通算第247回(2017年5月号)

 今年のオータムコンサートではNHK大河ドラマのテーマ曲を扱う予定です。 テーマ曲のことは第30講(2011年)で扱っているので、大河ドラマそのものについて見てみたいと思います。

第39講:NHK大河ドラマ(第1回)

 大河ドラマはNHKの看板番組になっています。 選挙報道などで他の番組が全て休止になっても、大河ドラマだけは時間帯を少し変えて放送されます。 歴史教養番組はその年の大河ドラマに関連するネタを頻繁に採り上げますし、芸能人をゲストに迎えるような番組でもその年の大河ドラマ出演者が頻繁に出てきます。

 予算も他に比べて格段に大きいと考えられます。 1年間かけて続ける時代劇としては、1984〜1986年に放映された「新大型時代劇」(何故この時期にこういう番組があったかという話は後の回で出てくる予定)があるのですが、このドラマには屋外ロケーション撮影が基本的にありませんでした。 大河ドラマは初期の作品を除いて屋外ロケーションが多く使われていますし、専用の巨大な屋外セットを作るのも恒例化しています。

 世間の注目も高く、舞台になった地域では顕著な観光客誘致効果が認められているようで、誘致運動も盛んです。 そういえば、乙訓地域でも細川ガラシャや明智光秀を扱う大河ドラマの誘致運動がありますね。 観光に留らず、大河ドラマをキッカケに新史料が発見され、新事実が判明するということも珍しくありません。 今年も大河ドラマの基本前提を覆す「井伊直虎は女性ではなかった」という説が出てきて話題になりました。

 大河ドラマは「花の生涯」(1963年)から始まっています。 「大河ドラマ」という呼び方は「赤穂浪士」(1964年)のときに読売新聞が使ったのが最初というのが定説で、NHK自身が積極的にそう呼ぶようになったのは15周年の1977年からだそうです。 このような大河ドラマについて様々な面から見ていきたいと思います。

参考資料

Wikipedia「大河ドラマ

インターネット向け補記(2018年12月)
「誘致運動がありますね」なんて呑気なことを書いていたら、1年も経たないうち(2018年4月)に2020年は明智光秀を主人公とする「麒麟がくる」を放映するという発表がありました。


通算第248回(2017年6月号)

 大河ドラマの主人公について見てみましょう。

第39講:NHK大河ドラマ(第2回)

 大河ドラマは誰かの生涯を1年間追っていくのが基本です。 但し、その「誰か」が1人ではないこともあります。 「新平家物語」(1972年)「炎立つ」(1993年)「葵徳川三代」(2000年)では何代かにわたる「一族」を追っていますし、「三姉妹」(1967年)は姉妹の誰が主人公か不明確でした。 「山河燃ゆ」(1984年)「新選組!」(2004年)には、明確な中心人物は居るのですが、群像劇の性格が強い内容でした。 大石内蔵助が主人公の「赤穂浪士」(1964年)「峠の群像」(1982年)「元禄燎乱」(1999年)も必然的にそうなります。 「獅子の時代」(1980年)は対立する立場に居る2人の人物を対等な主人公として扱っています。 「翔ぶが如く」(1990年)は西郷隆盛が一応の主人公ですが、大久保利通の視点も描き、大久保の死まで追いました。

 「国盗り物語」(1973年)の前半の主人公は斎藤道三ですが、後半は織田信長と明智光秀を「後継者」として追いました。 この「国盗り物語」や「三姉妹」(1967年)「風と雲と虹と」(1976年)「花神」(1977年)では、同一作者の複数作品を原作とすることによって、サブストーリーの主人公の視点も追っています。 「元禄太平記」(1975年)は単一原作ですが、やはり複数主人公の視点という手法を使っています。

 架空の人物を主人公にして、その視点から時代の流れを追うという手法も使われています。 具体的には「三姉妹」(1967年)「獅子の時代」(1980年)「山河燃ゆ」(1984年)「いのち」(1986年)「琉球の風」(1993年)です。

 伝統的には悪役とされる人物の視点で時代を追ったものも少なくありません。 そもそも、第1作「花の生涯」(1963年)の主人公は井伊直弼でしたし、その後も「樅ノ木は残った」(1970年)で原田甲斐、「元禄太平記」(1975年)で柳沢吉保、「花の乱」(1994年)で日野富子を主人公にしています。 平清盛や足利尊氏も、「新平家物語」(1972年)「太平記」(1991年)「平清盛」(2012年)で主人公として採り上げられることによって、肯定的なイメージが広がった面があります。



