通算第257回(2018年3月号)

 来月の演奏会で4月なのに「たなばた」を演奏するのは変だという声があるので、暦の話を少々。

第40講:暦の話(第1回)

 「たなばた」を演奏する演奏会の日について色々調べてみたところ、イスラム暦だと何とか7月に入ることが判りました(宗派や地域による1日程度のズレがある可能性はあるが、概ね7月29日)。 しかし、イスラム暦の7月7日に七夕に相当する行事があるとも思えませんし、かなり無理のあるコジツケですね。

 そもそも暦とは何でしょうか。 それは「生活のリズムをとるための基準」と呼ぶことができると思います。 そして、その基準として、古来から「季節の移り変わり」と「月の満ち欠け」が利用されました。 ところが季節と月では周期がうまく合わず、両立に苦労してきたのです。 そのため、季節と月の一方だけを重視して他を無視する暦もあります。 例えば、現代の暦は満ち欠けを無視して季節だけで決めています。 「月」という単位は、長さが月の周期に近いというだけで、タイミングは合いません。

 それに対して、イスラム暦は季節を全く無視して月の周期だけで決めています。 つまり、季節と暦の対応が少しずつズレていくのです。 1年の長さも約354日と少し短くなります。 イスラム暦の元年(ヒジュラ紀元)は西暦622年なのですが、この差も徐々に短くなり、209世紀には西暦を追い越してしまう計算になります。

 一方、日本を含む東アジアでは、少し複雑な規則で季節と月を両立させた暦を使ってきました。 具体的には、月の満ち欠けで決めた「月」が季節とずれてきたら、「閏月」と呼ばれる余分の月を挿入して調整するというものです。 現在でも「旧暦」と呼ばれて部分的に使われている暦です。

 七夕など「何月何日」と決まっている行事の多くは、現在では現行の暦(新暦)で行われることが多いようですが、本来は旧暦の日付で行われてきたものです。 中には新暦では季節感などの条件が合わないものもあり、七夕もその1つだと指摘されています。 ちなみに今年の旧暦での七夕は新暦では8月17日(合宿が予定されている前日)です。 このあたりの話も順に見ていきたいと思います。



通算第258回(2018年4月号)

 桃の節句や端午の節句の時期ですので、その関連を見ていきたいと思います。

第40講:暦の話(第2回)

 桃の節句は3月3日ですが、この時期に桃の花はあまり咲いていません。 少し早いんですね。 端午の節句を象徴する菖蒲も5月5日では早過ぎます。 路地ものでは調達できず、ハウスものが使われているそうです。 しかし、旧暦なら何れも季節感が大体合います。 長年行われてきた伝統行事が元になっているのですから、当然と言えば当然ですね。

 では、なぜ季節感を無視してまで「新暦の同じ日付」で実施するのでしょうか。 どうやら明治改暦の状況に原因があるようです。 明治5年(1872年)の旧暦から新暦への切替は、かなり強引に行われました。 背景には明治新政府の財政事情があったようです。 翌年が旧暦では「閏年」つまり13ヶ月ある年だったので、月給の支払が1ヶ月分多くなるのを避けるために、どうしてもその年のうちに改暦が必要だったというのです。

 何の準備も無く、一片の命令だけで突然変えるというのですから、当然大混乱が起ります。 当時の百姓一揆は要求項目に「暦を元に戻せ」というのが入っているのが多かったそうです。 しかし、明治新政府は「西欧列強に対抗していくために必要」という大義名分を掲げて力づくで押し切りました。 その一環として、年中行事を新暦で実施することも徹底させたようです。 その結果、意味を深く考えずに新暦の日付に単に移す事例が多々発生して、いろいろと変なことになってしまったのです。

 しかし、中には単純に新暦の日付に移さなかった行事もあります。 その典型例が盂蘭盆会(うらぼんえ=お盆)です。 本来7月15日なのですが、8月15日の実施が一般化しています。 7月の方を「新盆」8月の方を「旧盆」と呼ぶことが多いのですが、不正確な表現です。 「旧盆」は旧暦の7月15日を指すのが本来でしょうが、新暦の8月15日とは約30年に1回程度しか一致しません。 8月15日のことは「月遅れ盆」と呼ぶべきです。

 なぜ盂蘭盆会に限って月遅れが定着したのか、よく判らないのですが、どうせなら桃の節句や端午の節句も月遅れにしてしまえば良いのにという気もします。 でもそんな気運はありませんね。 月と日が同じ数字というのが解りやすいからでしょうか?



