堅田駅周辺の江若廃線跡と旧街道

 江若鉄道廃線跡のうち堅田周辺については、国道161号の旧道(北国海道)との絡みもあって少々複雑であり、誤った情報を掲載してしまっている解説文献も見掛けるほどである。

 雄琴のあたりから堅田の北側までの湖西線・廃線跡・現国道・旧街道の関係を「文字地図」で図示すると次のようになる。
         
         
       
−→琵琶湖大橋
       
          ここより北の廃線跡の現状は「不自然に細長い敷地」
       
         このあたりの廃線跡は現ACT堅田(旧ダイエー)敷地の一部
西      161
         このあたりでは、廃線跡らしきところに道がある
       
       
        このあたり、廃線跡に由来すると思われる
   路地等は発見できない
       
         このあたりでは、廃線跡らしきところに道がある
       
         駅敷地は江若バス整備工場および
         江若系のスポーツセンターになっている
         
         このあたりでは、廃線跡らしきところに道がある
       
         このあたりの廃線跡の現状は「新築住宅群」と「資材置場」
        
         ここより南の廃線跡は道として使われている
−→浮御堂
        
天神川(廃線跡の道路は川を渡れない)
        
        
           湖西線と廃線跡が一旦接してスグ離れる
        
        
        
          ここの廃線跡は堅田の渋滞を避ける抜け道として有名
          短く描いたが、この区間は2km近くある
        
        
         
           「山ノ下」バス停のところ:元は踏切
         
         
        
        
        
         

この「文字地図」のテキストファイルは こちらから取れます。 等幅の(いわゆる「全角文字」が空白も含めて全て同じ幅を占める)表示環境でないと、図として崩れます。
 特に誤解の多いのが「山ノ下」バス停のところで、ここで現状の「国道」「隣の細道」と元の「線路」「街道」との対応関係が入れ替わるということに注意が必要である。

 実はこの部分、そのつもりでよく見てみると、「国道」にしても「隣の細道」にしても、「山ノ下」バス停を境界に沿道の風景が変わることがわかる。 つまり「もと街道」の部分は沿道に古い家や商店などが並んでいるのに対して、「もと線路」の部分は沿道に古い家が無いか、あっても背を向けていることが多い。

 ところで、「山ノ下」バス停以南、雄琴の街を抜けて苗鹿の交差点までの区間は、現国道161号が江若鉄道廃線跡ということになるが、正確には国道の「西半分」が廃線跡である。 実は現在の国道は、江若鉄道廃線後に作られたのではなく、江若鉄道営業中にその湖側に作った新道を、廃線後に拡幅したものである。 このことは、1967(昭和42)年の地形図に双方が併存して記載されていることからも確認できる。 最初から廃線跡を利用した拡幅まで織り込んで新道を設計したのかどうかはよくわからない。

 ちなみに、上の「文字地図」で廃線跡の現状を「不自然に細長い敷地」だとか「新築住宅群」だとか「資材置場」だとか書いてある部分は、住宅地図で敷地形状を見て確認したものである。 現地を歩いていて現場を見てみても、土地形状は一見してはわからないので、判断が難しいかもしれない。

 現堅田駅付近の廃線跡は、駅前の再開発事業によって全くわけがわからなくなっている。 上の「文字地図」では、駅から少し離れた部分について「廃線跡らしきところに道がある」と記したが、これも確実な話では全く無い。 現状の道路とは全く無関係に廃線跡が存在していた可能性も無視できない。


2000年10月19日WWW公開用初稿/2017年7月8日ホスト移転&最終改訂

江若鉄道廃線跡概論へ戻る
Copyright © 2000 by TODA, Takashi