通算第139回(2008年5月号)

 今度のオータムコンサートの第2部は「フランスもの」特集になります。 そこで、フランス語の音楽用語について見てみましょう。

第23講:音楽用語のためのフランス語(第1回)

 音楽用語はイタリア語が標準語ということになっています。 しかし、これではイタリア語を母国語としない人が細かいニュアンスを表現するのに苦労します。 そこで、単純な内容、例えばフォルテ/ピアノといったような基本的な強弱指示などだけをイタリア語で表記し、それ以外の表情指示は作曲者や編曲者の母国語で表現することがあります。 例えば19世紀以後のドイツやフランスの作品に多く見られますし、20世紀に入ってからは、英語の指示も極く普通に見掛けるようになりました。

 このような場合、作曲者と母国語が異なる演奏者は、イタリア語と作曲者の母国語と両方を理解せねばならないことになってしまいますが、それでも無理にイタリア語で表現して意図が伝わらないよりは良いという考え方なのでしょう。

 幸か不幸か、フランス語とイタリア語は似ています。 発音はかなり違うのですが、そのわりには字面が似ていることが多く、文法も似ています。 ですから、単純に直訳してしまえばイタリア語として理解できることも多く、正確な訳語を知らなくても字面から大体の見当がついてしまうこともあります。 ところが、細かいクセの違いから、完全な直訳になる場合は意外と限られるようです。

 例えば、今回採り上げるラヴェルの「ラ・ヴァルス」に出てくるフランス語の指示のうち「accélélez jusqu'a la fin」というものについて考えてみましょう。 これがイタリア語の「accelerando a la fine」に対応することは見当がつくと思いますが、実は正確には対応していません。 「jusque」の有無が気になるかもしれませんが、これは大した問題ではなく、むしろ最初の動詞に問題があります。 つまり、イタリア語は「進行法」を使って「どんどん速くしていく」というニュアンスを表現しているのに対して、フランス語は「命令法」で、単に「速くしろ」と言っているだけなのです。 フランス語では「進行法」という活用形が既に廃れているということも背景にあるでしょう。

 次回以降、この微妙な差異にも注意しながら、フランス語の表情表現について順に見て行ってみたいと思います。

ちなみに「ラ・ヴァルス(La Valse)」は英訳すると「The Waltz」になります。 素直に和訳すると単に「ワルツ」ですが、定冠詞を使うことで「これこそがワルツだ!」という含意を多少含んだニュアンスになっています。



通算第140回(2008年6月号)

 フランス語の音楽用語に関する文法面を引続き見てみましょう。

第23講:音楽用語のためのフランス語(第2回)

 前回も見たように、フランス語とイタリア語には似ている部分とそうでない部分とがあります。 ですから、その違いが判るようになれば、イタリア語と同じ感覚でフランス語を理解できる部分が判り、フランス語の用語を理解する手助けになります。 そして、同じことが英語との間についても言えます。 英語はイタリア語ほどにはフランス語には似ていないのですが、元々現代英語がフランス語の影響を強く受けて成立したという事情もあり、共通点が多々あります。

 例えば、フランス語の音楽用語に良く出てくる修飾語に「un peu plus」という表現があります。 これはイタリア語に直訳して「un poco piu」とすれば見覚えがある表現になるでしょう。 実際、意味内容も同じと考えて良いのです。 そして、うっかり見過ごしている人が多いようなのですが、このフランス語やイタリア語の表現は、英語に直訳して「a little more」としても同じ意味になります。 つまり、「ほんの少しだけ(それまでより)たくさん」ということです。

 ちなみに、イタリア語の場合は、音楽用語において「piu」だけが出てきたら、その後に「mosso」が省略されていると理解すれば良いことになっています。 ですから、例えば「un poco piu」だけが単独で出てきたら、省略を補って「un poco piu mosso」とし、「ほんの少しだけ(それまでより)速く」と理解すれば良いわけです。 しかし、これはイタリア語が音楽用語として普及しているから許されることです。 フランス語や英語では、正しく理解されない恐れがあるので、こういう無茶な省略は普通はしません。