通算第259回(2018年5月号)

 新暦だと年中行事の季節感が狂うという話を、もう少し考えてみましょう。

第40講:暦の話(第3回)

 農業には旧暦の方が適しているという説があります。 しかし、この話は多くの場合、コトの本質を完全に見誤っています。 確かに、旧暦が「月の満ち欠け」に基づいていること、例えば新月の時期と満月の時期で夜の明るさが違うことが影響することもあるでしょう。 しかし、多くは新暦と旧暦が「約1ヶ月違う」ことが本質と考えられます。 旧暦の4月に実施するのが良いと伝承されている農作業を新暦4月に実施したら巧くいかないに決まっています。 それは月遅れで新暦5月に実施せねばなりません。

 それどころか、農作業など季節感が重要なモノゴトに旧暦は不都合が大きいのです。 月の周期と季節の周期がピッタリ合わないことが原因で、旧暦の月の季節感には約1ヶ月の「振れ幅」が発生し、一定しないからです。

 ではそもそも何故、新暦と旧暦は「約1ヶ月違う」のでしょうか。 これは別に難しい話ではありません。 単に年始のタイミングが違うというだけのことです。 すると「年始のタイミング」は何で決まっているのかという疑問が湧きます。

 季節変化があるモノというものを色々考えてみると、やはり「冬には活動が鈍る」モノが多いでしょう。 つまり1年の区切りを「冬のあたり」に持ってくるのが自然な感覚なのです。 しかし、冬のどこを年始とするかには選択の余地があるでしょう。 世界の色々な暦をみると、冬至・立春・春分のどれかを年始とするものが多いようです。 冬が極まったら新年とするのか、冬が過ぎてしまってから新年とするのかという選択ですね。 そういえばビバルディの「四季」は春から始まり、グラズノフの「四季」は冬から始まります。 そういう類の選択肢なわけです。

 新暦の新年のタイミングは謎で、かつて冬至と考えられていた日(実際の2日後)の「1週間後」という妙な設定になっています。 一方、旧暦の新年は「立春付近の新月」です。 冬至から立春までは約46日なので、1週間+2日差し引くと37日、つまり「1ヶ月強」です。 新暦を月遅れにすると旧暦に合うというのは、ここから出てくるわけです。



通算第262回(2018年8月号)

 「たなばた」を4月に演奏するという話から始まった「暦の話」ですが、秋に演奏する「3つのジャポニスム」も七夕祭りの一種である「ねぶた」が絡んでいます。 ということで、七夕の話を再び。

第40講:暦の話(第4回)

 第1回でも述べたように、今年の旧暦での七夕は新暦では8月17日(合宿が予定されている前日)です。 旧暦の日付で七夕を実施するというのはあまり聞きませんが、「ねぶた」を含む伝統的な七夕行事は旧暦の季節感に合う「月遅れ」で実施することが多いようです。 しかし、そういう伝統色の無い七夕行事は新暦の方が普通ですね。

 でも、よく考えてみてください。 新暦の7月上旬は梅雨の真っ只中です。 七夕伝説では織姫(おりひめ)と彦星(ひこぼし)が天の川を挟んで年に一回限りデートできることになっているんですが、新暦だと毎年のように雨で流れ、可愛想なことになってしまいます。 旧暦(あるいは月遅れ)なら梅雨が明けた暑い盛りの行事なのに。

