リヒャルト・シュトラウス(Richard Georg Strauss)の「ツァラトゥストラかく語りき」(Also sprach Zarathustra)は、ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche)の同名の著書から着想した作品です。 ニーチェの思想の到達点が示されている著書とも言われていますが、自らが説明する形ではなく、ツァラトゥストラという人物の伝記という形をとり、ツァラトゥストラに思想を語らせています。
ではツァラトゥストラとは何者でしょうか。 第29講第5回(2011年3月)にも書きましたが、「ゾロアスター」と同一人物です、というか同じ名前です。 世界史の教科書などだとゾロアスターという表記で出てくることの方が多いでしょう。
「同じ」と言いつつ随分違うような気がするかもしれませんが、第29講の全体でも説明したように、西洋文化圏では、使う言語が変われば、人の名前もその言語風に変化させるのが当然という感覚があります。 「ツァラトゥストラ」と「ゾロアスター」もドイツ語風と英語風というだけの違いでしかない「同じ名前」なのです。
元々は「Zaraθustra」とでも綴るべき名前で「ザラスシュトラ」に近い読みになるようです。 「θ」はラテン文字圏では通常「th」で表記し、英語などでは舌を軽く噛む摩擦音で発音します。 しかし、ドイツ語などこのような音を使わない言語では「タ行」になるのが普通で、さらに「Z」の読み方の流儀をドイツ風に変えると「ツァラトゥストラ」になるというわけです。 一方、古代ギリシャではギリシャ風に変えて「ゾロアストレス」(Ζωροαστρησ)と呼んでいたようです。 これが英語風に変化したのが「ゾロアスター」(Zoroaster)です。
いきなり「耳慣れない名前」の続出で戸惑ったかもしれませんが、作品が作品なだけに、この後も「ついていけなくなるような話」が続くことになると思います。 1つずつ順に、何とか読み解いて行ければと思います。
ゾロアスター教の開祖とされる実際のザラスシュトラは紀元前13〜7世紀ごろの人と考えられています。 700年も幅があるというのも呆れた話ですが、そもそもが伝説的な人物なので仕方が無いかもしれません。
ゾロアスター教は世界史の教科書ではササン朝ペルシャ(226〜651)の国教として出てきます。 善悪二元論を基本とし、善の象徴として火を崇めるため「拝火教」とも呼ばれています。 尤も、この二元論の教義も最初から確立していたわけではなく、元々は素朴な多神教の中で優位に立つ神が存在するという発想から始まっているようです。 時代によって善悪2神の上に立つ存在を考えたり、そういう存在を否定したり、いろいろ揺れがあったようですが、いずれにしても「善と悪が戦って、最終的には善が勝つ」という発想です。 そして、セム的一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など)の発想の源泉になったと考えられるなど、後世への影響も多々指摘されています。
ササン朝ペルシャはイスラム帝国に滅ぼされてしまいましたが、ゾロアスター教自体はいろいろ変質しつつも現在まで残っており、10万人ほどの信者がいるとされています。
一方、ザラスシュトラの人物像はゾロアスター教とは別に伝承されていったようです。 まずイスラム教徒の間で「光の叡智」を唱えた人物として崇敬され、さらにルネサンス期のヨーロッパにも伝わって、新たな属性が際限無く付与されて荒唐無稽な「偉人」になってしまったようです。 ニーチェがザラスシュトラに仮託して思想を語ったのも、あらゆる思想や教義の源泉というイメージのある人物だったからかもしれません。
Wikipedia「サーサーン朝」「ゾロアスター教」「ザラスシュトラ」
シュトラウスの楽曲はニーチェの著書から着想したもので、曲を構成する各部分(序奏を除く)の表題もニーチェがつけた章の表題から選んだものです。 しかし、ニーチェの思想の全貌を理解したうえで楽曲に表現したというわけではないと考えられています。 むしろ、ニーチェの著書から印象に残った部分を選び、そこから発想を膨らませて楽曲にしたという方が近いようです。
では、ニーチェがこの著書で表明しようとした思想はどのようなものでしょうか。 これは最先端の専門家にも「こうだ」と言い切れるようなものでは無いようです。