通算第249回(2017年7月号)

 大河ドラマがどの時代を扱っているかについて、ざっと見てみたいと思います。

第39講:NHK大河ドラマ(第3回)

 1年間にわたってドラマとして追えるような人物は、やはり世の中が落ち着いているときにはあまり出てきません。 つまり、大河ドラマの多くは戦乱の時代を扱っています。 そして、全国各地で多様な人物が現れたのは、やはり16世紀を中心とする戦国時代です。 大河ドラマも、これまでの56作のうち25作は戦国時代が舞台です。 そして、幕末期13作、源平争乱期6作と続きます。 あとは、戦国終偃後のみ(幕末以前)を扱った6作、明治以降のみを扱った3作、源平と戦国の間の2作、源平争乱以前の1作です。

 戦国終偃後6作のうち4作は忠臣蔵事件を扱ったもので、これも平和な時代に突発的に起った「戦争のようなもの」ですから、結局平和な時代は大河ドラマには成りにくいということなのでしょう。 これに関連して、幕末以前の「江戸時代後期」を扱ったものは1作もありません。 徳川吉宗の死から井伊直弼の青年期までの70年余りは一度も描かれていないのです。 勿論この時期にもよく知られた面白い人物が沢山居ます。 ただ、平和で安定した時代の社会は簡単に動くものではなく、少々面白い人物が居ても影響力は案外小さく、ドラマのスケールが小さくなってしまうということなのでしょうか。

 ちなみに、源平と戦国の間の2作は元冦と南北朝動乱ですし、源平争乱以前の1作は承平天慶の乱(平将門と藤原純友の乱)で、いずれも戦乱の時代です。 明治以降3作の1つは、第2次世界大戦期の日系米国人という「戦乱の中で翻弄された人々」を扱っています。 残る2作と、戦国終偃後6作のうち忠臣蔵事件以外の2作の併せて4作のみが「戦乱中心のストーリーではない」ものということになります。

 このうち江戸時代の2作では仙台伊達藩のお家騒動と徳川宗家の相続争いを扱っており、戦争ではありませんが「大きな争いごと」には違いないでしょう。 明治以降の2作で扱っているのは、新しい演劇を作り上げた人々と、戦後の混乱期からの立ち上がりです。 近い時代だと情報も多いので、平和な時代の中でも様々な困難に立ち向かうドラマが展開できるということなのかもしれません。



通算第250回(2017年8月号)

 戦国時代を扱った大河ドラマについて、もう少し見てみましょう。

第39講:NHK大河ドラマ(第4回)

 前回、これまでの56作のうち25作は戦国時代と述べましたが、実は大部分が「織田信長・豊臣秀吉・徳川家康」が登場する後半に偏っています。 25作のうち6作は3人の誰かが主人公、7作は3人+家康後継者の誰かと常に直接関わって物語が展開し、5作はそういう部分が半分以上を占め、3作には3人の誰かと直接関わる部分があり、2作は時の権力者として間接的に関わって物語が展開します。 この3人の誰とも関わり無く物語が展開するのは「花の乱」(1994年)「毛利元就」(1997年)の2作だけなのです。 「毛利元就」は確かに他より少し早い時代を扱っていますが、信長や家康との直接の関わりが無かったのは単に地理的に遠かったというだけの理由で、時代は少し重なります。 結局、応仁の乱を扱った「花の乱」だけが、戦国25作の中で唯一飛び抜けて早い時代を扱っていることになります。 ちなみに、毛利元就の生誕は日野富子没年の翌年で、ギリギリで時代が途切れていることになるんですね。

 戦国時代前半にも面白い話は色々あります。 北条早雲の生涯やその前後の関東の争乱(結城合戦や川越夜戦など)も面白いとは思うのですが、やはり知名度が低いということなのでしょうか。 秀吉進出以前の西国を扱ったのが「毛利元就」だけというのも淋しい話で、大友氏と島津氏の争いや龍造寺氏と少弐氏の争いなども採り上げれば面白いとは思うのですが、知名度は更に低くなりますね。 いっそのこと、ザビエルに始まる宣教師たちを主人公にすると面白いかもしれません。

 このように戦国時代を扱った作品が「信長・秀吉・家康」絡みに偏るのは、よく知られた面白い人物が多いということの反映でもあります。 各地で個々に争っている時期を過ぎ、それをまとめ上げて統一して行く時期に入ると、話のスケールが大きくなりドラマとしても面白くなるということなのかもしれませんね。



