横溝正史の金田一耕助シリーズに、特定の楽器の特性に依存する作品があります。 御存知の方も多いと思いますが「悪魔が来たりて笛を吹く」です。 作品タイトルと同じ題のフルート独奏曲が登場するのですが、この曲は右手の中指と薬指を使わずに演奏できるように作られているという設定になっています。 確かに、指2本が欠けた状態で正規の運指が不可能になる音が最も少なく済むのは、この2本です。
1977年に初めてテレビドラマ化されたとき、原作のこの設定が残されたストーリーになっていたのですが、実際に演奏されていた曲は設定通りにはなっていませんでした。 他のドラマ化や映画化も、私が確認できた限りでは、この設定自体を無くしてしまったり、あるいは変えてしまったり(欠けている指を薬指と小指に変えて、不正規の運指で演奏するように変更)していました。 そういう状況だったので、1996年のドラマ化で、本当に設定通りに作曲された曲が演奏されたときには、感動を覚えてしまいました。
そして先日、2007年1月5日のドラマ化で使われた曲も、設定通りに作曲されていました。 この曲は、劇中の独奏だけでなく、伴奏付きでドラマ全体のテーマ曲としても使われ、種々に変奏して各場面での挿入曲としても使っています。 そこで、専ら楽曲に留意して録画を見直してみたところ、いろいろと芸が細かいことに気付きました。
例えば、作品中で、死んだはずの作曲者に似た人物が演奏していて家族が驚愕する場面があります。 実はニセモノによる演奏という設定なのですが、よく聴くと、装飾音を除去してテンポも遅くすることによって、微妙に難易度を落としてあります。 とはいえ、ニセモノにしては演奏が巧すぎることに変わりは無いのですが……
また、この曲では、中間展開部から主題再現部へ戻るところで、せきこむような楽句を執拗に続けています。 確かに、作品中の作曲者の心理状態に合っており、原作での楽曲の描写とも矛盾しないのですが、それにしても過剰ではないかと思えるくらいです。 ところが、ドラマ全体の音楽をよく聴いてみると、この部分を採り出して作った挿入曲を、効果音的に多用しているのです。 このように使うには、各々の楽句部分に程々の長さが必要ですし、種類も多数ある方が便利です。 そのつもりで最初から長く作っておいたのかもしれません。
インターネット向け補記(2008年1月) |
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