ニーチェに限らず、思想や哲学を語ろうとする人は「どのような手段で語るか」を悩み、試行錯誤しようとするようです。 それは、例えば解りやすい言葉で簡単に説明してしまうと、その説明の表面的な意味に引き摺られて本質を見失ってしまうというような危惧があるからかもしれません。 そのため、ニーチェは真理を直接的に言葉で表現するのではなく「ツァラトゥストラの伝記」という形をとり、その行動や発言を通じて間接的に伝えようとしたのではないかと思われます。
このことは、ニーチェの著書に登場するツァラトゥストラ自身が物語の中で苦労することでもあります。 山中に10年篭ったツァラトゥストラは、その知恵を人々に広めようと山を降りますが、誤解され理解されません。 そんな中、教えの核心を受け取ろうとする弟子たちを得るものの、結局その弟子たちを捨てて山に帰ってしまう……というのが、4部構成になっている著書の第1部の大まかな流れです。
こんな状況ですから、ニーチェが語ろうとした思想の本質が短い言葉で表現されたものなど無いわけで、取り付く島が無いのは已むを得ないかもしれません。
前回も述べたように、シュトラウスの楽曲はニーチェの著書の章から選んだ8つの表題を冠した部分が序奏の後に続く構成になっています。 しかし、これらの部分は明確に切り離されているわけではありません。 先行する部分の主題が組み合わされるのはもちろん、後の部分の中心的な主題の断片が先行して提示される場合もあります。 そのため、聴いていても境界が明確に判る箇所の方が、むしろ少ないという状況です。
比較的解りやすい例として、第6「Von der Wissenschaft」(学問について)の主題について考えてみましょう。 オクターブの12音を全て使った旋律なのですが、「無理矢理に全部使った」という印象を与える形になっています。 まず完全5度という「素直さ」を強調したような形の上昇から始まり、音程を少し縮小して半音低い調の分散和音で下降というのは極めて素直な和声進行です。 そして元の調の近縁調へ戻って上昇、半音低い調の近縁調で下降というのもまだ素直なのですが、最後の方で調が狂い始めます。 そして、12音の使い残しを最初より半音高い調での上昇という少し不自然な和声進行でまとめ、その不自然さを「タイで繋いだ音で始める4拍3連符」という意図的に不自然にしたと思われるリズムで強調しています。
これは、細部まで検討を尽くして完璧に仕上げようとする学問姿勢への皮肉とも考えられ、その皮肉を第7「Der Genesende」(快癒に向かう者)で強調しているようにも思えます。 まず主題を再提示するのですが、途中の2拍3連符を素直なリズムに変えています。 これによって強調された4拍3連符を、その後の発展では欠落させ、最後にはさらに簡略化したものを反復しながら半音進行で下降していきます。 この展開は、「学問的厳密さ」からの解放による「快癒」を表現しているとも考えられます。
第3回でも述べたように、シュトラウスの楽曲を構成する各部分の表題の多くはニーチェが各章につけた表題から選んだものです。 そのうち第2「Von den Hinterweltlern」(背後世界を説く者について)と第4「Von den Freuden- und Leidenschaften」(喜びの情熱と苦しみの情熱について)は、冒頭近くの説教の部分に登場する章の表題です。 「背後世界」とは何だか怪しげですが、プラトンの「イデア」論に代表される形而上学のことを指しているようです。 目に見えている事象の背後には直接には見えない「本質」があるという考え方です。 シュトラウスが何故この2章を選んだのかはよく判りませんが、何か感じるところがあったのでしょう。
一方、第3「Von der großen Sehnsucht」(大いなる憧憬について)と第7「Der Genesende」(快癒に向かう者)は第3部の最後の方の章です。 ニーチェの著書は4部構成ですが、第3部で何となく完結したような感があります。 直接的な言葉による説教に挫折して出発点の洞窟に帰ったツァラトゥストラが1つの境地に達するからです。 その直前で「考えがまとまりつつある」ような内容になっているのが、この2つの章です。 「快癒」のところではツァラトゥストラは実際に病臥して意識不明に陥ったところから快復するのですが、これは思想の状況を比喩的に表現しているのでしょう。 このような章をシュトラウスが選んだのは妥当な選択だと言えるかもしれません。
