフォルツァート」でなければ、主張に一貫性がありません。 なお、「スフォルツァート」と「スフォルツァンド」の違いは、第7回で説明した「過去分詞」と「進行法」の違いで、この場合には、ほとんど意味の違いは無いと考えて良いでしょう。 時々「」と「」の一方が「スフォルツァート」で他方が「スフォルツァンド」だという説を見掛けますが、全く根拠に欠ける主張です。 ちなみに、ネットでいろいろ検索してみると「スーパー・フォルテシモ・ゼット」という珍説が出てきました。 まあ、これは読み方がわからなくて咄嗟の苦し紛れに考えた読みのようなので、笑い話で済みます。 しかし、困ったことに、大真面目に変な説を主張しているものも多々見受けられます。 例えば「スフォルティッシモ」という読みをマトモに主張しているページがありましたが、これは全くの間違いだと断定して良いでしょう。 「スフォフォルツァンド」というのもありましたが、これは真面目に主張しているのかどうか判りませんでした。 誰かが苦し紛れにそう読んだのを信じ込んでしまった人が居るのかもしれません。 |
イタリア語はフランス語やスペイン語と同じラテン系の言語です。 この系統の言語に共通する特徴として、英語には2種類しかない単純時制(助動詞を使わずに語尾変化だけで表わす時制)が直説法だけで4種類もあるなど、動詞の活用がやたらと系統的で細かいことがあります。 そのため、活用形一覧表を書くと、直説法や接続法などが人称変化して膨大な量になります。 その一覧表の片隅に人称変化しない活用形が小さく納まります。 人称変化する活用形が専ら文章の述語として使われるのに対して、人称変化しない活用形は動作を表わす名詞・形容詞・副詞として使われます。 ですから、音楽用語として表情を表わす表現には、専らこの形が使われることになります。
人称変化しない活用形には、不定法・分詞法(現在・過去)・進行法(ジェルンディオ)があります。 不定法や分詞法過去(過去分詞)の語義は英語とほぼ同じなのですが、分詞法現在(現在分詞)は、現代的な語義としては英語の動名詞に相当し、英語の現在分詞はむしろ進行法に相当するというのが、厄介なところです(歴史的起源としては現在分詞同志が対応するらしいのですが)。
音楽用語では過去分詞と進行法が多用されます。 これは、動作の「結果」や「目標」を示すことで「表情」を指定するからです。 例えば、今まで以下のものを採り上げてきました。 次回以降で、この例の再検討も含めて、改めて掘り下げていきたいと思います。
前回、以前の講座を振り返る一覧表を示した中で、第9講第3回(2000年7月)で採り上げた語彙には、ちょとした特徴があります。 それは、同じ動詞の進行法と過去分詞が並んでいるということです。
改めて考えてみましょう。 例えば、同じanimare(元気づける)という動詞の活用形である「animato(アニマート)」と「animando(アニマンド)」はどう違うのでしょうか? 同じ動詞の活用形であり、どちらにも否定する意味合いは無いわけですから、大まかな意味はどちらでも同じなのです。 ただ、微妙なニュアンスの違いがあるということになります。
具体的には、animatoは過去分詞ですから、「元気づけられた→元気な」というようなニュアンスになります。 つまり、最初から元気な状態を作っておいて、それをずっと維持することを求めているという、静的な指示になるわけです。 それに対してanimandoは進行法ですから、「曲が進むにつれて益々元気になっていくような状況」を想定した動的なニュアンスになります。
通常の音楽辞典などでは、この2つを日本語に訳し分けて説明するわけなのですが、本来のニュアンスと完璧に1対1に対応するような的確な日本語が都合良く存在するわけではありません。 つまり、日本語訳を介して日本語のニュアンスで理解しようとすると、どうしても「翻訳の限界」に突き当たって、的確な理解が妨げられます。
それよりも、日本語訳はあくまで「参考」「単なる説明」に過ぎないと割り切って、本来のイタリア語の活用形としてのニュアンスはどうなのかを考えた方が良いのです。 何と言っても、現地イタリアでは日常的に使われる生きた表現なのですから、その表現自体を直接的に記述した文法用語や、その用語が表わす文法的概念の説明を理解の入口にする方が、的確な理解が可能になるでしょう。
抽象論ばかりもどうかと思うので、 過去の講座で出てこなかった「動詞の活用形」について、 具体的にいくつか挙げてみたいと思います。
「死んでいく」「消滅していく」という意味になります。 実際には、diminuendoを限界まで作用させることになりますし、 ritardandoも作用させることになるでしょう。
実際にはdiminuendoとritardandoを同時に作用させることになります。
「歌い続けながら」ということになります。 現在分詞のcantante(カンタンテ)や、 動詞活用形ではない形容詞のcantabile(カンタービレ)も、同じような意味です。 あえて違いをつけるなら、進行法は「歌い込む」ようなイメージになるのでしょうが、 実際には、あまり区別せずに使われているようです。
表情の指示ですから、演奏を戯れ事(ざれごと)にするわけではありません。 通常は「浮かれたような気分で」と説明します。 同語源名詞のschezo(スケルツォ)は楽章のある曲で 暗い雰囲気の楽章と対比させるような快活な曲のことを呼びますが、 元々の意味は「冗談、剽軽(ひょうきん)な行為」です。
表情記号というより奏法名として使うことの方が多い用語ですが、 文法的には同じことです。 言葉の意味としては「振動させた」状態にするということです。
言葉の意味としては1つ1つの音を連続させずに分離させるということです。
言葉の意味としては「印のついた状態にする」ということで、 1つ1つの音に刻印された状態にする、 つまり1つ1つの音をはっきりと奏するという意味になります。