通算第251回(2017年9月号)

 今回の演奏会で中心となる幕末ものについて見てみましょう。

第39講:NHK大河ドラマ(第5回)

 幕末動乱期を扱った作品は13作あります。 時代が近いということもあり対立する双方の視点からの記録が多々残されているので、多様な描き方が可能になります。 「獅子の時代」(1980年)で架空の会津藩士と薩摩藩士を対等な主人公に設定し、双方の視点を対比して物語を展開して行ったのは、その典型と言えるかもしれません。

 当然ながら多くの作品で戊辰戦争が扱われており、例外は主人公が死んでいた3作のみです。 うち2作は坂本龍馬が主人公なので戊辰戦争の直前まで進んでおり、ずいぶん以前で終わってしまうのは井伊直弼を主人公にした「花の生涯」(1963年)だけです。

 戊辰戦争を扱った10作を主人公の立場で分類すると、官軍側4作幕府側7作(「獅子の時代」を双方に計上、「篤姫」は幕府側のみに計上)です。 負けた側の方が多いのは、その方がドラマチックな要素が多いからかもしれません。 勿論、土佐藩の立場で戊辰戦争を扱った作品が無い(坂本龍馬が死んでいたため)というのも原因の1つですが。

 10作のうち6作は、戊辰戦争で物語が概ね終わります。 「勝海舟」(1984年)「徳川慶喜」(1998年)の主人公は明治に入ってからも長く生きた人ですが、戊辰戦争以降はマトモに扱われていません。 「篤姫」(2008年)も戊辰戦争以降を扱っていますが、ついでの後日談という扱いです。

 戊辰戦争を扱ったうえ、さらにそれ以降に物語が大きく展開するのは「獅子の時代」(1980年)「翔ぶが如く」(1990年)「八重の桜」(2013年)「花燃ゆ」(2015年)の4作です。 「翔ぶが如く」のメインの原作は戊辰戦争終結後から始まっており、ドラマではそれに前半部を追加しています。 「翔ぶが如く」は西南戦争が物語の中心なので「戦乱もの」に属しますが、他の3作は戊辰戦争以降については自由民権運動・近代教育・殖産興業といった「戦争を伴わない激動」を扱っています。



通算第252回(2017年10月号)

 全体的な話題から少し離れて、今年の作品について見てみたいと思います。

第39講:NHK大河ドラマ(第6回)

 第1回で、大河ドラマをキッカケに新史料が発見され新事実が判明した事例の1つとして、今年の主人公「井伊直虎」が「女性ではなかった」という説が放映開始直前に出てきて話題になったことを述べました。 第1回では「大河ドラマの基本前提を覆す説」だと書きましたが、実は必ずしもそうとは言い切れないというのがヤヤコシイところです。 問題の主人公は、彦根藩初代藩主「井伊直政」の養母で、父親の婚約者でもあったと伝えられる女性ですが、この女性の存在自体が否定されるわけではありません。

 井伊氏は戦国末期の徳川氏重臣、あるいは江戸幕府の譜代大名として有名ですが、元々は浜松市北部(2005年の合併で浜松市になった地域)の井伊谷(いいのや)を平安時代から根拠地としていた豪族です。 戦国中期に駿府(現在の静岡)を本拠とする今川氏に屈伏する形で従属し、その遺恨を引き摺るような形で次々と死者が出て、一族を率いるに充分な地位年齢の男性が居なくなってしまいました。 そこで、女性の身でありながら一族を率いる立場に立ったというのが、今回の主人公です。

 この時期の井伊氏に関する史料は断片的なものしか無く、細かいことは不明ですが、幼時に出家して「次郎法師」という僧名を名乗り、晩年には「祐圓尼」と名乗ったことが知られています。 次郎法師が実際に領主の立場で行動していた痕跡も残っています。 そして、通説ではこの次郎法師が「直虎」という男性名を名乗ったとされているのですが、以前からこれを疑問視する見解がありました。 「直虎」を名乗って領主の役割の一部を担っていたのは、次郎法師とは別人だろうというのです。

 しかし、これには難点がありました。 その「別人の直虎」が何者なのか全く不明だったからです。 今回、放映開始直前に発見されたのは、この「何者か」を明らかにする史料で、今川氏直属家臣の男子で井伊氏の近い親戚にあたる人物だとされています。 しかし、この史料自体を疑問視する見解もあり、決着はずいぶん先になりそうです。

