通算第80回(2003年6月号)

 今年の演奏会で「the Lord of the Rings(指輪物語)」の映画音楽を採り挙げることになりました。 解説書や研究書も多数出版されている奥の深い題材であり、それゆえに消化不良を起こしてしまう人も多いのではないかと思います。 そこで「だから何やねん」流のダイジェストを試みることにしました。

第15講:指輪物語をめぐって(第1回)

 日本では、映画公開まで「指輪物語」の存在自体を知らなかったという人も少なくないと思いますが、欧米(特に英語圏)では広く知られた物語であり、ファン(というかマニア)の数も半端ではないようです。 「スターウォーズ」や「ハリーポッター」も指輪物語の影響を受けて作られていると言われています。 日本でもファンタジーの世界に興味を持つ人々にとっては基本文献であり、「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」の基本設定も指輪物語に基づいているようです。

 ファンタジーという文学分野は、言うまでも無く、伝承文学に遡る古いものです。 その中で「指輪物語」が他に大きな影響を与える存在になっている理由は、ファンタジーに「大人の愉しみ方」を持込んだことだと考えられているようです。 「知的探究心」に訴える要素を持込んだと言い直しても良いかもしれません。

 指輪物語は、驚くほど綿密な設定に基づいてストーリーが形成されています。 ファンタジーゆえに当然のこととして、登場人物の基本属性や基本的な舞台設定は現実離れしていますが、その基本設定さえ受入れてしまえば荒唐無稽さは身を潜めます。 そして、その中に社会集団としての対立や葛藤の構図があり、登場人物たちの心の弱さがあり、それらを克服して団結して目的を達しようとする物語があるわけです。

 この「綿密な設定」が、指輪物語を「近寄り難い存在」にしているという側面も否めません。 例えば冒頭は物語の前提となる歴史的背景を説明する序章から始まるのですが、初めて読む時は読み飛ばせと勧める人も居るくらい、複雑で難解です。

 本編も、登場人物や事物が多くて辟易するような状況が続きます。 クライマックスに至る部分では主人公のグループが4隊に別れて行動し、これに敵対者や支援者の動きが加わって複雑怪奇になります。 原作には詳細な地図が付いているのですが、この地図の上での登場人物の動きをきちんとイメージしないと、ストーリーが追えない状況です。 映画は3部作合計で約9時間の超大作ですが、それでも原作通りの映像化には時間が足りないようで、かなり話を端折ってあります。 特に冒頭の「指輪の仲間」が結成される以前の部分には、端折るために話を変えてしまっている部分が多々認められます。

参考文献

「指輪物語」中つ国の歩き方(青春出版社)
指輪物語完全ガイド―J.R.R.トールキンと赤表紙本の世界(河出書房新社)



通算第81回(2003年7月号)

 「the Lord of the Rings(指輪物語)」の登場人物などの設定について、ざっと見てみましょう。

第15講:指輪物語をめぐって(第2回)

 指輪物語は、人間以外にも「人」が何種族も居た、過去の世界での物語という設定になっています。 このうち「エルフ」「ドワーフ」「トロル」などは、ヨーロッパ各地の民話にも登場します。 有名なところでは、白雪姫に登場する「7人の小人」はドワーフです。 また、「妖精」の多くはエルフだと考えて良いようです。 とはいえ、同名の種族でも説話ごとに性質に違いがあり、指輪物語での設定とも必ずしも一致しません。

 一方、主人公フロドが属する「ホビット」は、作者が創造した種族のようです。 元々、指輪物語は、作者が息子に語り聞かせるために作った話を出版した「ホビットの冒険」(フロドの父親が主人公)の続編として構想されたという由来があります。 ホビット族という設定も、そこから始まっているようです。

 各種族は、人間と同じように手足を使い言葉を喋りますが、体格や性格、あるいは寿命が大きく違っています。 面白いのは、中心となって活躍するホビットが、体格的にも体力的にも他より劣る「弱い種族」と設定されていることです。 それでも、要所要所で「しぶとさ」を発揮して、ついには世界全体の運命に関わる偉業を成し遂げるというところにも、作者の訴えたいところがあるのかもしれません(とはいえ、作者は指輪物語から「寓意」を読み取るのを嫌っていたようですが)。

 作者には、ヨーロッパの他国に較べて貧弱な英国の民話や伝説の体系を確立するようなものを創作したいという目論見があったようです。 物語の記録がどのような形で現代に残されたかという想定もありますし、ホビット達の故郷はオックスフォードの緯度に設定されていて、冥王の本拠地はフィレンツェあたりという計算になるようです(現在とは随分地形が違っていますが)。 そして、各地に伝わる伝説の「元になった歴史的事件」という想定で創作されたと考えられるエピソードが多数指摘されています。