 意外に思う人が多いかもしれませんが、「七夕」(7月7日)と「盂蘭盆会(うらぼんえ=お盆)」(7月15日)は、時期的にセットになる行事です。 お盆のみ月遅れが定着していて切り離されたイメージがあるかもしれませんが、実はたったの8日前なんですね。 そういう関連性も新暦と旧暦の混乱で判らなくなってしまっています。

 七夕は本来「星空の行事」です。 織姫と彦星を含む「夏の大三角形」が美しく見える星空が似合います。 そうすると、新暦8月ごろという季節だけでなく、星が高く揚がる夜半に半月が西へ沈んで暗くなるという、旧暦7日ごろの状況も重要なのです。 このように考えてみると、やはり七夕は旧暦で実施するべきだということになってきます。

 日本の主な季節行事の中で唯一、「新暦」でも「月遅れ新暦」でもなく「旧暦」で実施するのが当然ということになっているものがあります。 それが「十五夜」(中秋の名月:8月15日)です。 「月の形状」が本質的に重要と考えられているということなのでしょう。 七夕では月の「形状」は重要ではありませんが、月がいつ沈むかという「位置」は重要なのですから、十五夜なみに扱っても良さそうな気がします。



通算第265回(2018年11月号)

 秋も深まってきました。 そこで、秋らしい休日(祝祭日)について少し見てみたいと思います。

第40講:暦の話(第5回)

 「祝祭日」は大ざっぱに「記念日」と「年中行事」に分けることができるでしょう。 秋の休日でいえば「体育の日」が代表的な「記念日」です。 2000年から「10月の第2月曜日」になって意味不明になってしまいましたが、元々は「10月10日」で1964年東京オリンピック開会式の日です。 ちなみに何故「10月10日」だったかというと「晴れの特異日」つまり統計的に「何故かよくわからないけど晴れが多い日」だったからです。

 「文化の日」も「記念日」です。 直接には日本国憲法の公布記念日(「憲法記念日」は施行記念日)ですが、これは「11月3日」を祝日として残したいために、憲法公布を強引にこの日に設定した結果だと言われています。 太平洋戦争終結までは「11月3日」を「明治節」として祝っていました。 明治天皇の誕生日です。 現在でも天皇誕生日(天長節)を祝日としていますが、明治天皇は特に偉大だったと喧伝するために、没後も祝い続けることにしたのです。 要するに「天皇中心の国家」としての力を維持するために設定した祝日なわけです。 「文化の日」を「明治の日」に改称しようとする政治勢力がありますが、これは「天皇国家」を復活させたいということなんですね。

 一方「年中行事」というのは、1年を巡る季節変遷の中の節目を祝うもので、多くは農業生産に絡む意味があります。 秋の休日の中では「勤労感謝の日」が典型的な「年中行事」です。 元々は「新嘗(にいなめ)祭」で、皇室の宮中行事として重視され、特に天皇の代替り直後のものは「大嘗(だいじょう)祭」という呼ばれて特別な作法で大々的に実施されますが、本来は単なる「秋の収穫祭」です。 収穫祭の性格を有する祭りは当然ながら世界中にあるわけで、感謝祭やハロウィンも該当します。 太平洋戦争の後、軍国主義を支えるベースになった天皇崇拝につながる祝祭日は排除されましたが、「新嘗」は本来の収穫祭の意味に戻り、さらに農業に限らない産業一般にまで意味を拡張するという形で残ることになったわけです。



通算第266回(2018年12月号)

 クリスマスについて少し見てみましょう。

第40講:暦の話(第6回)