ただ、ニーチェの著書の厄介なところは、第3部で一見完結したように見えて、実は第4部が続くということです。 シュトラウスの楽曲にも第4部の章題を冠した部分があるのですが、それについては次回以降にしたいと思います。
村井則夫(2008)「ニーチェ―ツァラトゥストラの謎」中公新書1939 ISBN978-4-12-101939-4
ニーチェの著書の冒頭では、ツァラトゥストラは自分の思想を直接的に語ろうとします。 しかしそれは挫折し「言葉で直接的に」伝えることを放棄します。 その転機に位置づけられているのが、4部構成の第2部の中ほどにある3つの「詩篇」です。
この詩篇以前の説教などは各々の主題が明確ですし、詩篇以後もツァラトゥストラの行動が明確に描写されている部分が多いのですが、詩篇自体はツァラトゥストラの「叫び」ともいえる文言が並んでいて、趣旨が不明瞭です。 そのため、哲学的な考察の対象から除こうとする場合もあるようですが、実は深い意味があるという見解も有力です。
シュトラウスの楽曲は、この「詩篇」のうち2つを構成部分の表題に採用しています。 ただ、ニーチェの意図を理解して楽曲に反映したのではなく、むしろ「詩」だから自由にイメージを膨らませ易かったということなのではないかと思われます。
ニーチェの詩篇には、不安と憂鬱の「夜の歌」から、「生と知恵」への葛藤を「つれない美女」に喩えた「舞踏歌」を経て、無の世界へと近づく「墓の歌」へ進むという流れがあります。 一方のシュトラウスは、比較的早い段階でそれまでのモチーフを沈痛な形に変えた第4「墓の歌」(Das Grablied)を出し、それ以降に増えたものも含めた多数のモチーフが入れ替わり立ち替わり登場する第8「舞踏歌」(Das Tanzlied)を後半で長く続けています。ニーチェの位置づけとは根本的に違いそうに思えます。
村井則夫(2008)「ニーチェ―ツァラトゥストラの謎」中公新書1939 ISBN978-4-12-101939-4
ニーチェの著書の第4部は他の3部とはかなり異質な存在で、そもそも私家版として少数の人々に限定的に配布され、しかもそれを回収して世に出ないようにしようとした形跡があるようです。 結局、第4部も含めた全体が出版されているのですが、これはニーチェが発狂したあげく昏倒した後のことで、本人の意思によるものではありません。
第4部ではツァラトゥストラは山から出ることなく、「höheren Menschen」と呼ばれる様々な相手と対話を進めています。 「höheren」は英語の「high」の比較級「higher」に相当する言葉なので、「比較的高い人」「相対的に高い人」というような意味になるのですが、日本語に訳す場合には「高等な人間」と書いて「高等」に「まし」と振り仮名をつける流儀もあるようです。 世の中の普通の人々よりはレベルが高いが、それでもロクな奴ではないというようなニュアンスなのでしょうか。
第4部の登場人物は、第3部までのどこかで登場した人物が多いようです。 それはツァラトゥストラの信奉者であったり敵対者であったりしますし、ツァラトゥストラ自身の分身と考えられるような場合もあるようです。
第4回で採り上げた第6「Von der Wissenschaft」(学問について)は第4部の中の1章の表題ですが、第4部の中のこの章には直接にはあまり関係が無いように思います。 むしろ、それまでに登場した学識のある人物たちを全て併せて意識し、それを最も最後に近いこの章で代表させているのかもしれません。
村井則夫(2008)「ニーチェ―ツァラトゥストラの謎」中公新書1939 ISBN978-4-12-101939-4
シュトラウスの楽曲の各構成部分の表題が、ニーチェの著書の章題に基づきつつも、そのまんまの位置づけでは使われていないのではないかと思われる事例が多いことを見てきました。 しかし、最後の第9「Das Nachtwandlerlied」(夜の彷徨者の歌)はニーチェの著書でも最後から2番目の章(初版では違う章題だったが改められている)であり、全体を締めくくるという役割も同じです。