 登場人物が使う共通語は現代英語に「訳されている」という想定で詳しいことはよく判りませんが、各種族の固有語が種々に設定されており、特にエルフ語は細かいところまで綿密に設定された「ケルト系の創作言語」です。 (ちなみに作者の本業は言語学者であり、執筆以前から研究目的半分で「エルフ語」を作って遊んでいたようです。) こういうところにも、物語を「絵空事」にはしたくないという作者の意思が感じられます。

参考文献(前回の参考文献以外)

ディウィ・ドディ(塩崎麻彩子訳):トールキン指輪物語伝説―指輪をめぐる民話ファンタジー(原書房)



通算第82回(2003年8月号)

 「the Lord of the Rings(指輪物語)」の映画音楽について、ざっと見てみましょう。

第15講:指輪物語をめぐって(第3回)

 映画は原作に従った3部作で構成されており、現在のところ第2部まで公開されています。 サウンドトラックのCDも、第3部の分は未発売です。

 第1部に現れる主なモチーフとしては、まず「ホビット」のテーマが挙げられます。 ガンダルフがホビット庄に現れる冒頭の場面で、Irish Whistle(アイルランドの民族楽器で、現地では「Tin Whistle(ブリキの笛)」などと呼ばれる)で提示されます。

 そして「指輪の仲間」たちが前進する場面のテーマがあります。

 悪役のモチーフとしては、まず裏切者の魔法使いサルマン(および彼の本拠地アイゼンガルドや、彼に属する者たち)のテーマがあります。

 そして、冥王サウロンを中心とするモルドール勢力のテーマがあります。

私としては、この最後のモチーフが「オスマントルコ軍」を連想させる音楽になっていることが少々気になっています。 「邪悪な東方勢力」の表現として、あまりにも露骨ではないでしょうか……

 第2部をサウンドトラックで聴くと、第1部に較べて主張が弱いことが気になります。 第1部では主な登場人物を提示する必要があり、各々を表現する典型的なモチーフを出せるのですが、第2部では各々のモチーフが状況に対応して変奏されるため、どうしても主張力が弱くなることは否めません。 その中で、第2部で初登場して、かつ種々に活躍する「ローハンの騎士」のテーマは印象的です。



通算第83回(2003年9月号)

 「the Lord of the Rings(指輪物語)」に関する諸作品について眺めてみたいと思います。

第15講:指輪物語をめぐって(第4回)

 指輪物語の原作が刊行されて50年近くが経ちますが、その人気の高さにも関わらず、まともな映像化はありませんでした。 1978年のアニメーションがありますが、失敗作であるというのが大方の定評になっているようです。 現在でもVHSに変換されたものが入手できますが、実写とセル画の併用など野心的な試みが裏目に出ていたり、原作を知らないと理解不能な部分が散見されたりします。 そして、2部作の前半(原作の第2部が概ね終わるあたりまで)が作られただけで、完結編は製作されませんでした。

 とはいえ、劇場映画としてはこれが唯一の作品だった(テレビ用アニメ作品としては1980年のものがある)わけです。 それゆえ、指輪物語はスケールが大き過ぎて「この程度にしか映像化できない」とさえ考えられていたようです。 今回の映画化は、この考えを覆したという意味でも画期的なものだったと言えます。

 このように、映画というような形で全体を作品化するのは大事になってしまうわけですが、指輪物語に関連する絵画作品や音楽作品は、当然ながら多数作られているようです。 原作者のトールキン自身も、自身のイメージを伝えるような挿絵を書いていますし、物語の舞台を詳細に絵画化したような作品も多く出ています。

 音楽作品としては、デ・メイ(John de Meij)の吹奏楽組曲が有名で、原作のイメージが巧く表現できているとも評価されているようです。 最後にホビットを主題とする楽章を予定調和的に持ってきたのに無理があるという批評もあるようですが……

 なお、この曲には管弦楽版もありますが、本人の編曲ではありません。

 指輪物語のイメージを音楽で表現しようという試みは他にも多数あるようで、amazonの日本語サイトで検索してみると、それらしきCDが他に7作品(全て輸入版)ほど見つかりました。 この作品の半端ではない人気を示しているとも言えそうです。



演奏会終了後のインターネット向け論考



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Copyright © 2003 by TODA, Takashi