 クリスマスの日程については「ディエス・ナタリス」を第1部メインで採り上げた第19回オータムコンサート(2008年)のときに詳しく見ました(第24講第1〜2回)。 簡単にまとめると、クリスマスはイエス・キリストの生誕祭ですが、実は歴史的事実としては何月何日なのか全く不明で、少なくとも12月では無さそうだというのが定説です。 キリスト教の立場としては、12月25日生まれというのが事実かどうかはさておいて、日を決めて皆で祝うことが重要と考えられているようです。 では12月25日というのは何かというと、ローマ帝国がキリスト教を国教化する際に、改宗を容易にするために、当時信者が多かった宗教で「太陽神の誕生日」として重視されていた冬至を、キリストの誕生日ということにしたのではないかという説が有力です。

 クリスマスの本質が「冬至」だということになると、実はキリスト教とは関係なく祝える日だということになるのかもしれません。 北半球で太陽の光が最も弱まるのが冬至です。 もちろん、それまでの太陽の力で暖められていたのが残っているので、最も寒くなる時期というわけではなく、それは2ヶ月近く遅れます。 しかし、これから春になって生命活動が活発になっていく源泉は、やはり太陽にあるわけですから、「冬至」というものには、その「そもそもの出発点」という側面もあるでしょう。

 現在の暦では、第3回でも説明したように(あるいは第24講でも見たように)年の始まりが「冬至としてのクリスマス」の「1週間後」という「微妙に謎」な日程になっています。 ただ、いずれにしても「冬至の少し後」が年始なわけですから、「春に向かっての出発点」になっていることには違いはありません。

 日本の伝統的な習慣を見てみても、冬至には南瓜を食したり柑橘類を利用した薬浴を行ったりと、冬を乗り切って春に向かって行く時期であることを意識したものが多々あります。 そういう「季節の行事」としてクリスマスを見るのも良いかもしれません。



通算第267回(2019年1月号)

 正月(新年・年始)のタイミングについて考えてみましょう。

第40講:暦の話(第7回)

 第3回で新暦と旧暦のズレに絡んで書きましたが、世界的に見ると「年始のタイミング」にはいくつかの流儀があります。 基本的には「冬のあたり」に持ってくるのが自然な感覚ですが、冬のどこを年始とするかには選択の余地があるからです。 冬が極まったら新年とするのか、冬が過ぎてしまってから新年とするのかという選択です。 多くの場合、冬至・立春・春分のどれかが基準になっており、現在の暦は「冬至の約1週間後」、日本を含む東アジアの旧暦は「立春に最も近い朔(新月)」が1月1日です。

 世界を見渡すと「常識的な思い込み」を覆す暦がいろいろあり、例えばインドのヒンズー暦では「何月何日」の「何日」の部分の数字が不連続で、それが現在でも旧暦として使われているようです。 14〜18世紀のイギリスでは「年始」と「1月1日」が独立という妙な暦が使われていました。 「年始」は「春分のころ」、「1月1日」は「冬至のころ」だったのです。 年始は聖母マリアの受胎告知日(3月25日)とされていました。 つまり「1751年3月25日」の約1年後に「1751年3月24日」が来て、その翌日が「1752年3月25日」になるわけです。 ちょっと頭が混乱しそうです。

 考えてみると、「何月何日」を話題にする状況と「何年」を話題にする状況は少し違うかもしれません。 日本でも、戦国時代ごろの文書には「何月何日」だけ書いてあって「何年」か判らないのが普通です。 ですから、文書読解で最初に考えることは「これは何年の文書か」ということで、その解釈が違っていると結論が正反対になってしまうこともあります。 使う状況が別々ということは、「何月何日」の切り替わりと「何年」の切り替わりが別々であっても、思ったほどの混乱は起らないということです。 特に西洋では月を「何月」という数字ではなく「January, February, ……」などの名前で呼びますから、東アジアなどに比べると混乱しにくいという面があるかもしれません。

参考文献

岡田芳郎「アジアの暦」大修館書店 ISBN4-469-23190-8
永田久「暦と占いの科学」新潮選書 ISBN4-10-600228-0



通算第268回(2019年2月号)

 旧正月や節分について見てみましょう。

第40講:暦の話(第8回)