ニーチェの著書は、どう解釈したら良いのか解らない謎の内容ばかりで構成されていますが、その中でも特に印象的でかつ意味不明なものの1つに「12点鐘」があります。 4部構成の著書が第3部までで何となく完結したような印象を与えるのは第5回にも書いた通りですが、その最後近くで12回打たれるのが「12点鐘」で、各々短い言葉がついています。 しかし、最後の12回目は鳴るだけで言葉が伴わないのです。 そして「夜の彷徨者の歌」は第3部の12点鐘の言葉の各々で終わる詩の集まりになっているのですが、12回目に対応するものはありません。
この12回目をどう解釈するかは当然議論の対象なわけで、各々第3部末や第4部末までの短い部分の内容にヒントがありそうです。 ですが、ここでは安易な解釈は控えることにしておきましょう。
シュトラウスの楽曲の「Das Nachtwandlerlied」でも鐘をゆっくりと12回鳴らしており、「12点鐘」を意識していることが覗えます。 12回目だけがフレーズの区切りからズレたタイミングで鳴らしていますが、これはもしかすると「言葉を伴わない」ことに対応しているのかもしれません。
ニーチェは実在のツァラトゥストラの思想に共鳴していたというわけではなく、単に自分の思想を語るのにツァラトゥストラという人物が好都合だったから利用したと考えられているようです。 ツァラトゥストラ自身が伝説的で伝記が不明確な人物なので、好きなように話を作ることができることも理由の1つでしょう。
また、第2回にも書いたようにツァラトゥストラの人物像が「ゾロアスター教」という宗教に必ずしもこだわらない形で伝承されていたこともあるかもしれません。 特定の「教え」から解放された、キリスト教やイスラム教などとも共有できる「様々な教えの源流にあたる人物」というイメージを利用したということになるのでしょう。
ニーチェの批判対象は多岐にわたりますが、基本的にはキリスト教の教義を基礎とする西欧社会が対象になっています。 従って、聖書に出てくる人物の伝記を知っているという前提での記述、特にその伝記のパロディと考えられる展開が多々見受けられます。
そのほか、プラトンや仏陀の業績や伝記に基づく内容も少なくないことが指摘されています。 特にプラトンの哲学はキリスト教の視点で再解釈されて西欧社会の規範になっているので、そのパロディと考えられる内容も多々あるようです。 また、仏教については、ニーチェはキリスト教とは逆向きに行き過ぎていると考えていたようです。
元々ニーチェは文献学者、つまりギリシャローマ以来の文献を対象に伝承過程での齟齬を修正しながら整理解釈していくことを専門とする人なので、プラトンを始めとする古典文学に通じています。 その知見が基礎になっているのでしょう。
村井則夫(2008)「ニーチェ―ツァラトゥストラの謎」中公新書1939 ISBN978-4-12-101939-4
ニーチェがツァラトゥストラに語らせた言葉の中で特に有名なのが「神は死んだ」でしょう。 これは神の存在を信じるかどうかということではなく、「神の存在」を前提とする西欧社会の在り方が破綻しているという指摘と考えるのが近いように思います。
ニーチェの著書の中のツァラトゥストラは、冒頭部分での説教でプラトン流の「形而上学」つまり目に見えている事象は「背後世界」にある「本質」で規定されているという考え方を批判しています。 キリスト教の哲学は「神」という「超越的な絶対者」をこの「背後世界」と考えることが基本になっていました。 この考え方が破綻していることを「神は死んだ」と表現したようです。 神が死んだ以上、聖職者は失職したことになるのですが、物語の中では当人がそのことに気付いていないという展開があります。
そして、「背後世界」の「本質」に向かって一方的に進展していくという考え方を否定して、同じところをグルグル回りながら常に進んでいくという「永劫回帰」の思想を提唱し、それを実践する存在や実践行為そのものを「超人(Übermensch)」と呼びました。 ツァラトゥストラ自身も自分を「超人」ではなく「超人の告知者」と位置づけています。 人間は自らを超克(übergehen)して「超人」を目指さねばならないという発想であるわけです。
あっさりと簡単に書いてしまいましたが、当然ながら簡略化し過ぎている部分が多々あります。 思想を突き詰めて発狂してしまったニーチェが主著とされる大作で伝えようとしたことなのですから簡単なわけがないのですが、無理矢理に簡略化すればそういうことになるという程度に考えておいてください。
村井則夫(2008)「ニーチェ―ツァラトゥストラの謎」中公新書1939 ISBN978-4-12-101939-4