 他にイタリア語に直訳して理解できるフランス語の音楽用語として「au mouvement」を挙げることができます。 「mouvement」は英語の「movement」に相当し、元々は「動き」というような意味ですが、音楽用語としてはイタリア語の「tempo」の意味に用います。 従って、「au mouvement」は「a tempo」です。 「a tempo」は直訳すると「テンポで」で、冷静に考えると全く意味を成さない表現ですが、その直前で変化させた以前の「元の」テンポでという意味に用いることは皆さん御存知でしょう。 「au mouvement」も同じ意味に使われます。



通算第141回(2008年7月号)

 フランス語の音楽用語を、文法的キーワードに着目して見てみましょう。

第23講:音楽用語のためのフランス語(第3回)

 以前にイタリア語の「senza」について述べたことがありました。 英語の「without」に相当する「意味を逆転させる語彙」で、これを知らないと正反対の意味に誤解してしまうというわけです。 この「senza」に相当するフランス語が「sans」です。 例えば、「sans ralentir」とあれば、イタリア語に直訳すると「senza ralentando」、つまり「ralentandoするな」という意味になります。

 逆の意味、英語の「with」イタリア語の「con」に相当するフランス語は「avec」です。 日本語では「アベック」というのを「(男女の)組」を意味する名詞として使っていますが、元々は「(誰々)と」という意味の前置詞なんですね。

 その他、文法的な語彙としては、前回挙げた「plus」(=piu、more)があります。逆の意味の「より少なく」(=meno、less)は「moins」です。 「牧神」の冒頭で表情指示の付加説明として「assez lent」(=lento assai、very slow、充分にゆっくり)とある少し後に「moins lent」という指示があります。 直訳すると「より少なく遅く」ということになります。 消極的な語彙が続くので、さらに遅くしてしまいたくなりそうですが、冷静に考えてみると「少し速め」にしなければならないことが解ります。

 他には英語の「very」に相当する「très」も、よく使われるようです。「très bien」(=very good)という表現は、音楽と無関係に有名ですね。 「toujours」(=sempre、always、常に相変わらず)という修飾も、知っていると意味が正確に理解できるという意味で重要な語句だと言えるでしょう。 その他、英語の「and」イタリア語の「e」に相当する「et」、英語の「but」イタリア語の「ma」に相当する「mais」なども、知っていると理解が正確になる語彙として挙げることができます。



通算第142回(2008年8月号)

 フランス語とイタリア語の関係について、ざっと見てみたいと思います。

第23講:音楽用語のためのフランス語(第4回)

 前回まで、主に音楽用語でフランス語とイタリア語の違いを見てきましたが、基本的にはよく似ていて、細部が違うという問題でした。では何故似ているかというと、元々同じ言葉だからです。スペイン語やポルトガル語ともども、ラテン語の方言なのです。 ラテン語は千年以上前からヨーロッパ世界における「標準文章語」になっていますが、元々はローマ帝国で日常的に話されていた言葉でした。 それが「公式の文書に用いる言語」として長年にわたって使われているうちに文章語として淘汰される一方で、日常用語として話されているラテン語は全く独立に変化して行きました。 その結果、「文語ラテン語」と「ラテン系の口語」とが、かなり違う言葉になってしまったわけです。 そして、口語は地域ごとに違うように変化していったわけですが、7世紀ごろから現在の国家に直結する地域単位が形成されていく中で、各国家の中での人の往来が活発になり、各々の中での統一が進んで行きました。 最終的には、宗教改革などを機に口語を文書に用いることが増え、正書法が各々独立に確立していった結果、現在の「代表的な4つのラテン系(ロマンシュ系)言語」となったわけです。

 ところで、この4言語のうちフランス語だけが、読み方(発音)に強烈な「クセ」があるという特徴を有しています。 実は、字面だけを見ると、フランス語とスペイン語がむしろ近く、フランス語とイタリア語の両方に馴染んだ人がスペイン語の文章を見ると、「フランス語に近い」と感じて、ついフランス語読みしてしまいがちなのですが、正しくはイタリア語に近い要領で読まねばなりません。

 フランス語の発音に強烈なクセが生じた理由のマトモな説明というものには、寡聞にして行き当たったことがありませんが、おそらく気候の問題が関わっているのではないかと思っています。 というのは、フランス語の発音は、口の開き方をなるべく小さくしようとした結果と考えられる部分が多いからです。 これは寒冷地の言語によく見られる現象で、例えば日本語の東北方言(いわゆる「ズーズー弁」)にも見られる特徴です。フランス語は「ラテン世界のズーズー弁」だと言えるのかもしれません。



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