通算第128回(2007年6月号)

 今度の演奏会で、アルフレッド・リードの「オセロ」を採り上げます。 言うまでも無く、シェークスピアの同名戯曲を元に作られた曲ですが、もう少し詳しく見てみましょう。

随時講座:合奏中の話題から(その17)

 「オセロ」と聞くとボードゲームを思い浮べる人が居るかもしれませんが、このゲームの名前もシェークスピアの戯曲から採っているようです。 漫才師の「オセロ」もそうですね。双方に共通するのは「白と黒の組合わせ」になっているということです。

 物語の主人公オセロは「ムーア人」という設定であり、一般的には黒人と理解されています。 その妻デスデモーナはベネチアの名家の令嬢ですから白人です。 欧米社会で黒人というと、16〜19世紀の奴隷貿易に基づくアメリカでの社会差別を連想する人が多いかもしれません。 しかし、それよりはるか以前から、アフリカの砂漠の向うに「スーダン」(黒人が住む地)があることは、よく知られていました。 「オセロ」の世界は、そういう古くからの感覚に基づくもので、近代的な人種差別問題とは大きく異なります。 もちろん、肌の色が異なるゆえに「違いの目立つヨソモノ」であることは否定できないわけで、悪役イアーゴーの科白には「黒ん坊のクセに」という趣旨の内容があります。 しかし、それが彼の憎悪の原因であると考えるのは誤りとされているようです。

 ちなみに、「ムーア人」という言葉の本来の意味は「西の人」です。 フェニキア人がアフリカ西北部の人をそう呼んだことに始まり、西アフリカからイベリア半島に渡ってきたアラブ人のことをヨーロッパ人が呼ぶのに転用されたようです。 西アフリカのやや南方にある「モーリタニア」は「ムーア人の国」という意味です。 ですから、一般にはムーア人は黒人とは限らないのですが、「オセロ」では黒人と考えられています。

 リードの曲では、各楽章は特定の場面や状況に対応しており、各々標題と「科白の引用」によって示されています。 科白の引用については、2年前の11月号で一通り見ているので、再録してもらうことにします。 第3楽章に関しては、引用されている科白そのものは戯曲冒頭で状況説明の一環として出てくるものですが、オセロ夫妻の「幸せな愛の日々」を一般的に象徴する意味で使っているのでしょう。 次の第4楽章が「平常心を失い始めたオセロ」の描写で、第5楽章の悲劇の結末へと続くわけですから、その直前に持ってくるには絶好の科白なわけです。



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