通算第51回(2001年1月号)

 年明け早々、 インターネット上のNCEの電子掲示板が新世紀ネタで盛り上がっています。 そこで、こちらでもしばらく「新世紀」「新千年紀」の話題を進めて行きたいと思います。

第10講:新世紀にあたって(第1回)

 第11回オータムコンサートのプログラムに挟み込んだ「NONCE号外」に、「特別編」と称して「ミレニアム(千年紀)って何?」という文章を載せました。 そこでも述べましたが、ミレニアム(millennium)にはキリスト教の教義に関わる意味があります。

 実は「ミレニアム」を「千年紀」と訳すのは、この言葉が単なる「時代区分」として用いられる場合に限られます。 実際には、「千年紀」に関連して実現するとされている「宗教的理想郷」ともいうべき存在のことも「ミレニアム」と呼びます。 そして、この場合には「至福千年」ないし「千年王国」と訳すことが多いようです。

 ところで、この「ミレニアム」の宗教的意義の具体的な内容となると、キリスト教社会の中でも様々な解釈が入り乱れていて、よくわからないというのが実情です。

 一般に「ミレニアム」の教義の文献的根拠とされているのが、「ヨハネの黙示録」と呼ばれる新訳聖書の最後の章です。 ところが、この文献からは、イエス(キリスト)が生きた時代の千年後の世界のことしか、素直には読み取れないようです。

 しかも、「ミレニアム」の起点も詳らかではなく、イエス生誕からだという説もあれば、イエス没後からだという説もあるようです。 もし「没後」説を採用するとすれば、第2ミレニアムの完成は、まだ二十年以上先の話ということになります。

 また、「ミレニアム」の完成に際してイエスが復活するという説もあったようです。 実際に10世紀末のヨーロッパでは、復活に備えてどうするかで大騒ぎになったという話もあります。

 以上のようなわけで、実態のよくわからない「ミレニアム」ですが、それが世界的なお祭り騒ぎになった背景には、これを機に非キリスト教圏(特にアジア)にキリスト教を広めようというカトリック教会の思惑もあったようです。

参考にしたインターネット・ページ

http://village.infoweb.ne.jp/%7Ehiranoxx/mille.htm
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/hon_kataru/katudou/012.html#3.1



通算第52回(2001年2月号)

 インターネット上のNCEの電子掲示板で盛り上がった新世紀ネタの議論から発展して考えるシリーズの続きです。 日本人にとっての「千年紀」について少し考えてみましょう。

第10講:新世紀にあたって(第2回)

 「日本人がミレニアムでお祭り騒ぎするなんてズルい」というマンガネタがありました。 「マラソン走者と最後の5kmだけ併走して、一緒に完走を祝ってるようなものだ」というのです。 確かに普通の日本人が「西暦」を意識するようになるのは、早くて明治、一般的には戦後のことでしょう。

 では、前回のミレニアムのころの日本の状況はどうだったのでしょうか? 実は、偶然にもヨーロッパの世紀末と同じ頃に、日本でも同じような考え方が流行し、よく似た世相になっていました。 その名を「末法思想」と呼びます。

 現代では、時代と共に世の中が発展して行くと当たり前のように考えられていますが、古くは世の東西を問わず、時代を経るに連れて「教え」が廃れて世の中がどんどん悪くなって行くという考え方が一般的だったようです。 中国仏教界でも、釈迦の教えが正しく伝わる「正法」→教えが形骸化する「像法」→教えが過去の記憶だけになる「末法」→記憶さえ無くなる「滅法」と経過して行くという考えがありました。

 そして各時代の長さは、元々は「正法五百年、像法千年、末法一万年」だったのですが、日本では「正法千年」に修正され、当時流布していた釈迦入滅年から起算して二千年後の永承七(1052)年から末法が始まると考えられました。

 当時の時代状況を考えてみると、例えば前年の1051年に前九年の役が始まっています。 つまり、律令体制を(形式的にせよ)継承してきた社会体制にガタがきて、各地の実力者が「武士」として力を蓄え、それが清和源氏などの手で組織化されるようになってきた時代です。 京都の貴族からすれば、まさに「世も末」でしょう。

 平安時代後期の文化を理解するには「末法思想」の理解が欠かせないということは、日本史の授業で習った記憶がある方も多いと思います。 そして、その後200年余りの歳月をかけて「鎌倉新仏教」と呼ばれる新しい仏教宗派が確立し、それが現在まで続いているわけです。 今年のNHK大河ドラマは、ちょうどこの確立期の話ですね。

参考にしたインターネット・ページ

http://www.sotozen-net.or.jp/bunka/gendai/gendai.htm#aum04(曹洞宗ページ「オウム真理教Q&A」)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/yowa/yowa6.html(紫雲寺ページ「仏教夜話」)
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/religion.htm(岩手大学建設環境工学科建設基礎工学講座構造工学研究室「心のページ」)



通算第53回(2001年3月号)

 21世紀に入ったということで、新世紀ネタを展開してきましたが、そもそも「世紀」というのは「西暦」を基準にした概念ですね。 では「西暦」って一体何でしょう?

第10講:新世紀にあたって(第3回)

「西暦? イエス・キリストが生まれてからの年数じゃないか」と答えた方、それはかなり不正確な答ですよ。

 確かに、西暦はキリストの生年を基準に年を数えようということで始まったものです。 考え出したのは6世紀のローマの僧院長だと言われています。 古来「何々王の何年」というような数え方が洋の東西を問わず一般的だったわけですが、その中で特にヨーロッパで事実標準になっていたのは、3世紀のローマ皇帝の即位年を紀元とする年号でした。 この皇帝は自らを神と崇めるよう強制した、キリスト教にとっては一大弾圧者なので、このような皇帝に由来する紀元を使うべきではないという考えで、それに代わる新たな紀年法を提唱したわけです。

 ところが、この僧院長はキリスト生誕年の算出を誤ったとされています。 実はキリストの生誕年は、聖書の記述からも他の記録からも完全には確定できないのです。 現在では、キリスト生誕年は、西暦紀元前4年の可能性が高いとされています。

 ついでに言えば、生誕が12月25日(クリスマス)というのも、聖書の記述を一面的に捉えて辻妻を合わせた計算結果のようで、信憑性がありません。季節的に聖書の記述と合わないという話もあるようです。

 ところで、もし僧院長の計算が正しかったとしても、西暦は「生まれてからの年数」ではありません。 生誕年を「0年」ではなく「1年」としているからです。

 このように、キリスト教的な意味からいうと不正確この上ない紀年法ですが、一旦定着してしまったものを変えるのは混乱の元です。 それに、現在では非キリスト教圏でも単なる「世界標準」として西暦を用いていますから、そういう用途を考えると、キリスト教的な根拠に基づいているとは言えない紀年法の方が問題が無いかもしれません。

 ちなみに、日本では一般に「西暦」と呼びますが、中国(大陸・台湾・香港とも)では「公元」と呼んでいます。 「公」というのは、この場合には「世界標準」というほどの意味で、公里(キロメートル)公尺(メートル)などの用法があります。 この方が宗教色が薄れて良い呼び名かもしれませんね。 日本でも「西暦」と呼ばずに「世界暦」とでも呼んではどうでしょうか?

参考にしたインターネット・ページ

http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/hon_kataru/katudou/012.html#3.1

インターネット向け補記(2011年5月)
 クリスマスの日程に関しては第24講(主に第2回)も参照してください。


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