 いずれにしても、この時期の井伊氏の危機的状況を乗り切る中心になった女性が存在したことは覆りそうにないので、その点は安心して良さそうです。



通算第253回(2017年11月号)

 大河ドラマで扱う時代の「知名度」ということについて考えてみましょう。

第39講:NHK大河ドラマ(第7回)

 既に述べたように、これまでの56作のうち44作で「源平・戦国・幕末」を扱っています。 この時代が多いのは、登場人物が有名で人気も高いからと考えられます。 しかし、制作側としては一部の時代に制約されるのではなく多様な時代の多様な人物を扱いたいところです。 これまでにも、今まで扱ってこなかった時代や人物や地域を積極的に採り上げようという動きが何回かありました。 しかし、知名度が低いゆえに人気が高まらないのではないかという危惧が常につきまとうことは避けられません。

 今年の「おんな城主直虎」も視聴率が伸び悩んだようで、ドラマとしての造りの拙さなどが指摘されているようですが、結局のところ根本的には井伊直虎という人物の知名度が低いことが原因でしょう。 歴史の流れとしても桶狭間の戦いから三方ヶ原の戦いまでの間の今川氏衰亡過程は知名度的に盲点になっているところがあります。

 知名度が低かった人物でも、直江兼続や天璋院篤姫など周囲が著名人物だらけの場合には、歴史の流れ自体はよく知られているので、視聴者がストーリーについて行けなくなる恐れが低いというメリットがありました。 井伊直虎の場合には、徳川家康も若過ぎて重みに欠けますし、それ以外でよく知られている周囲の人物というと今川義元くらいです。 人物関係にも時代の流れにも予備知識が期待できないとなると、どうしても敷居が高く感じられてしまうのは避けられないでしょう。

 「北条時宗」(2001年)の時には、それまで一度も扱ったことがない空白の時代ということで、かなり念入りにキャンペーンを張りました。 しかし、結果的にはキャンペーンは功を奏さなかったようです。 考えてみると、元冦(蒙古襲来)という事件自体は誰でも知っていそうなのに、そのころの主な人物関係などの時代背景があまり知られていないというのは不思議ですね。 そして、その知名度がそのままドラマとしての成否を決めてしまうというのは、少々淋しい気もします。



通算第254回(2017年12月号)

 地方色が豊かな題材を選んだ作品を見てみましょう。

第39講:NHK大河ドラマ(第8回)

 今年の「おんな城主 直虎」は、題材の選び方という意味では、これまで「盲点」になっていた「スキ間」を選んだことになります。 それとは別に「スキ間」ではなく根本的に性質の異なる題材を選ぶこともあります。 その1つは前回述べた「源平・戦国・幕末」以外の時代から選んだ題材ですが、「時代」ではなく「地域」に着目したこともあります。 それが、1993年の「琉球の風」と「炎立つ」です。

 このころのNHKには、大河ドラマに限らず番組全般について「マンネリ打破」を志す傾向がありました。 それが行き過ぎて、単に「長寿番組だ」というだけの理由で打ち切られた番組も多々あったという批判もあるようです。 大河ドラマについては、正月からの1年間というペースを崩しました。 「琉球の風」を6ヶ月、「炎立つ」を9ヶ月として、以降は4月と10月からの半年の番組にしようとしたようです。 しかし、結局それは取り止めになり、1994年の「花の乱」を9ヶ月にして、元のペースに戻しました。

 「琉球の風」は琉球への薩摩藩の侵攻、「炎立つ」は奥州藤原氏を扱っています。 つまり「地方の歴史」に焦点を当てようとしたのです。 しかし、「琉球の風」は知名度の低い歴史を半年で終わらせたため印象が残らないままになってしまいましたし、「炎立つ」は奥州藤原3代を最初から最後まで扱ったために(2代目を扱っていないので「最初と最後だけ」というべきか)、ドラマの流れが散漫になってしまったようです。 もう少し扱い方を変えれば良かったのかもしれませんね。

 これまでに「地方色」が強かった作品というと、「樅ノ木は残った」(1970年)「独眼竜政宗」(1987年)「毛利元就」(1997年)そして今年の「おんな城主直虎」が挙げられます。 「天地人」(2009年)「八重の桜」(2013年)「軍師官兵衛」(2014年)も、それまであまり取扱われなかった地域でストーリーが始まっています。 人気が高かった作品も少なくないようで、「地方の歴史」だから駄目ということではないようです。