 前回も述べたように、新暦の元日は冬至の少し後、旧暦の元日は立春のあたりということで約1ヶ月のズレが生じます。 しかし、ピッタリ1ヶ月というわけではなく、前後半月程度の幅で揺れ動きます。 これは第1回でも述べたように、東アジアの旧暦は少し複雑な規則で「季節と月を両立」させているからです。 具体的には、新暦が月を見捨てて「日付と季節」を可能な限り正確に合わせようとしているのに対して、旧暦は「毎月1日は必ず新月」というのを守っているわけです。

 東アジアの旧暦では純粋に季節のみを表現する指標として「節気」というものを用います。 「二至二分」(冬至・春分・夏至・秋分)を単純に細分して1年を24に区切ったもので「大寒・啓蟄」などが有名です。 「立春・立夏」などもその中に含まれます。 そして「立春に近い新月の日」が元日です。 立春当日が元日になるのを「朔旦立春」と呼びます。 冬至が11月1日になる「朔旦冬至」の方が重視されるのですが、「朔旦立春」もそれなりに縁起の良いことだと考えられています。 単純計算すると約30年に1回の確率になるのですが、最近だと今年(2019年)は立春の翌日、2011年は立春の前日ということで、なかなかピッタリにはなりません。

 立春が旧正月に近いということは、各々の前日である節分と旧暦大晦日も近しい関係にあります。 節分は旧暦大晦日そのものだという誤解が多いようですが、全く同じものではありません。 しかし、同じ時期の同じような性格の日ですから、実施される年中行事も似通ってきます。 新暦の大晦日は節分とは1ヶ月前後離れており、絶対に一致しないので、最近は年中行事も明確に違ってきていますが、本来は何れも新年に向けての年越し行事です。 そういう視点で節分というものを見てみてはいかがでしょうか。



通算第270回(2019年4月号)

 少し変わったところで「イースター」について見てみましょう。 宗派によってはスプリングコンサート当日です。

第40講:暦の話(第9回)

 イースター(復活祭)の期日は「春分後、最初の満月、の後の最初の日曜」となっているので、年によって1ヶ月以上動きます。 今年は非常に遅く、西方教会(カトリック・プロテスタントとも)では4月21日、東方教会では4月28日です。 迫害され処刑されるという受難を受けたキリストが処刑後の3日目(=翌々日)に復活したことを祝うのですが、大きく動く日程になったのには2〜4世紀ごろの複雑な経緯があるようです。

 日本ではキリスト教会以外の場でのイースター関連イベントはディズニーランドなど限られた場でしか盛んではありませんが、比較的知られている習慣がいくつかあります。 例えば、イースターエッグというのがありますが、これは復活祭までの40日間(日曜日を数えないので実質46日間)キリストの受難を偲んで食を節制することになっていて、その禁制が解除されたのを祝うというのが元々の意味のようです。 ちなみに節制に入る直前の食事に起源を有するのが「謝肉祭」です。 エッグ(卵)が特に注目されるのは、生命の誕生を「復活」と関連づけるということのようです。 イースターエッグは鮮やかに彩色するようになり、さらに主催者が隠したのを皆で探すというゲームにもなりました。 このゲームから発展して、コンピュータソフトに開発者がこっそり仕込む「遊び機能」の意味にも使われる用語になっています。

 イースターに関連する様々な習慣などは、複数の起源に基づくものが混在しているようです。 イースターという呼び方はドイツ語の影響を受けた言語圏のもので、キリスト教圏全体ではユダヤ教の「過越(すぎこし)の祭」を起源とする「パスハ(パスカ)」という呼び方の方が主流です。 「過越祭」はモーゼがユダヤ教徒をエジプトから連れ出して約束の地へ向かった故事が元になっていますが、初期のキリスト教では「過越祭」のときに復活も併せて祝っていたようです。 元々の「過越祭」の習慣自体、いろいろ混ざっているようなので、このあたりはかなり複雑なようです。

参考資料

Wikipedia「復活祭」「過越



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