通算第255回(2018年1月号)

 「時代劇」ではない大河ドラマについて見てみましょう。

第39講:NHK大河ドラマ(第9回)

 第5回で「幕末から始まっているが、戊辰戦争以降に物語が大きく展開する」作品が4作あると述べました。 今月(2018年1月)始まった「西郷どん」を加えると5作となります。 一方、そもそも明治以降の時代しか扱っていない作品が「山河燃ゆ」(1984年)「春の波涛」(1985年)「いのち」(1986年)の3作あります。 また、2019年には翌年の東京オリンピックに絡んだ企画として、前回(1964年)に向けて異なる分野で立ち向かった2人の人物を主人公にした作品が予定されています。 以上を合わせると、明治以降の時代を扱った作品は9作ということになります。

 明治以降しか扱っていない1984〜6年の3作はNHK自身が「昭和三部作」と呼んでいます。 しかし「春の波涛」を「昭和」に入れるのは少々無理がありますね。確かに主人公の晩年は昭和に入っているのですが、物語としては明治後半〜大正がメインです。

 いずれにしても、この3作は時代劇という縛りから逃れたいという意図で企画されたようです。 しかし一方で、時代劇ファンが離れる、あるいは時代劇制作の技術伝承が滞るという不安もあったようです。 そのため、第1回でも述べたように、この3年間は「新大型時代劇」と呼ばれる作品が大河ドラマとは別に制作されました。 大規模な予算投入は無いものの、大河ドラマの「誰かの生涯を1年間追っていく」時代劇という側面を継承するものでした。 4月から翌年3月まで(最後は年末まで)毎週水曜日という放送枠で「宮本武蔵」「真田太平記」「武蔵坊弁慶」の3作品が制作されています。

 ちなみにこの毎週水曜日の放送枠は元々時代劇だったようなのですが、大河ドラマなみの俳優陣を揃え、史実を重視したストーリーを1年間かけてじっくり描いたという意味で、大河ドラマに準ずるものと考えられることが多いようです。



通算第256回(2018年2月号)

 現代劇とは逆に古い時代を扱った作品について見てみましょう。

第39講:NHK大河ドラマ(第10回)

 これまでの大河ドラマで最も古い時代を扱ったのは、承平天慶の乱(平将門と藤原純友の乱:935〜941)をクライマックスとして、平将門の青年期からストーリーを展開して行った「風と雲と虹と」(1976年)です。 しかし、大河ドラマで映像化された最も古い事件は、この作品ではなく「炎立つ」(1993年)の冒頭です。 奥州藤原三代を「地方の自立を目指して挫折した歴史」と捉えて初代の父親の世代(1050年前後)からストーリーを展開した作品なのですが、その「東北地方の自立」の源流を奈良時代後半〜平安時代初期に近畿の政権が展開した「蝦夷征服戦争」に求めました。 そして、征夷大将軍の「実質的初代」である坂上田村麻呂に敗北して降伏(802年)した蝦夷(えみし)の首領「阿弖流為(アテルイ)」が京都で処刑される場面を物語の導入としました。

 大河ドラマで「源平合戦以前」の時代を扱ったのは上述の2作品のみです。 とはいえ、このような古い時代をNHKが扱おうとしていないわけではありません。 例えば、21世紀に入ってから、聖徳太子や吉備真備などを主人公とした大河ドラマ並の考証を伴う作品を数年おきに制作しています。 しかし、いずれも2時間枠×2回程度の作品です。 これは「元ネタ」が少なすぎてストーリーが1年間持たないということなのかもしれません。 時代が古くなるほど史料が少なくなるのは当然のことですが、特に平安時代初期以前については「国家事業」として編纂した「権力側の建前」に基づく歴史書以外に良質な系統的史料は皆無で、ドラマとして膨らませることが難しいのでしょう。

 古代はともかく、平安時代中期の作品も限られるのは何故でしょうか。 菅原道真や藤原道長を主人公とした大河ドラマはありません。 確かに、平安貴族の権力闘争は陰湿で面白くないかもしれません。 画像としても個々の小道具が高価なわりに効果的でない面があるでしょう。 少しだけ存在する作品が、いずれも近畿ではなく東国を主な舞台としているのも、その方がドラマとして面白いからということなんだろうと思います。 だとすると、いっそ視点を変えて初期浄土教などを扱うのも面白いかもしれませんね。



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